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澁澤龍彦と堀内誠一 旅の仲間

2008-07-13 22:09:30 | Book 積読 濫読 耽読
先週は怒涛の原稿締切ラッシュでほぼ連日缶詰。おまけにエアコンが効かなくなり
今日、エアコンを付け替えてもらった。エアコンぎんぎんはとても苦手だけど、
亜熱帯化した東京でノーエアコンというのは、限りなく“修行”に近い。

土曜から母が泊まりに来ており、昨日は母の友人と3人で新丸ビルにてお茶した後、
和田倉噴水公園に水の涼をもらいに。水飛沫のカーテンに小さな虹が架かっていた↑
お正月のblogでも書いたけど、ここは三島由紀夫の珠玉短編『雨の中の噴水』の舞台になった所。

夜は母と近所のHakuju Hallへ。クジラの体内に呑みこまれたみたいなデザイン(?)

レクイエムを中心とした選曲が興味深く。ラストはヨハネ受難曲。アーメンの合唱で幕。

☆☆
遡ること先週の日曜。ギャラリーTOMで開催していた「澁澤龍彦と堀内誠一 旅の仲間」展へ。
巌谷國士が編んだ「旅の仲間澁澤龍彦・堀内誠一 往復書簡」の出版記念を兼ねた企画だった。

ギャラリーの向かいは深緑の鍋島松涛公園。ときどき散歩する一角。
その昔、化け猫騒動で人々を震撼させた地でもある。残念ながらこの蒸し暑さで猫の姿もなし。

ギャラリーの壁には、1968年~1987年に澁澤龍彦と堀内誠一が交わした往復書簡がずらり。


たとえば、澁澤龍彦がヨーロッパ旅行中に出した絵葉書(画像は件の書籍より)。
『ヨーロッパの乳房』など、後の作品の契機となった旅の肉声が実に無邪気にしたためられ。


一方こちらは、堀内誠一のアエログラム(同書籍より)。さらさらと描かれた絵文は さすが!
澁澤龍彦いわく「貴兄の手紙をみると、絵描きは絵が描けていいなァ、と思います。」


奇しくも同じ1987年に同じ病で亡くなった澁澤龍彦と堀内誠一が交わした89通の親密な書簡には、
彼らが筆を運ぶ気配や息遣い、体温までもが時空を超越して息衝いていた。

堀内誠一(真ん中)と澁澤龍彦(左下)@鎌倉 澁澤邸1968年。すごくリラックスした表情!

堀内誠一といえば、こんな雑誌たちのロゴデザインでもおなじみのアートディレクター。
↓『雑誌づくりの決定的瞬間 堀内誠一の仕事』より。

このひとの仕事は、みればみるほど宝の山。

1964~65年に立木義浩と組んだ『平凡パンチ』メンズファッションのグラビアもしびれる。
名(迷)コピーも堀内誠一の仕事。↓たとえばこれなんて「シマでシマを着る。」ですからね!


堀内誠一は絵本作家でもあり、子供の本の表紙も手がけていた。
この1989年1月発行の月刊「たくさんのふしぎ」の表紙も、そう。
特集は、種村季弘の「迷宮へどうぞ」。


子供向けなので、「迷宮」という言葉にはすべて「めいきゅう」とルビが振ってある。
とはいえ、そこは種村さん。容赦なくマニアックなネタをいたいけなお子様たちに仕込んでいる。

最終頁で種村さんは子供に云う。「本も一種の迷宮なのです。迷宮も本もふくざつになればなるほど、
おもしろいんだ。 こんどはどんな本の迷宮にちょうせんしようか。」
この本に出逢った子供は、きっと幸福だ。
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