月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

あらびあ語に訳した伊勢物語を

2009-02-27 22:01:44 | Weblog
一冊の文庫本。もうヨレヨレ。こうした本としては、限界点を超えている崩れよう。昭和44年(1969年)に4刷発行の新潮社版。「西脇順三郎詩集」。1894年1月生まれで、1982年の6月に亡くなられている詩人のもの。
多分、1980年の中頃に住んでいた大田区南馬込の古本屋で買ったものであるはず。その時すでに、古びた感じの色合いに変わっていたと記憶する。これまで、不要と思える本はその時々処分してきているのだけれども、手元にありつづけたというのは、関心ある詩人であったからということ。長らく手に取らないことなどはあったにせよ。
ここのところ、また読んでいる。ところが最初に書いたように劣化がはげしい。紙は茶に変色。まともに閉じられた状態ではなくなっている。本の真ん中で、分かれてしまう。1ページ単位で、離れてしまう部分もある。というわけで、先ずは背表紙の部分など、分離をしないようにボンドでなんとか接着するようにするなどして、補修。文庫本サイズの、厚手の黒のビニールカヴァを利用するようになって特に問題はなくなっている。この限界まできているような変色したページの黒のカヴァつき本を、電車の中などでも読んでいる。
確かに、古い。でも、眼に慣れている。愛着を覚えるということになるのだろうか。新しいものを買おうかと思いはしても、その方にはいかない。ページが外れるのを戻しながら読みながら、それがこの一冊らしくて良い、などと感じている。
1927年に「超現実主義詩論」を発表した西脇順三郎。自分が彼と同郷(新潟)、彼の出身地小千谷はすぐ隣の街。などということも彼に傾く要因となってはいるのだが、面白いんだな、彼の作品。
何日か前、昭和28年(1953年)の詩集「近代の寓話」の部分を外でコーヒーを飲みながら読んでいて、その中の作品「アタランタのカリドン」の、「雪女の庭に春が来る/生きていた時紫の靴下をはいた/女にあげる/あらびあ語に訳した伊勢物語を」という詩行に至り。アラビア語、ではない「あらびあ語の伊勢物語」、というのは微妙な意図のある処と思えるけれども、それは例えばの部分。それら、それぞれの詩作品に触れてあれこれ、その表現からイメージや考えを膨らませるたのしみを与えてくれる詩集の良さ。面白味。ふいとまた、その時に感じたんですね。


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