月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

詩-Space 時間の音

2007-12-28 22:49:12 | Weblog





      時間の音



     たのしいこと
     考える
     たのしいことを
     考える
     その時間は
     それを考える
     ことで
     埋まるので
     たのしくない
     あのこと
     そのこと
     あれらのこと
                 考えたくても
         その時間の中に
     押しこむことが
     できない
     たのしくないこと
     なので
     求められても
     いない

     それで
     時間は
     音を
     放つのでしょうか
     なにかが
     擦れ合うような
     キュッ
                 キュッ
     キュッ
                 キュッ
     音を
     放つのでしょうか



          from Six Poems No.5 2002    
    
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詩-Space 指

2007-12-27 17:16:57 | Weblog





       指


      
      指
      掴むため
      握るための
      それで
      奇跡を起こそうなどと
      すると
      あの青い
      ひと寄せつけない
      炎
      いかめしく
      氷のように突っ立ち
      脅かす風情で
      待ち構え
      中で
      暫し耐えよ耐えよと
      申すのか
      申さないのか
      指
      そちら見るのか
      見ないのか
      もだえてみるのか
      憎々しげに
      ゆらいでみるのか
      そもそも
      どのような
      向きで
      指
      あれら
      たのしむ業
      託されるのか       
          

                   from Six Poems No.10 2005
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詩-Space キイホルダー

2007-12-26 22:23:19 | Weblog
     



      キイホルダー  

     
     古い映画を見た
     昨日のことのようである
     明日のことのよう
     とは言えないから
     黙って
     紡ぎ合わせ
     黙って最後まで残る
     あの年からの数を数える
     それを消す
     手にしっかりと握りしめてみる
     
                  30 Sep 1987
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詩-Space 念ずる

2007-12-25 20:49:49 | Weblog




       念ずる



     滑る
     などと初めから
     口にせずに
     ギザギザの石の歯立つ
     斜面で
     角当たるたびに
     それが
     生々しく迫るので
     決意の
     するな
        するな
           するな
              するな
                 するな
     藍色の空に
     念ずる言葉
     きれいに
     どこまでも
     みごと
     完璧に
     並べる
     並べて
     しない
        しない
           しない
              しない
                 しない
     なぜならば
     なぜ
     ならば
     することは毒すること
     だものな
     毒するとは
     曇らせる
     こと
     なんだものな
     灰色となりついには
     闇の色の
     にゅ 
        にゅ 
           にゅ
              にゅ
                 にゅ
     席巻して
     もう元には戻せない
     戻せない
     戻せないと
     なるんだ
     ものな          
           
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詩-Space 雨 その一 

2007-12-23 22:24:00 | Weblog



     雨 その一



    降りおちて
    輪ができる
    その外
    その内に
    輪
    円が重なる
    誰も頷かないので
    昼回る頃
    梯子持ちだし足をかける
    その音なく現われ
    また去ろうとするひと
    円を描き
    輪を描き
    その内に
    その外に
    運動ひろげる
    地の上からみっちりと
    濡れ
    更に濡れる
    高みへと
    駆られるようにして
    足をかける


                     from Six Poems No.10
                

   

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詩-Space 空 1

2007-12-20 12:09:18 | Weblog


      空 1


     地の上に
         タイトルを
     ポンと
     旗のように
     掲げて
     閉じますか
     今日の
     蓋

     見えない
     だろう
     な
     上から
     では



                        from Six Poems No.4  
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詩-Space 頬杖

2007-12-19 12:37:09 | Weblog

   


     頬杖


    
    粘土をこねくり回すのなんか
    下手
    言い訳などして
    妖怪めいたものをかたちづくる
    こねて元に戻す

    おもえば
    二年も三年も雨つづき
    そんな空
    別物につくり変えるべきだろう
    サリサリッと音を立て
    折りたたんで仕舞いこみ
    あんたアホやな
    手のひらはツルツルなの
    みんな滑って消える
    一部始終はビデオに収めてある
    千メートル離れて見る
    なつかしいむかしの
    思い出の数々
    下手だったのだ
    頬杖  
  
    

                           1991
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詩-Space 母の音

2007-12-18 12:47:31 | Weblog
      

        母の音



      足音
      ひとつ
      春
      夏
      秋
      冬
      ひとつの
      なかに
      その
      ひとの姿が
      充ちる
      そのひと
      だけの
      ひびきが
      見える
      遠い
      母が
      歩む 



                      from Six Poems No.1
  
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キッチン外のネコ/いまの時間

2007-12-17 13:33:46 | Weblog



以前から、キッチンのすぐ外に容器を置いて、ドライのキャットフードを入れておくのが習慣になっている。自身の住まいにネコはいない。別のペットがいる。
この前までは、いつも近辺で見かけていた白黒のネコが、ワタシの処に来る中心だった。時にトラ毛の、首に鈴をつけた家ネコらしきのだとか、他にも稀に食べに寄るネコもみかけることもあったが、ともかく中心は、その白黒。
それが10日ほど前に別の体の大きな白黒のネコが現われ、どうも辺りを縄張りにしてしまった模様。前の白黒も見かけなくなった。キッチン外の草叢向こう、ブロック塀手前に置き去りになっていた袋の上を居場所にして、そこで眠ったりなどしている。姿の見えないこともあるが、またそこに戻ってくる。戸を開く。相手は外で生きてきたちょっとキツイ目で、こちらを見る。姿を見ると餌をやりたくなる。ドライのものだけではなく、缶詰、あるいは他にも食べそうなものがあるとあげる。
体の大きな、明らかに雄猫。眼が鋭い。人には慣れていない。そうした姿を見ていると、これまでどんなところでどのように生きてきたのかと、思ったりなどする。その大きさを見ると、誰かに餌など与えられなくても、これまでも生きてきたし、これからも全然、問題なく生きていくだろうことが分かる。でも今、そこに居場所を定めて、食べるものを見つける必要のないような状態。すぐに平らげてしまう食欲。彼にとって、今の時間はこれまでの生活からすると、どういうものとなるのか、興味がある。恵まれている状態と言えるのか。ともかく、他のネコは近づけないようだし、近づこうとすれば、彼は排除するだろう。そんなネコ同士の鳴き声を、きいたこともある。
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詩-Space すずを鳴らして

2007-12-16 11:56:38 | Weblog

 


     すずを鳴らして


    あそこのあれ
    あれ
               あれをどのように
         どのように
    埋めたらいいのか
    あの
    あそこの
    どちらを向いても
    どちらを見ても
    ぼうぜん
    ぼうぜんと
          ぼうぜん
               ぼうぜんと
    目をまわす
    遠さ
    だから
    ただ
    すずを鳴らすだけ
    すずを振るだけ
    りんらん
          ろんろん 
               ろんりん
    かなわない
    かなわない
    かなわないと
    すずを
    鳴らす
    遠さに
    かなわない
    かなわない
    かなわないと
    うめき
    上げつつ
    りんらん
          ろんろん  
                ろんりん
    すずを鳴らし
    すずを振り
    ただ答を
    答を
    答を
    答を
    どこまでも
    答を
    壁のむこう
    壁のむこうに
    壁の向こうに
    さぐらずには
    いられない
    あの
    あの
    あの
    果てしのない
    遠さに
    ひきさがれない
    さがれない
    さがらない   


 
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アポリネールの詩集「アルコール」、ミラボー橋

2007-12-14 21:34:35 | Weblog



ギヨーム・アポリネール Guillaume Apollinaire(26 Aug 1880-9 Nov 1918)の代表詩集「アルコール」(1913年刊)。その代表的な長詩、「地帯」。
それはこんな一行で始まっていますね。


   とうとう君は古ぼけたこの世界に飽いた


彼の精神に相応しい、思いのままの斬新な表現。それに刺激を受けてのギンズバーグの長詩「吠える」というようなものも、1950年代になって生まれていったように思えるのですが、「地帯」のこのような部分にも、心ひかれます。


   今や君はパリ市内を歩いている 群衆に混じって独りぽっち
   君の身近をバスの群羊がごろごろ吼えながら走りまわる
   恋の悩みが君ののど首を締めつける


長い、長い作品。エネルギッシュ、表現豊かな言葉に貫かれています。
この詩集の中に、「ミラボー橋 Le Pont Mirabeau」があります。シャンソンでも歌われている、その詩。
ここで思うのは、言葉のことです。自身は堀口大学訳の言葉に慣れて、他の訳者の例えばこの詩に触れた時には、どうにも受け止めようがないほどに失望しました。全然別の詩、というような印象。伝わってくるものを感じない。堀口訳がしみこんでいて、それ以外には考えられなくなっているわけですね。でも、あるいはすぐれた訳者によって、もっと別なすぐれた訳詩がなされることもあるのかもしれない。そうであるとしても、こちらにとってのミラボー橋は、堀口訳以外にはないということ。もちろん原詩に触れ、それを自分のものにすることがベストであることは言うまでもないことでしょうが。
その堀口大学訳の「ミラボー橋」を、ここに。


      ミラボー橋


    ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
        われらの恋が流れる
      わたしは思い出す
    悩みのあとには楽しみが来ると

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る

    手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
        こうしていると
      二人の腕の橋の下を
    疲れたまなざしの無窮の時が流れる

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る

    流れる水のように恋もまた死んでいく
        恋もまた死んでいく
      命ばかりが長く
    希望ばかりが大きい

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る

    日が去り 月がゆき
        過ぎた時も
      昔の恋も 二度とまた帰ってこない
    ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る



ルフラン部分だけ、原詩のものを。


        Vienne la nuit sonne l'heure 
        Les jours s'en vont je demeure

詩集「アルコール」の中で「地帯」は特別な位置に置かれるものであるけれども、他の作品のなかでこの「ミラボー橋」、万人の心深くへとしみていくもの思わせる絶唱、抜けた位置に置かれるものですね。      
 
 
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詩-Space あなたに

2007-12-12 12:55:06 | Weblog



     あなたに


     言いたいことの
     ありすぎる
     この旅には
     創り出されたような
     奇跡
     などということが
     あるとは
     思えない
     死者復活
     遠いあの地に消えた
     ひとはもう
     戻りません
     あなたの
     あなたの
     あなたの
     あなたのもとには
     もう
     もう
     もう
     いくら待てども
     戻りません
                  けれども
             あなたは
        ゆめを見    
     くるしいほどに
     ゆめを見
     ゆめのあとに
     ゆめのあとに
     もだえるような
     ゆめのあとに
     くるしみ
     くるしみ
     くるしみ
     くるしむ
     ゆめのあとに
     くるしみ
     くるしみ
     くるしみ
     もだえる
     ながいゆめのあとに
     その帰らぬひとの
                  帰らぬ
           あなたの
     いのちのような
     そのひとの蘇りを
     あじわえる
     ことも
     この旅には
     ある
     のです
       



                        from Six Poems No.2
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失くしたもの、リターンズ

2007-12-08 22:36:52 | Weblog


毎年寒さが始まる季節になると、手袋を買う。そうして決まったように、使い始めてそれほど経たないうちに、どちらか一方を失くしてしまう。失くするのは、こちらだけのことではないようだ。路上によく落ちている。そうした手袋。
非常に慎重になっている。昨年、またその前の年。絶対に失くさないようにと注意をしていた記憶がある。そうして失くしているわけだから、今年、それを思いつつもどこか自信が持てなかったのも仕方がなかったんだろうな。今までが、今までなのだから。だがしかし、失くさないようにと心がけていながら、手元から消えてしまうのは、結局は不注意ということになるとしても、なぜなんだろうと問いかけてみたくなるようではあるね。
それで、今年も一昨日、家に戻った時に気づいたことに、左手の手袋がない。自転車で帰ってきたのである。前のカゴにバッグや買ったものの袋、手袋は使わずにそこに入れておいたはず。カゴの中のものを家の中に持って入る時に、気づいていない。失くしているとは思っていないわけである。そうして、ないことに気づいた。仕方ないな、と思う。でも、気になる。簡単にあきらめることもないかな。思って、引き返してみることにした。だいたいあの辺り、と思えるところに。店に入った、ずっと先のスーパー。そのあたりが可能性のある場所。それよりもっと先の経路については、距離がひろがりすぎるし、考えられない。ともかく引き返してみた。だが、結局は無駄足だった。
残ったのは右の手袋。右利きだから、都合が良い。左手は必要に応じてポケットに入れればいい。当分はそれで良いだろうと思っていた。また買うのは、シャクという思い。どうせ、また失くするんだから、と。
昨日の朝のことである。歩いて出かけていた。失くした手袋のことなどは全く頭になかったが、方向としては前日も通った場所。広い道路沿いの歩道。家からは15分ほど来ている。前日、探しに戻った場所あたりからは遙かに離れている。
道脇に低く立った、枯れ木の細い幹のようなものの上に、黒っぽいものが見えるのである。寄って手にとってみると、前日失くした自分の手袋。そこでカゴから落ちたというわけ。考えられない位置。全く意識になかったということだね。お手あげ、のこと。どなたか、拾ってそこ置いてくれた方に感謝をしないといけないということでありました。
失くしたはずのものが、また自分の手にあるということ。それは不思議な感覚のともなうもの。無いはずのものが、またある。運命の不思議のようなもの。たとえば、途切れたはずの相手との交わりのことなども、そう。本当は、もう無かったはずのものだったりする、だが相手とそこにまたいる。不思議な思いのする心持になることでは、同じでしょう。などということも感じさせられ、思わされた今回。
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クロフネの子「ユキチャン」、ですか

2007-12-08 14:53:33 | Weblog


午前の時間、買い物などに出ていて、ラジオの実況中継を聴きだした。丁度中山の2R、2歳未勝利がスタートしたところ。じきに、「ユキチャン」という名前が出てきた。白毛だという。へええ、と思った。真白の馬が走っている。眼の前に浮かぶようだ。先行している。頑張ってくれたら面白いな、と思いつつ聴いていると案の定と言ったらいいのか、落ちだしたという。全く無知識だからどの程度の力なのか分からない。ただ白毛の馬のイメージからだと、最後まで粘り切れる感じがしないような。よって落ちていくのが予想しやすいパターンのように思えて、やっぱりなと思いつつ。ところが、最後のところにきてその名前がまたでてきたのである。落ちていったままにはならずに、盛り返したというわけ。おどろき。2、3着までに来たのかと思っていたらゴールラインでは、一着。白毛馬で勝ったのは、二頭目であるのだとか。クロフネの子、ということを知った。だったらダートだし、勝ってもおかしくはないんだろうなと思ったけれども、それにしても印象的だっただろうな。真白な馬が真っ先にゴールラインを抜ける姿。
後で新聞で見て牝馬のユキチャン。母親の名が、シラユキヒメであることを知った。なるほど。名前からして白毛馬。芦毛の父親より、そちらの遺伝の方が強かったのだろうけれども、でもパワーは父親からのものを充分に受け継いでいて欲しいもの。いやいや、受け継いでいるからこそ勝ったわけですからね。
これから500万に行っての活躍、たのしみですよ。

明日は、朝日杯ですがーーーー。
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あちらは違法、アルコールは合法

2007-12-06 22:38:06 | Weblog
図書館から借りた一冊、植草甚一「カトマンズでLSDを一服」1976年初版晶文社。ちょっと強烈なタイトル、という印象である。個人的には、久しくこの幻覚剤LSDのことを耳にするというようなこともないけれども、彼がこうした原稿を書いていた70年代の初めにかけての時代は、その方面の研究がなされたり試されたりドラッグをめぐるさまざまなことのあった時代。またヒッピーたちの時代なども過ぎた頃だから、そうした方面にも関心深かった彼のものとして、普通に考えられ面白いタイトル程度に受け止められていたものなんだろうね。誤解のないように、もちろん植草さん自身は、LSDをやるようなひとではなかったわけだけれども。
ただ、今の時代の感覚からすると、ちょっとはばかられるようなタイトルだな、という気がする。言い変えて、「カトマンズで覚醒剤を一服」などとしてみれば、それはちょっと無理だろうという印象。LSDと覚醒剤では性質の異なるものだと思うけれども、ともかくちょっと軽めな感覚でそのように、という調子ではいけない、過剰なものを感じさせるだろう。今の時代では。
この本の中にマリファナのことなどもでてくる。マリファナ。見方もさまざまで、自身にも詳しいところは分からない。昔、吸った経験はあるけれども、自身の場合には、とくにどうというほどの大きな感覚変化もなかったように思う。だが、違法なもの。近いところで、某大学のラグビー部員がそれに関わり、大問題となっている。逮捕者も出している。そうしたニュースに接しながら、違法ということは分かるが、何故に、どうしてそれが違法ということになっているのか、自身もそうであるが一般的にも知られていないのではないか。覚醒剤などと同じようなものとして受けとめられているのではない? 全然違うものであるはずだけれども、それほどに分かってもらえていないのではないか。どうなんだろう。気になる。メデイアにしても、そうした報道のさいに説明することがあってもいいのではないか。どこまでいくと害になる、どのような性質のものであるのか、云々などのことも時には知識として。
そうしてこちらは合法のもの。だが「気ちがい水」とも言われ、その摂取が原因で事件も起きているアルコール。殺人につながる事故も起きている。
我々は法に従うものだけれども、良く分からないままに従っていることも、多々あるのではないかな。そんなことも外、歩きながら思っていた今日。
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