月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

西脇順三郎 / 詩集「宝石の眠り」から「まさかり」

2020-07-15 23:28:34 | 文学

 

          まさかり

 

夏の正午

キハダの大木の下を通って

左へ曲って

マツバボタンの咲く石垣について

寺の前を過ぎて

小さな坂を右へ下りて行った

苦しむ人々の村を通り

一軒の家から

ディラン・トマスに似ている

若い男が出てきた

私の前を歩いていった

ランニングを着て下駄をはいて

右へ横切った

近所の知り合いの家に

立ち寄った

「ここの衆

まさかりを貸してくんねえか」

永遠

 

 

詩というと西脇順三郎。バッグの中に入れておきたいものが、その詩を読める文庫本、他の本。「宝石の眠り」は未刊詩集だったもので1963年に西脇順三郎全詩集が刊行された時に入れられたもの。この「まさかり」もなんとも言えず彼のものらしさがあって印象に残る。ウェールズの詩人ディラン・トマス(1914~1953)のイメージが出てくるのもそうだし、新潟弁も味を与えてくれている。というよりそれがあるから同県人の私には印象深いのかもしれない。この「ここの衆」は、「ここのしゅう」ではなくて新潟弁では「ここんしょ」。順三郎さんも表記の仕方を考えた筈。新潟弁では、「ここんしょ、まさかり貸してくんねえか」。彼は小千谷(おじや)の出身で、私はすぐ隣の地域の出身。だから彼への親近感も強い。この詩集の中にもう一箇所、新潟弁の言い方として出てきているものと思えるところがある。そしてそれは知らない人にとって捉えがたかったりするのでは?  そんな部分。

「ローマの休日」という130行以上の長い作品の中にあるこんな部分

 

黄色いキウリの花が咲いて

いるだろう

女は

「いいてえ」といっているだろう

河原に流れてきたアカシヤが

とげを出して砂利取りのトラックが

休んでいるだろう

 

「いいてえ」と女が言っているという部分。「いい」ということでgoodという意味にそのままとれれば良いけれども、「いいてえ」と訛りの言葉に変じているところで分かりにくくなっているということと思う。いずれにしても何に対して言われているのかは不明、だが順三郎さんの生まれた地方に深く関わる訛りの言葉がある。それが何かそこの空間ならではの地方的イメージを何かわからないままに通りすがりのように喚起する。彼の作品の中ならではの言葉のタッチの中で。

 

最後の言葉、「永遠」はもう彼の世界では不可欠のしるしとして置かれるべきもの。時空を超え向けられ繋がる現在現実イメージ。現在の中の永遠。永遠の中の現在。ということは途方もなくかけ離れた意味を持つそれぞれの言葉もまた、その間に距離はなく同じ次元で繋がり合うものと捉えることができる。順三郎さんの詩を読んでいてのたのしみは途方もなく遠い言葉の隣り合わせに触れること。イメージを味わうこと。その数行を読むだけで満足して本を閉じることもある。

 

 

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詩-Space This ia your time

2020-06-11 19:29:27 | 文学

 

                                          This is your time 

 

This is your time

質問X

時間は味が良いもの?

時間は齧れるの?

ズボンを攀じ登ろうとするシャムの子猫ヌックの爪が痛い

それは時間のせい?

質問B

時間は裏の部屋の硝子戸の外にあるもの?

つまりは桜の樹が立つ裏庭

絡まるの?

点在すると言われたという

嘘の時間

待てば来るものなので

敢えておいでとは言わない

質問D

時間は絞れるもの?

するとキリキリなどと行く先に

捻りを入れる

ズボンを攀じ登るキジトラの子猫ヴィックの爪が痛い

それは時間の冷たさのせい?

会わせたくないので

切り離した時間仕立てを要望す

サンドウィッチの形

質問F

十二色のうちどの時間を選べば良いの?

走る色は夕暮れに馴染まない

決定は神任せ

不在時間の象徴は髭

生やして

消費の日々へのアドバイスなどする

でも簡単に言えば

時間は下から攀じ登ってくるものではない

爪があるから痛いものでもない

 

 

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詩-Space  ゼロ

2018-04-05 15:37:48 | 文学

                 ゼロ


ゼロ

何も無し

階段そのものがないと

時間外して

所在に探査の眼

空のBig Bearまで伸長

接近すること

ひらめき

飛翔だったのか?

説明求むを宇宙掲示板に

message

出せば返信あったものか

抱えきれない

ゼロ

籠に入れてぶらん

ぶらんさせる

島国で

一億年は待つこと

已む無しと

最後

 

 

                         

 

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詩-Space  港

2018-02-18 21:51:35 | 文学

 

                          


どれだけ時間

置けば

仕込みたっぷりと

永久の彼方行く雲のこと

など

眼の上

指のせ

声ない声で

淡々

Taaaaaaaan

話せるんだろうね

乗るに

試しの日々重ねて数十年

なのだと書いた

記憶に残る

ひと

探れば見つけ出せそうな

この世

おおおおおおい

おおおおいと

夜明け時

放ちに

幻の

 

                     November 2015


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詩-Space  neighbor記  その七  

2018-02-13 00:01:03 | 文学

 

                                    neighbor記  その七



あの過ぎ去りし日彼ら誌上の語り合いした宇宙楼かなた薄紫に霞む

雨粒残る外円卓にてその向きに潜むもの探るも指かけること能わず


土手の下gun-gun永遠方向に曲がって走る黒猫見えて

あれH氏の袖下あの日通り抜けたMaryだよと脇で声する


交差点至近に引き寄せ伝統技法で織り合わせる手に慣れを見っ

やってきてくれたね永遠にここに留まるみたいにと山頂語


解明できるのか訊ねるのはそこを辿るひと再び逆方向に同時に走り出す

この流れは超時間事項なんだと振るのが帽子下変わらぬ空気頭

 

 

 

                      

                          

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詩-Space  neighbor記  その六

2017-12-31 06:00:02 | 文学

 

                                 neighbor記  その六

 

 

ただこの辺りにいたいだけだというこの辺りの白い地

そこに転がす転がされたい瑠璃色の球だとか意地悪少し

 

狙いはただ一つというわけではない数を言うとまた眼が回る

消えた軍隊さえ所属探る声受け幻の森向こう揺れて通り過ぎた

 

ついには中枢到達ならずmoan-moan巡る愉しみと変ずる

今日の温風昨日の妄流通り抜けるは後方に波打つ萌える毛髪

 

切り裂くように凡庸な走り書き抜けさせても良いのだ日中

御託宣のようにいただく夢のご褒美のなんと形薄いものかと

 

 

 

             

 

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詩-Space  heaven's library

2017-10-29 16:20:49 | 文学

 

 

        heaven's library

 

 

これからheaven's library

と書いたその行

赤文字にしたのは

と説明向きにはしたくない

ところで二行目は

皆勤

 

それを一転

説明向きに変えると

カフェalma corazon y vida

閉店まで耳に鍵

 

その先は誰も知らない

知らせん一言

約束破りの今日の清新な扉

いつもの指でしかと開いて

見え来るこの世

なればこその奇跡する空気に

瞬時

あなたに突かれる

という処に何故は禁句

infinityは透明

 

カフェ脇再び斜めに逸れつつ

まとめて全方位

読む脳究明

急いで

あの日はheaven's library

回転ドアーが

不可聴擬音

背中合わせに時過ぎ

 

 

           *alma corazon y vida/ラテン曲の"たましい、心、そして人生"

 

                                

                                                  

                         

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詩-Space  neighbor記 その五

2017-09-06 23:04:25 | 文学

 

             neighbor記  その五

 

 

現れ出た言葉そのまま生かしては景色に縛られるの愚 

ありますかと問う外壁上の青ペンキ文字そのむかし見た

 

という景色何故にか変わらず叩くはhospitalの門

架空めいた黄薔薇の縁どり透けて見える奥の虹色噴水

 

どれほどの月空(から)振り状に過ぎたか浮き出し見えた

一切という言葉の中詰め込みすぎれば弾けて別の一切覗けた

  

流れゆく家閉めれば先はなしと夕陽に焼ける天に架けた鍵仰ぐ

伸ばせば届く地の上あるわけではないと浮いている訳も言う

 

 

 

                

 

 

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現代詩 / 全然分かりません。分からないということだけが確実。のことなど。

2016-09-08 00:08:58 | 文学

かつて特に読んだ記憶のない吉本隆明(1924-2012)の著書。今読んでいる筑摩書房2015年9月10日刊(偶然にも私の誕生日と同じ日)「詩はどこまできたか」は講演集であるので、書かれた評論ということではないのだけれども、とくにタイトルになっている「詩はどこまできたか」の一篇は1995年4月の慶應義塾大学文学部での講演からのもの。朗読することの困難な詩人たちの作品が各所に挟まれていることからしても、講演そのままの形からのものというより、講演内容を軸に構成されたもの、ということになる内容。

 

ここに書いてみたくなったのは、明治以降の詩の流れを見、昭和に入っての西脇順三郎、金子光晴、三好達治、中原中也、宮沢賢治、鮎川信夫、吉岡実、黒田三郎、田村隆一、谷川雁、吉増剛造と作品がとりあげられていく中で、「意味も解らない、なにも解らない詩」である吉増の作品などを言葉の格闘に於いて最も先端を行っているものと見、また例えば田村の「四千の日と夜」にしても、吉岡の「僧侶」にしても、「読んでいてもなにを言っているんだかさっぱり分からない」という領域に入っている現代詩の流れ、その意味するところなどについても書いているわけだけれども、この講演文の一番最後にある一行、最も最先端にあると彼が言う吉増詩表現のある位置について、「多分それは現在の日本の社会の状態を象徴するに足る場所だと僕は思います」の言葉。それに刺激をされてしまったことによる。

 

吉増作品をとりあげ、「全然分からない、分からないということだけが確実」と評するあとにくる吉増の詩表現の意味、日本語での言語的幅、その詩的到達世界、諸々書かれているのを読みつつ、かつてほんの少しながら吉増詩、自身にっては彼の特別な才能、知性、表現能力、超えた表現世界を知る思いだけだった詩誌に掲載されたある作品に触れた時のことなど、思い浮かべていた。吉本さんの言うような「最も先端」とするような見方。それは一般的に世界において詩表現の分野で、やはり同じように意識されるものなのだろうか、興味深い部分。科学技術他の改良あるいは発見が現時点における最先端と認識されるもののように、文学、その詩においても、これが最先端というような見方も、評価として普通に出てくるものなのか。純粋に文学畑の人間は、最先端というような認識とは別の、把握表現をしても良いように思うけれども。

 

いずれにしても、「現在の日本の社会の状態を象徴するに足る場所」という形で吉本さんが結びつけたことに対する自身の、思わぬことに出合ったような感覚。瞬間、何か捉えどころのない対象の何処に焦点を向けて考えたらよいのか、皆目分からないような戸惑いを覚えたのだけれども、象徴されるのは「混沌」ということになるか。混沌も、それを表現として形成すに当たっては多様な仕掛けも、意匠も、配置も必要。その詩作品となった形は、「全然分からない。分からないといことが確実」という窮極、謎の構築物と言うべきもの足らざるを得ない? 社会状況を象徴する場とも映る、言語表現の極み、のような詩作品。というとりあわせ・・・・・・・。むづかしげな世界、覗いてみますか? 

 

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脚本アーカイブス・シンポジウム2016で岸恵子さんのお話も伺えること

2016-01-27 16:53:24 | 文学

昨日1月26日は、今年70歳定年となられる早稲田大学文学学術院教授N・K先生の、学部の最後の授業を兼ねた教授としての最終講義ということで、私も関心深く教室になる戸山キャンパスまで。2008年からエクステンションセンターの方の講座受講で、もう今年2016年で8年目。N・K教授には、そちらの4月から12月までの通年講座で3年つづけてお世話になったことがあり、最終講義は先生にとっても感慨深い特別なものである筈、その場で是非ともお話と共にご様子など拝見したい、という気持ちが強かった。いつも行くのは本キャンパスの方で、行くと必ず寄る演劇博物館に、昨日も戸山キャンパスに行く前に。そこでたまたま手にとったのが事務関係の部屋の入口近くに置かれていた、案内を兼ねた下画像のポストカード。思わず目が行ってしまったのが、「岸恵子」の名。それだけでも、何か特別に思えたこの参加をされるという機会。小野記念講堂で、入場は無料という、そこでの催しのいつもの形。1932年8月のお生まれだから岸さん、現在83歳におなりということ。原節子さんのように引退後表舞台から全く消えてしまった方と違い、ずうっと表舞台を歩いてこられた、女優として言うまでもなく超特別な存在。最近でも旧い時代の映画、若い時代のものをあれこれと見ているけれども、数日前に見たのが、1953年の中村登監督の「旅路」。岸さんは、まだその時二十歳ですか。佐田啓二、若原雅夫、月岡夢路などと共演。岸恵子さんを拝見し、お話をうかがえる機会など殆どあるものでなし。これは絶好の機会なのでは?  と、ここに載せてみたくなった次第。申し込みについては、はがき参照で。 

 

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西脇順三郎詩/元旦/元旦のことば

2016-01-05 22:16:48 | 文学

  

前記事で触れた詩集「鹿門」に収められた作品に、丁度今の時期に重なるタイトルの上記の作品を見て、ここに。世間での正月や元旦のことばと言えば、年賀状に見られるような、お定まりの形。そこでさて、詩人は如何なるようにその思いを表現するものか。ということでは、西脇順三郎世界ならではの表現に触れて、その行方を探るたのしみ。「ふるさとへの永遠の回帰か」「たださがすだけだ」という、それぞれの作の最後の一行。そこに至る特有な世界交感。そして時の中の心の運動、move。

 

                                                                           *****

 

順三郎さんの詩の中にしばしば現われる「永遠」。永遠という時間。誰しもが、おそらくは限りなく遠い時間としてそれをイメージする。そういうことはあるのだが、「物質のないところには時間はない」、ということを最近思ったりすることが多い。つまりは、時間のある場所は限定されるということ。時間のない場所には、永遠もないということではない? ということなど思ったりして、彼の発する永遠はそうした絶対無は見ないものなんだろうな、等々。

 

                       

 

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西脇順三郎詩に生まれ故郷の地名を見るのは特別

2015-12-14 08:52:07 | 文学

特別な、というのはやはりある。まさか、彼の詩の中に故郷の地名が出てくるとは思いもしなかったことだから、最初にそれを"発見"した時には、いわく言い難い深く根に触れてくる感覚を覚えたもの。「旅人かえらず」(1947)、「近代の寓話」(1953)、「第三の神話」(1956)、「失われた時」(1960)等の詩集の作品を好んで読んできてその後に読んだ、76歳時の1970年に筑摩書房より限定1200部で刊行された詩集「鹿門」。その中の「遠足」という18行の作品の中に、その地名は現われる。「小国」である、「オグニ」。                                                                                          西脇順三郎(1894-1982)。新潟県小千谷(おぢや)市の生まれ。私の生まれ育った小国は、その近隣。1958年には作家谷崎潤一郎と共に、ノーベル賞候補に。1960年から64年にかけても候補になっているという、日本の詩人として傑出した足跡を残した人。オックスフォードでも学び、長らく慶応義塾の教授をされた。慶應の卒論を確かラテン語で書いたということなど、自身などには信じがたい。

 

        昭和8年 39歳

             

 

    昭和32年 書斎にて 63歳

       

  

          

         

 

 

その76歳時刊行の詩集(1967-1970年の作品より成る)のタイトル、「鹿門」。興味深い。中に、「ロクモン」という作品がある。その漢字表記がタイトルになっていると思えるのだけれども、その繋がりが容易に解るというものでもない。1929年に「超現実主義詩論」を刊行した人の世界は、どこまでも自在。例えば、その作品「ロクモン」。「ああ/崖を見にまた/川をわたって/枯れたオナモミにふれ/だまって歩いたそのカクランの/アヴィニョンの酒場の女たちの/ヒシとりのキツネづらの裸の/女の生物の幾何学的の苦しみ/西瓜の半月の白いブドウの/むらさきの梨のたまごの/すべてのうす青のタイシャ色の/コンランの中にとりのこされた/やがて茶色のウドンをたべて/二階でセザンヌ的二人の農夫が/やせこけた指でヒシャー/見にあがったモリヤ的階段を/地上最大の現象の結晶した世界/窓から坂をのぼって行く男が見える/ロクモンらしい/野桜をかぎにきたのか!」。                                                                                                      見えている男が「ロクモン」らしいけれども、「鹿門」には人間の男と関わりあるイメージはないから、象徴として込められた何かしらをそのタイトルとしているということなのだろう。唐詩などに鹿門という言葉が出てくるけれども、そこでは山の名。ただその言葉のイメージから使われたのだとすれば、詩集に選ぶに魅力あるタイトルに思える。

イメージが何処に飛ぶものか解らない。そうした言葉の連結、繋がりをその世界とする場では、湧いてくる不思議を見てたのしみ嘆息する、ということなどある程度に行けばいいのではないか、という感覚的つきあいが自身の場合には西脇順三郎詩を読む場合の中心のひとつであるように思うけれども、その彼の作品の中でも、ここでとりあげた「遠足」。タイトルそれだけでも珍しいという感じがする。本来の彼流からすれば、「オグニ」というタイトルにきそうである。70代の彼ならではの、「遠足」選択なのか、でもそれにもまた味のあることであるし、印象に残ることは変わりがない。「子供の僕は疲れ果てた。」というのと、遠足。 小千谷から小国までの徒歩? 彼13歳前後のこととすると、1906年明治39年前後のことでむろん小国からも小千谷に歩いて行っていた時代。でも小学生が片道だけでも何時間もかけて歩くものだろうか? 距離にして片道12キロ位? 確かには解らないけれども、昔の子供たちはその程度の距離は歩いたものなのだろうか。自身は中学生の頃バスで行ったことがあるものの、どうも距離感の記憶が曖昧。ただ、感じとしてその気になれば大人でなくても歩いて行ける遠さ、という感覚は残っているのだけれども。

 

 

小国から小千谷への国道403号線。今では車で僅かな時間。

 

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Six Poems No.17発行

2015-10-29 00:41:26 | 文学

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詩-Space されば、realization

2015-02-18 09:35:30 | 文学

                                           

                               

 

 

                                            さればrealization

 

                                                                  1

超えては困る時空なるものあちらの要望に従い区切られているのでhaah-haahするほどになやましい困難

をかんじるのだとワタシは言うA・Wも言ういやいやワタシが言う

 

                            2

 

なにが時空なるものなのか思えばそれは在りて無いものダンスもできないairのごとしで初めから無いものな

のだと大嘘つきのtabby Meg昨夜帰りがけ運動公園のコース上

 

                             3

 

降っておいで奇跡緑の風に颯爽と七つの海も滑り渡りあの日とこの時ひっくりかえす自在魔術の大公開さる国

或る無名歌手の声いまそこに響いて共鳴の波自ずと白く立つ

 

                             4

 

tabby Meg大嘘つきなどではない別の夜月の兎申すによりてその旨彼の世の者に伝えればhahahaha-ha

hahaha返る声あり宇宙七回り半を経ての懐かしき変わらぬ声響

 

                            5

 

使い慣れwords手足に余る過剰数あるので髪でいこうか膨らませるもついにはひとつには帰するの嘘のよう

本当のびらびら舳先で向かうは眺めの裏側その裏のbackward

 

                                                        6

 

翼なのか飛ぶ靴なのか選ぶ朝にはdanceのひとつなぎ経て滑るように発進したものと懐かしみ語る人あり辿

り見るまでもなく巨像となりしヒーローの美名言うまでもなし

 

                           7

 

等々進みて止まないkeyの足踏み音放ちて彼の雲上へと昇り虹通り抜けまた地の上這うというほどに合意済

みの流れ限りある容れもの満たすに使う手留まるところ知らず

 

                                                       8

 

無論異郷の薔薇の香りする泡弾くbathtubでI'm leaving on a jet plane 底から拾い上げ歌う超時間

住み宇宙者の眼に甦る某年某月某日某時某秒そこに在る時見えた彼の鳥いま確かに此処

 

                             9

仰いで聞く処によれば未来時通り抜けると巨大化するtunnelあり蟻も瞬く間に巨獣変化一帯巨躯新種のオン

レード世紀の出現もある鮮やか月も変わらず天の端飾るのだとか

 

                             10

 

然様にして地上時間は埋められていくその最中記憶は飛ぶのか舞うのか空間は他に無し望み限りなくとこしえ

に留めたいものありとの思い消えないものでしたね漠たる渦の中

 

                                                         11

 

 でもWatashiは頷かないそれはちがうと二光年ほどあちら旅するA・Wに言うtabby Megにも0.000007

ほどは関わりあるのでちがうことの意味は隙間を厳かに抜ける

 

                                   12

 

よって何処にも過去時間無駄入りこむ隙あったことの試し無しと通り抜け線上のこと言う人造るところの神なども

いて知る人ぞ知る美味なcakeなども巧手によりて生ず

 

                                    13

 

留めた名前なければその者をいかに辿ることができるものか埋もれていくのみの世界にわれわれは呼吸をして

いるのではないのかと海神に問われる宇宙壁の向こう側

 

                                     14

 

またわれわれ12の数を巡り続けて何処までいくことになったものかその運命の果てを知ることできるもの7も356

神秘のspaceの只中にこれまた埋もれて見えない見えない

 

                                     15

 

その背の此方にひっそり浮かび立つ青い焔は創世話のページ照らしに遣わされたものか微風にめくれて霊気漂

う水面消えると切なげに息漏らすがごとくに揺れたというある断片

 

                                        16

 

ultimateで始まるひと綴りの表明のなんと見えないことかと背後の背後に通路見つけて今日も勇壮に流れ続け

偽めいた風それでもあなたの夢裏切ることは無し

 

                               17

 

そのことでは眠りに埋もれて夢見つづける十日ひと月抜ける彼の形作る宇宙構図ときたら粘り効きすぎて何処

まで誘い向かわされるものかそれに危うい言葉避け脱帽はせず

 

                                18

 

外れるとは思わぬ自在に足入れる端緒とarrrrah-raaah発する斜面下りの朝person指す向き忘れるな外

れすぎてもそれ忘れるなそれ何象徴する姿なのか礼賛sampleともす

 

                                19

 

このひとを視よと言われるのは基地辺りの縁ある霊からに違いなしとするのはそれ果てある世界の他に見える

もの見当たらずとなれば最上のものとして拝聴す

 

                                20

 

何故ならば思い絶えずあの周辺或いはその只中を巡ること頻繁であるに望ましさ認めてひきづりつづけることと

ことんとんと囀り回るがごとくに時間割くこと無制限も推奨す

 

                                21

 

其処があるから此処淡い基地も距離の恵みを受けささやかに陽仰ぎ見る日もあるのだとキャット語にて漏らした

人いた時代もあったのだと疑いなき真理に思い致すその曲がり角 

 

 

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詩-Space Poem

2015-02-04 13:23:00 | 文学

                                  

 

                                                    Poem

 

               だから

               ね

               名称不問

               天候も不問なら

               めの色も

               性別も季節も風向きも

               sexualityも

               不問で

               発する言葉は

               どれも

               これ

               も

               立派に既にして

               有価

               物の地位を獲得と

               刻印

               あのひとがそう

               言うから

               ね

 

                                                                     Feburary 2013                              

 

 

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