月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

手書き文字のこと、あれこれ

2007-11-29 22:09:28 | Weblog
2003年の平凡社発行、植草甚一(1908-1979)|「植草甚一コラージュ日記①」を図書館から借りる時に、手書きによるものであることを知って、余計に興味を覚えた。なにか普通とはちがったちょっと味なこと、そうしたスタイルが彼には合っているように思えることだし、そのあたりからも考えられたものなのだろう。彼自身が清書をした形での自筆であるから、稀にひと文字とか訂正したりしている部分はあるが、丁寧な字体の並ぶページで読みやすい。そうして見ていて面白いと思うのは、彼独特な字体を見るたのしさのようなものもあるのだが、その字体も一定したものでもないこと、その時の気分、状態によってか文字に大小のぶれがあったりするところ。そうしたところなどに、自身がそうであるような一定した型に従っていないその時まかせなものを感じて、親近感を覚える。達筆と言えるようなタイプの文字ではない。なんとか自分独自の型の中で見栄え良く、と考えているような文字。大体普通には、このような形での出版は考えないと思う。手書きでこのように清書をするだけでも、大変なことである。でもともかく、それは一文字一文字、すべて彼の手になるもの。彼の眼が追い、指が走らせたものなのである。非常に近く、間接的ながら彼に、触れることができるものと言える。
個人的には、何人かの(いずれもたまたま詩人であるのだが)意識的に自分の字体を作り上げた人を知っていて、与えられた印象は、かなり強い。自身もその線で行こうかと考えたこともあったりなどする。彼らは、優等生のようなきれいな文字、あるいはいかにも達筆と思わせるような文字などを、全く目指していない。全く無縁である。存分に手足を伸ばし、過大なほどの自己主張をする。そのような字体である。文字が大きい。そのうちの一人の場合には、文字の中の横線、あるいは他の線にも細かな波さえ入れたりなどする、凝りようである。デザインされた文字のようで、例えばペラのパンフレットのようなものの全体を、その字体で巧みに仕上げてしまうというようなこともする。個性のかたまりのようなもの。その種の自由、巧拙を超越した独自の字体で堂々と自己表現していく。それは非常にたのしみ多いことにも思えるし、魅力も感じる。そうなるとワープロ文字などはできるだけ使わず、どこまでも手書きでいきたくなるものなのかもしれない。
そうした場合のことも含めて、手書き文字にはなにかその人の情報がさまざまな形で含まれているようでもあるし、また発することもできるような、ちょっとしたたのしみもあるようで、もっと重きを置いてみようかな、という気になったりもする。植草さんのこうした本などを見ると、またちょっと。

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人の心の危うさ脆さ、香川坂出の殺人

2007-11-28 16:07:00 | Weblog
現在のところ義弟ひとりの犯行とみられている、祖母と孫二人の殺人。今度の場合に限らず、いつも考えさせられるのは人間の世界のむずかしさ。人を殺めることなどなんとも思わない、そのような人間の犯す犯罪はもちろん別として、そこになにか原因がなければ犯罪などは発生するはずがなかったこと。普通の生活者であったはずの者が、そうした原因あって、自身を制御できないところまで行ってしまう。若しくは、すべて覚悟の上で思いを晴らすところまで行ってしまう。
そのことを思う。あるところまでは、その犯行者を責めることができない場合もあることだろう。だが一線を越えてしまえば、どのようなことがあろうと犯罪者。その責めは受けなければならない。償いをしなければならない。それは、当たり前のこと。
人の心は、脆いものである。表面なにごともなさそうに見える人の内でも、刺激が加われば揺れる。
今度の事件がなぜに起きたのか、その詳しいところは分からない。だからそれとは少し離れて一般的なところから思ってみたい。例えば身内同志の関係にあって、それがスムーズ、良好な関係にあれば、なにも問題のないところである。だが、他人であった者同士が結びつき、さらにそれに関わる人が加わるという関係の中で、当然互いに理解しあうことの難しい状況も生まれる。ひずみが生まれ、対立が生まれ、それを表には出さずに胸内に収めている間には鬱屈していくというようなことがあったりと、それは色々とあることだろう。スムーズ、それぞれが心から良好と感じる関係というのがいつまでも続く、ということは稀なのではないだろうか?
他人云々のこととは別に、例えば、兄弟の間柄などでなにか頼まれたりする場合、それは断わりにくいものである。血のつながり深いだけに、義務的にさえ感じさせられてしまうこともある。お金。困っているのに助けないということは、人の道に反しかねないのではないか。自身の経験からも、そうしたことは思うもの。こちらが断り切れずに、それを消費者金融などから調達する。そうまでしても、断われないということがあるかもしれない。現実に兄弟は、困っている。だから、お金を渡してあげなければ。それをしないということは、道に反するのではないか。そんなふうに感じ、考える人もいるのである。そうして断わり切れないことに、自ら苦しむ。強いストレスを感じる。体調を悪くする。それが続く中でガンを発症、そして死まであるとするなら、愛する者のそのような原因を生じさせた者に対して、こちらの家族の者はどのように思うことか。表面には見せないかもしれない。だが、呪い殺したいほどの恨みを内に抱いていることも、それはあることだろう。
今度の事件、詳しいところは分からないが、どうだったのだろうかーーー。
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煙草やらない人生はのっぺらぼうで気の毒?

2007-11-27 13:00:13 | Weblog
とても面白い興味深いお考え、と感じたのは、ガンとの闘いをつづけておられる筑紫哲也さんの言われたこと。曰く、「人類が発明した偉大な文化であり、煙草に代わるものはありませんよ。それを知らずに人生を終わる人を思うと、なんとものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」。
はあ、そういうことを言われますか、となにか初めて知る見方に出会ったような気がしたのである。もちろん、煙草好きな人で止める気のないの中には、それで死んだところで本望、位のことを言う人はいるだろうし、そのたのしみ、良さを知らない人を気の毒に、あるいは思ったりもするのかもしれない。まあ、概ね自分だけの愉しみのこととしての煙草で、人のことは無関係というところなのだろうけれども。
だが、筑紫さんは、「気の毒」とはつきりと言う。そうして「のっぺらぼう」の言葉。これが与えるイメージが、ちょっと並ではないという感じである。なにかいかにも、なにもなさそうである。大事なたのしみの抜けた、つるりとした平坦な眺めしかそこにないような印象を与える。
そもそも煙草がガンの原因になったりするのではなくて、誘発するのはストレスという認識だから、受け止め方がまた、違うということもあるだろう。一方で、「文化は悪徳が高い分、深い」ということも言われているようだから、煙草が悪徳側のものとする認識もあるような。そのあたりのことはこちらも良く分からないが、なんにしても、煙草のない人生は、つまらないのっペらぼうで気の毒なものというお考えなわけである。
自身、目下のところ煙草を止めて3年以上になるところ。もう吸うことはないと思っている。ということで吸わない側の感覚からすると、んん? そんなものなんですか? と改めて喫煙側にいた頃の感覚を思い起こし、考えてみることになるようである。こちらはいま、煙草の無いことが当たり前になっている。では、のペらぼうみたいになっているのか。なんだか、言いたいことは色々とあるような気はするのだが。
時にとても距離を置いて、煙草を吸うという行為を見ていることがある。吸う人の姿に感じていることがある。なんというおかしなことをやっているものなのか。わさわざ煙なんかを吸いこんで、と。それこそ、人間というのは、妙なものを考えだし、やるもの、という感覚で見たりしていることもある。吸わない側の方がノーマル、という感覚になっているようである。
だが、筑紫さんからのように「気の毒」と言われてみると、記憶の中の映画のシーンが浮かんできたり、かつて自身の生活の中にあった煙草、それが心地良く自身の気分に合っていたさまざまな場面なども甦ってきたりして、分かるような、納得したくなる思いにもなっていくようである。
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その立場に自身を置いてみる、例えば鹿児島、富山等の冤罪

2007-11-26 19:44:06 | Weblog
なにか非常に不当なこと、あるいはあってはならないはずのことが行われたような場合、あるいはまた人が不運な状況に置かれるようなことがある場合等々、いつもそれは問われることである。あなたがその立場に置かれたらどうか、ということ。
例えば、冤罪。いまメディアでも伝えられている鹿児島志布志事件、富山警察冤罪事件のように、過去にも少なからずあったにちがいない、そうした形で人の人生を翻弄するできごとがあった場合など、とりわけそうしたことを思わされる。
犯罪を全く犯していない身でありながら、犯罪者扱いにされる。その心情はそれを実際に経験した者でなければ分からないだろうけれども、その憤りや心に受ける打撃の大きさは、想像するまでもなく分かる気がする。同じ人間として、そのような現実、そのようなどん底には突き落とされたくはない、と誰しもが思うはず。たとえその冤罪が晴れたとしても、抉られ刻み込まれた心の傷は絶対に癒えるものではないだろう。
彼を冤罪に陥れた相手側は、どうか。その無実が明らかになった場合でも、言い訳、責任逃れ。心からの謝罪などは期待ができない。それが公権力側のいつもの姿勢。知ったことではない、という態度にしか普通には映らない。行われたことの深刻さ。つまりは冤罪を受けた者が、いかにそのために苦しまされたか、それはどれほどに重大に受け止めても足りるものではないはずである。それが本当の人間にとっての正しい道。だが、そこにはその欠片もない。それがわれわれの前にある、現実の道というわけである。人民のために奉仕をする使命を持ち、またそれを自覚している者も多いはずの機関にして、それが冤罪被害者に対して見せる姿勢。その内部には、それなりの事情、冤罪のままに走らせなければならない諸々のことがあったりもする模様。捜査の誤りが考えられたとしても、それが正しく反映されることなく押し通されていくようなこともあるものらしい。
無実の者を翻弄する、そうした事態。その許し難さを考える。過ちが明白となった時、当人に対し償いのために充全に成すべきこと、果たすべきことは、実際に諸々あるはず。せめてそれに応えることのできる存在であっていただきたい。
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香水、perfumeは耐えがたい臭気放つものでもある?

2007-11-23 13:31:56 | Weblog
午前の時間、コーヒーショップの通りに面したカウンター席で新聞を読んでいると、右隣りの席に女性の二人連れがやってきた。色々と話すことがあるらしい様子で、次々と言葉を交わしている。声や気配の感じからして若い女性にちがいないと思えた。こちらは、その方を見なかったし両耳にフォーンを入れて音楽などを聞いていたから、なにを話しているのかは分からなかったけれども、その時に鼻をついてきたのが、となりの女性の香水の匂い。ひかえめに仄かに漂う、というようなものではない。強引に攻め立ててくるような匂いの発散。思わず顔をしかめてしまうような、その香水であり香気であるはずのものの、臭気としかこちらには感じられないそれ。その露骨な匂いの強さは、いったい何処から来るのか、と思わずにはいられないような攻撃性をこちらには、感じさせたのだ。その時、その過剰とも思える匂いは。この無形の、だが人を不快にし、その種の害を与えるものと非難をさえしたくなるようななにか。ほどほどのところで抑えた、ほのかに漂う程度のものであれば、それは心地の良い香りともなるのかもしれない。だが辺りの空気を刺すような強烈な匂いを、これ見よがしにふりまかれたのでは、たまったものではない。
この女性二人、いつの間にか姿を消していた。テーブルを見ると、飲みものも、食べかけのケーキも、なにかしらのテキスト、ケイタイ、下にはバッグなどそのまま。どこか近くに用で行ってしまったらしい。かなり非常識な行動。店の者もこちらのテーブルを見ながら、何やら話している。そうしたことはともかく、こちらには、避けがたくやってきた、そこでの不快に匂い放つものとしての香水のことが、頭に残った。誤解のないように。香水に対して、私が常にそのように感じているということではない。たまたまその時には、その過剰な匂いに耐えがたさを感じたというだけのことである。
ただ、そうなるとただの悪臭。避けたいたぐいのあらゆる悪臭と同じようなものとなる、ということ。鼻をつまみたくなる悪臭と同じということ。
ずっと以前だけれども、同じ仕事場にいた年配の女性で、4、5メートル距離を置いた向こうからでもフンプンと、どぎつくその香水の匂ってくる人がいた。その強烈な匂いの発散と、その人の人間性、なにか屈折もありそうなその心の中のこと。なにか関わりがあるんだろうなと、思わせたものである。その発散には、その人の心が現われている、という印象。そのようにその匂いの加減、在り様の中にその人は現われているはずだし、人はそうしたものをしっかりと見ているということも、使う者は気持に留めておいたほうが良いだろうと思うね。
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Key合わなければ扉開かず、のこと

2007-11-20 23:22:25 | Weblog
鍵が合わなければ、扉は開かない。どのようにやったところで、固く閉じたまま。
その鍵である、key。人間同士においても、同じ。keyの合わない人間というのがいるものです。よって、相手の中には入ることができない。さまざまな性格があるから、そういうことも起こりうるでしょう。それはもう多方面、諸々の場合にあることで、改めてここで言うまでもないことではあるけれども、ちょっとまた触れてみたいことがある。
先月、このブログに投稿して、その翌々日だったか、削除してしまった記事で触れたむかしのエピソード。そのことを巡って、また少し考えてみたくなったのである。そのkeyのことを絡めて。
大学一年。科目、「文学」。二つのテーマからどちらかを選んで、りポートを提出ということになった。30代半ばのT教授は、既に作家としても知られた人。そのリポートのことを私はすっかりと忘れていたのだが、10年ほどのち、押入れの中を整理していた時にでてきたのである。読み始めて、それを書いた当時の自身のことが突如としてリアルに甦ってきた。自身の感覚にどっぷりと溺れているような文章、文脈。辟易とさせられる思いになっていたところに、最後のページに赤ペンで、教授の評。「この文章は、真面目に書いたものとは思われない」。そう書かれてはいたが、採点は、60点。私は、真面目に書いたのである。真面目に、思うがままに書いたのである。
だがともかく、10年後にそれを見、教授の評を読んだ時に感じた言い表せないような自己嫌悪。穴があったら入りたい、というような感覚ではない。どこまで逃げ込んでも、その自己嫌悪感は消せない、というほどのものだった。それを読んだ教授がどこかに生きている、それを思うだけで耐えがたい思いだった。実際には教授は若くして、私が講義を受けた3年ほどのちには、亡くなっていたのであるが、その時にはそのことを知らなかった。ともかく、自己嫌悪。それを読んだ彼がどこかにいるというだけで覚えた、耐えがたさ。
それが、当時の実際の感覚。それらのことについて今、思うこと。
極端な話、例えば絵の場合。写実画を絵と考える者からすれば、抽象画の類はまともなものとは思わないかもしれない。別の感性をもって描かれている。別のkeyをもって、表現の扉をひらいている。
学生時のその時、リポートを返してもらった時の教授の評に、私は彼に別の感性の人間を感じはしても、自身の書いた内容にとくに物足りなさを感じるようなこともなかったと思う。むしろもっと良い評、採点を期待していたと言えるかもしれない。そうした記憶がある。10年ほどののち、再び眼にして当時の傾向に辟易とさせられることはあったが、教授の評がそのようなものでなかったならば、その時それほどの自己嫌悪に陥ることもなかったのではないかと思う。こちらが真面目に書いたものを、彼は、そうとは受け止めない位置にいた。全然合わない感性の者同士、という違いがそこにあったということ。その感じ方の違いを前に、こちらの10年後のように一方が自己嫌悪にさいなまれるような具合になるというのも、おかしなことであったとあとになってみれば思う。その頃の精神事情というのもあったのかもしれないが、結局のところは、ああ、あなたはそういう受け止め方をするこちらとは大分ちがうタィプのひとなんですね。それだけで済ませても良かったところなのである。その方が、健全というものだろう。
ともかく、もしそれがkeyの合う教授であったら、ということは当然考えられるだろう。別タイプの人であれば別の見方、受け止め方をする。向かうべきは、そちら、ということだろう。合わないkeyをいたずらに差し込んでも、結局は無駄というものなのだから。
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いのち縮めても好きなことは止めない

2007-11-18 23:33:54 | Weblog
健康で長生き。それが一人の人間の人生に望まれること、ということは言えるだろうと思う。老いると共に健康面での問題がでてくるということは多いだろうし、そうしたことなく元気でいられるとなれば、それはしあわなこと。誰しも苦しんだり辛い思いをすることは、望まない。いつまでも健康でありつづけることのできるひと、やはり恵まれているとしか言いようがない。
だからといって人間、そのために常に健康を維持するために心がけ良く生活しようというものではないし、さまざまな欲望を持つということがあるわけである。食べたい、飲みたい、吸いたい、あれこれやりたいことがでてくるわけで、それらは本能というものに根ざしているだけに厄介。ほどほどに抑えることができれば、というのは理想。例えばのこと、食事ということでは腹八分目にしておければいい。だが、そこに美味いものがあれば、あるいは食欲が強ければ、そのあたりで抑えられるものではない。食べたいだけ食べたくなる。貪欲に食欲を満たしたくなるのが人間。
何に限らず、そうした欲求の根深いこと。本能の力の強いこと。
それが現実的に、その本能的な欲求を何らかの病気によって抑えなければならない状況になった時のことを、考えるのである。健康のためにベストなこと、それに対する本能的欲求。その時に、どうするか。
極端なことを言えば、いま目の前にいくつかの非常に美味そうなケーキが置かれている。ここにいるのは、甘いもの大好き人間。食べている時の、それを味わっている時のしあわせ感、それは格別なもの。ところが現在の彼の病状からしてそのように糖分多いものをとることは、死期を早めるものともなりかねない。ということでは、病状からしてその間違いなく美味なケーキも健康にとっては、毒に等しいものと考えられる状況。さて、どうするか。我慢して、より長く生きようとするか。それとも束の間であれ、食べているその瞬間、瞬間、今現在のしあわせを感じつつ、その味を堪能する。その方を選ぶか。
どちらが、人生にとってしあわせなこと、自身が納得できるものとなることなんだろう。欲求をおさえつつ生きること。それに対して、束の間のような時間でもいい、本当にしあわせを感じるなにかをすることか。
例えばのこと、ある欲望を抑えれば80才まで生きられただろうに、存分に好きなことをやりつづけたがために60才しか生きられなかった、というような場合を考えることでもいい。長く生きられなかった彼は、不幸なのだろうか。
当人が納得をし、後悔をすることがなければ、愉しみ悦びを感じたい思いを抑えることはない、そのように考えることも十分に理解ができるーーーーー。
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想像が追いつかないこと

2007-11-16 23:33:06 | Weblog
地球の年齢がおよそ46億年。天文学的数字というのがあり、どのように受け止めたら良いのか分からないような距離や年数のことになって、想像思考停止状態に陥るしかないような、殆ど超現実域のこととしか思えないことになるのだが、この46億年の方は、連続した時間の流れとして辿って行けそうな感覚はある。時代の名前もつけられたりなどしている。先カンブリア時代、、古生代、中生代、白亜紀などと。あるけれども、例えばわれわれが辿れるこの国の歴史でさえ分かっているのは、ほんの二千年にも満たないところ。結局のところわれわれはどのような運命をもってここにいるのか、この偶然的な分かりにくい、想像的幻想の世界にでもいるのではないかと思えるほどの現われ方。そしてその場所。そもそもこの地球という本体が、もともとはゼロであったものであるわけで、永久活動の中で未来に於いてふたたびまたゼロに戻る運命にあるという場所の中の、その場所。
だがなんにしても、ここにあるわれわれの日常。二千年前の人々のことは分からない。自身の祖先がどの辺りにいたものなのか、到底辿ることは不能。それほどに近い時代のことからして分からない背景にありながら、この人間世界の現代の進化具合。これは何と、見たものか。200年前の人々の生活を考えても、この変わりようは想像を超えているはずのもの。こういう変化を繰り返し、時間の中を未来に向けて転がって行く人類というのは、そもそも何なのだろうね。そこに理由などはないだろうことは、想像ができる。その場所に在るから、その生を全うする、ということ以外には。そうして、どれほどに永続する生であるのか、現実的にそれが見えていない、そうした生。その未来。想像を超えている。
現在の世界は、見える。状況は、分かる。だが、200年後などは見えない、想像もできない、というこの危うく映る流れ。万物の霊長と言われる。だが、自らを破壊するような方向へと向かいかねないような、その性向。それが将来的にもたらすだろうこと。何故なんだろう、この見えなさ。
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日本ならでは?   眼を見せないサングラスシンガーたち

2007-11-13 23:27:17 | Weblog
自身、外に出る時は殆どといっていい、常にサングラスを使っている。もちろんそれは昼の間だけだけれども、習性になっているので、相手からはこちらの眼が良く見えない筈の色つき眼鏡をかけていることなど、意識にないことがほとんど。コーヒーなどを飲みに店に入ってもそのままでいることもある。ただ、辺りから受ける印象などからサングラスは止しておいたほうが良さそうに思えることもあるので、そうした時には普通の眼鏡に変える。その時のコンディション。普通の眼鏡でできることならいたいのだが、どちらかといえば、眼に保護が必要な視力の弱さを覚える感覚があるので、色つきのレンズを使っている方が無理を感じないのである。
自身がそのようでありながら、以前からそれとなく思っていたこと。シンガーたちの中にはその素顔の眼を、絶対に見せないのではないかと思える者たちがいる、一体それは何故なのか、というあたりのことである。盲目の歌手たち、長谷川きよしや、スティービー・ワンダー、レイ・チャールスたちの場合なら、分かる。分かるし、その雰囲気もいい。
それにどうも、私が思い浮かべられる限りにおいて、アメリカ、ヨーロッパのシンガーで、こちらから眼の見えないようなサングラスを常に外すことなくかけて活動をしている者は、先ずいないように思う。そして例えば東南アジア、例えば中東、ちょっとそうしたケース、考えられない。なにか、とても日本的なひとつのパターンのように思えてくる。
聴衆を眼の前にする仕事で、サングラスで眼を隠す。非常に重要な部分の眼。それを隠す。そこを蔽い、見えにくくすることによって、とらえがたいイメージを与え、見る者に想像する余地、あれこれ思わせ感じさせる余地を与える。そうした計算がある、ということは考えられるだろうし、当人もそのつもりになっているかもしれない。でも、それならば外国のシンガーたちの中にもその手を使って、いつでも眼を隠している者がいてもいいはずではない? 何故それが、思い浮かべようとすればすぐに何人もでてくるほどに日本人にはいる、ということになるのか。サングラスで眼が見えない状態ではその輪郭、なかなか良い雰囲気。だがそれを外すとこちらのガッカリするような凡庸な眼がのぞけてくる、などということがある。なあんだ、それを隠すためのサングラスにすぎないではないか。それに眼は心の弱さもなにもかも、全部ストレートに見せてしまうもの。そこから逃げたい気持も多少はありそうな気配、それも見えてくるような。だがともかく、顔面にメリハリのない人種的風貌に対するコンプレックス、それがとりわけ島国民族の日本人にあるからではないか? メリハリ云々、言い方は良くないけれどもある種のそうしたコンプレックス、大陸方面には中国初め、こちらのような形ではなさそうに思えるのである。
コンプレックスの補強アイテムとしてのサングラス? ソロで。デュオで。その他。浮かんでくる知られたシンガーたちのサングラスフェースがある。こちらの見ることのできるメディア上で、常にかけていて、絶対に眼をこちらに見せないというタイプ。補強。それが必要ということになるんだろうね。この国の人間の場合には。それはとても変なことに思えるし、格好の良いこととは別ものに思えるのである。繰り返し言いたくなる、コンプレックスの補強。根にある、それ。
余計なお世話、と言われるんだろうけれども───。
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そうした人間にぼくは生まれついている

2007-11-11 23:15:44 | Weblog
とっても魅力あるユニークなタイプの、欧米文学やジャズ、映画等のエッセイスト、評論家だった植草甚一さん(1908-1979)。彼のエッセイ「わが道はすべて古本屋に通ず」というものの最後にあった、この言葉。「そうした人間にぼくは生まれついている」。
このエッセイには、彼の古本屋巡りのあれこれが書かれているのだが、それはもちろんそこに書かれているような場合の彼のことに限った訳のものではないことは、無論だろう。植草さんに限らず、その人間の行動というのはどのような行動も、結局は生来的な傾向の濃く反映されたものになるはずだから、自身のやっていることに対しては、そうした感想がでてくることになるんだろうね。
ただ、やっぱり彼がそのように言うと、ひとりの人間としての自分をちょっと距離を置いたところから見ている彼と思わぬところで出会ってしまったような、いつものその人とはちがう面をふいに垣間見ることができてしまったような、そのような思いを抱いたりして。その最後の言葉に。ちょっと、良い感じの印象と共に。
繰り返すまでもなく、どのような人間においてもその行動傾向、個々に特徴的なものがでてくることになるだろうね。どのような人に於いても。いま頭に浮かぶ諸々の方面の例えば著名な人々、歴史的に知られた人、それらの個々について、そのことを思ったりなどしてみると、改めて人間なるものの姿、輪郭のようなものが見えてくる思いで、漠としたなにか人類なるものへのノスタルジーめいたものを感じたりもするんだね。それはどこか、さみしげな沢山の星々の連なりを見ているようなイメージの伴うものでもあるような。
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誰も自分の上には置かない

2007-11-07 23:35:59 | Weblog
人は平等である、と言われることがある。平原。真っ平。高い所にも低い所にもいない。みんな同じ平面上にいる。それが象徴するごとくに、みんな等しく同じ。
ふいと、福沢諭吉の言葉が浮かんでくる。「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」。この言葉、アメリカの独立宣言からの引用であり、「学問のすすめ」の冒頭に置かれたこの場合の意味合いは、人間の平等ということでは生まれた時には皆同じ、というところでそれから先は、当人が学問に励むか否かによってちがってくるという方向へと向いているもの。「学問のすすめ」の書である所以。
ただこの言葉、これは人間界における普遍的真実のごとくに、人の中に植えつけられ受け止められそうなところがある。みんな同じ人間。然り。本来がそうであるはず。幻想と思いはしながらも、漠とそれが真実かのように思わせるものが。むろん、現実には平等でなどあり得ないわけである。平等を言えばそれ、じつにしあわせな幻想。夢。そうしたところだろう。
それはそれとして、と言えば良いだろうか。人の上に人がいるのが現実。下にもいるだろう。だがたとえ自分の上に人がいるとしても、途方もなく高い処に確たる地位を与えられた何者かがいるとしても、別段関係がないという受け止め方も、人間にはまたできるだろう。つまりは、現実をそのままに受け止める必要など全くないということ。要は当人の、意識、認識加減。その心に総ての決定権があるようなもの。自分の上には、何者も置かない、とすれば何者も上に存在し得ないのである。これが人間ならではの、人間に与えられた精神というものの力。その力はどこまでも強靭になることのできる可能性がある。現実がどのようであれ、当人のそこにおけるベースは変わらないということ。階級、差別他諸々の不平等に対しても同じ。そこに於いてなら「人間は平等である」の言葉、意味合いも、じつに真実なものとして受けとめることもできるだろうね。等しく、精神というものが与えられているわけだから。



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本などは読みません?

2007-11-05 23:44:15 | Weblog
本が売れなくなっているということを聞く。そうだろうな、という印象がある。一般的にみて、知識なり情報を得る手段、その幅が広がっているということは歴然としてあるように思える。売れなくなって当然だろう、と考えられる要因がさまざまにある。
そうしたところで、昨日あたりたまたま手にとった本の中に、森本哲郎さん(1925-)の書いた「バベルの図書館」というエッセイが入っていて、その出だしが「最近、本の売れ行きがよろしくないとのことである」という言葉なのである。これが書かれたのは、だいたい二十数年ほど前。ということだから、なあんだ今に始まったことではないではないか、ということを思わされる。文中にある「ワープロと呼ばれる新しい技術が開発された」というような言葉を見るだけでも、それ以降の急速な進歩、その程も分かる。ワープロ機能だけのものなど、今では作られてもいない。はるか以前のようにその時間も感じる。その頃にして、本は売れなくなってきていたということである。
「バベルの図書館」。アルゼンチンの作家J・L・ボルヘス(1899-1986)の作品タイトルである。幻想の図書館。そこにあるのは本によってなる宇宙のようなもの、世界であり、書物、至上の空間。
本を、書物を、至上のものと受けとめる人々のひとりとしての森本さん、というのをこのエッセイの中で見ることができると思うのだが、それからまた現在までの時間が過ぎる間に、そうした人々さえも呑み込んでしまいかねない時代的変化が、起きてきているようにも感じる。書物愛好、それを至上のものと思う人も当然いることだろう。だが関心対象に触れる手段、その幅を思えば、かつての時代とは明らかに異なる。別の方向、形へと向いているのである。
例えばこれから数十年の後、そこでもまだ「本が売れなくなってきている」というようなことが言われる程度に、変わらず本の売られている時代にあるのか、最早そのようなことが言われることがないほどに、別の市場模様になっているのか、少しばかり興味のあることではある。

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ふと、自分とは何だろう、と。

2007-11-03 23:26:39 | Weblog
むかし、外科医の知り合いがいた。私などよりははるかに年上で、某国立大の医学部の教授だった。会った時など彼の口から手術のことがでてくるし、それも度々行われているようであったので、教授というより外科医のイメージの方が、強く彼に重なっている。夜の電話などで、今四国のどこそこに来ている、というようなことを言った。手術の依頼で、ということで。
でもその頃は、彼の手が現実に患者の体に対してどのようなことを行っているのか、想像することも特にはなかった。メスなどを手に、それは細心の注意、気持の集中をもって行われることなのだろうが、漠然と経験充分の医師として、彼がそれに当たっていることを思いはしたけれども。その様子を実際的に想像してみるというようなことも、なかったように思う。長時間の集中にも当たり前のように耐える使命感の強い人、という印象で彼を見ていたくらいで。
自分が亡くなった時には、医学のために献体をするのだと言っていた。医師ならではの、というより人間としてやはり立派と言うしかないように思える。そのような決断のできる人は、稀にしかいないのできないだろうか。
手術ということで彼のことを思い出し彼のことに触れたのだが、いま皮膚をひらく手術のことを思うに、例えばテレビなどで見る露わな内臓の様子、見るのは苦手である。見たいと思わない。
だが、「私」という人間のことを思う時、それらの内臓のそれぞれの部分、もっと言えば細胞のひとつに至るまで、自身の肉体を構成する全部に「私」がいるということになるだろう。そのことに、今日外を歩いていてふいとまた思い至って、ここで触れてみたくなっている。顔があり、名前があり、自意識があり、他との関係性の中にいるこの人間が自分、疑いようもなくこの自分。はっきりとしている。と普通には当然のこととして思うはずの処だが、あくまでも、それは視点をそこに中心に置いた場合の見方であって、その中心を例えばのことであるが、肉体の中の最小の組織に据えて見ることだってできるのである。その場合の「私」というのは、そこに自意識など存在しない、生命体としての一存在でしかない。そうして自分とは、そういう存在でもまたあるということ。
ふいと、そうした自分の姿も見てしまう。今日みたいに。
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エアーポケット/考えられないおかしなこと

2007-11-01 23:35:57 | Weblog
今日午前中のこと、外にいてふいと頭の中に甦ってきたことがあった。一昨日、30日、既に過ぎてしまっているその日。長年の友人の誕生日であったこと。前からその日には、昨年はカードを送ったのだけれども、今年はHAPPY BIRTHDAYを大きな色文字で入れ、それにメッセージを入れたメイルを送ることにしようと、考えていたのである。誕生日の日にそのメイルをすることを忘れないようにと、とくに10月に入ってからは、時として思い起こしたりなどしていた。その誕生日の日の2日くらい前にも、頭に浮かべていたように思う。
それが、完璧なまでに、消えていたのである。誕生日当日、そしてその翌日である昨日。突如として甦ってきたのが今日。どういうことだったのだろうか。考えても分からない。日々、やることは色々とある。気持はその方に向かっている。その結果、たまたまではあるのだろうが、そのことの入り込む隙が全くなくなっていたということになるのだろう。多分、おかしなことが起きる時には、そんなふうに起きてしまうものなのだろう。だが、自身としても、普通には考えられないこと、と言うしかない。
帰ってすぐに、「おくればせながら」の言葉を入れることになったが、あとは前から考えていた通りのお祝いのメッセージを、メイルで送った。
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