月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

「いいだ・もも」さんにちょっとだけ触れてみたくなる

2017-06-27 14:55:10 | エッセイ

 たまたまのことで、界隈に行くといつも前を通る早稲田の古書「虹書店」の店先に並ぶ本の中で手にとったのが、hard coverの彼の1968年発行「転形期の思想」。あとがきによると彼は「私の領分」というタイトルも考えた一冊なのだということだけれども、文学青年・映画青年だった方の彼の領分ということのようで、政治の側とは一線を画した側の表現活動、と。私は彼のことは共産党系の人イメージと、せいぜい一枚の写真の記憶ということになるか、そんな僅かな印象によるものしかなくて、書けることもないはずだなのだが、店先に重ねられた一冊の表紙を開いたら彼の手書きのサインがあったのに関心を覚えたのと、開いた中のページが詩に触れた部分だったので、どういう捉え方をする人だったのかというのを見てみたくて、僅か50円也の一冊を購入。で、ちょっと何かしら書きたくなったというところで。

                         

 店先で開いた時に眼にした詩に触れた部分は、1967年6月「文芸」誌のもののようで、タイトル「"豊かな時代"の詩人。触れられているのが峠三吉や藤冨保男の詩作品、鮎川信夫「死んだ男」、吉岡実「僧侶」等々。表現は時代と共に変化する。ではさて、戦後からその60年代まではどうだったか、というところで時代背景からの変容を詩人たちの言葉にも見ることになるのだが、印象としていいださんの読みは普通に頷けるものだったし、その締めくくりのところでは、「とは異なった詩的空間の出現、とはいっても、私たちはまだ、縄のきれるまで宙ぶらりんのままなのです」と次へのプロセスにあることを言う。なにか大雑把に彼の見ている位置が分かれば良いという程度に読んでいるだけなので、伝わってくるもので足りたのだが、ひとつには彼を偏ったイメージで見ていたところがあったせいだろうと思う。                                                                    ところで、中でとりあげられていた藤冨保男(1928~)の作品がすこし印象に残った。

非常に背の高い女の                                                                                              そばに                                                                                           非常に平たい犬がいて

話はちがうが                                                                                         近頃は幸福でも                                                                                そうでもあって                                                                                すっかりそうである

庭園にはパラシュートが                                                                              ややもすると                                                                                       やるせないように咲き

そしてから                                                                                         そしてまた                                                                                      また                                                                                               あなたは                                                                                                                         僕がどの位好きだか

 

詩の表現に巧みになるとさまざまな素振りを言葉の出し入れに装わせ、つまりは何を仄めかせたいの? それもあるいは解からないかもしれない、自由。これはある意味"豊か"の側にしかないのではないか。戦時中にこのようなものを書くことはないだろう、ということは当然思われることであるし、この間延びのするような表現の中の時間、空間、気ままさ、だがまたそこで拘りたい何かしら、とらわれるものがあるという現実の界隈。さりげなく見せる。見せようとする。何処に届くのか解らない。

この機会にネットでいいださんのことを少しだけ調べてみて、本名が「飯田桃」ということを知り、男性として「桃」と名づけられたことにおどろく。希少。彼の学生時代の詩作品の一部もその時に読んだのだが、後で改めて読んでみようと検索をしてみるも、今度は見つけることができず、ともかく印象として感じたのはナイーヴな感性。その年代ならではの繊細さを見せた、後には覆いをかけてしまったような部分。そうした彼というのは少年時代から秀才校で学び東大の法学部も首席卒業というエリート。そしてこの書を出版した当時というのは、共産主義労働者党書記長に就任というようなことに重なる頃か。その後に議長、1969年に辞任。その後も共産主義に関わる活動と、私などには縁遠い方面の活動に邁進されたようで、都会育ちのエリートがその方面の行動に進んだのには彼独自の理由があったのだろうと、私などは思うしかない。

東大法学部で三島由紀夫が、同期。何でも後に彼は三島とは大親友などと言っていたらしいけれども、在学当時は面識がなかったということのようであるし、その後にしても親しくなるような者同士とも思われない両者の違いの印象。いいださんの方の何か殊更の思い入れのようなものを感じさせる。首席卒業秀才のプライド高いいいださんにとって、学生時代から作品を発表、20代の半ば前に「仮面の告白」を書いた三島への意識は相当なものだったのではないかと思う。おそらくは生涯、特別に意識から離れなかったような存在、ということになるのではないかと想像する。本書「転形期の思想」でも最初に書き下ろエッセイ「異質への転轍ー三島由紀夫氏の場合」。41歳でこれを書いている。触れずにはいられないということがあるのだろうが、通りすがりのような読者として読んだ感じからも、何か過分に攻撃的なところのある印象を受ける。

このエッセイというより評論のようにも思えるものの最後には、「危機における審美的国粋主義を克服する道は、審美上もまた、社会主義的インターナショナリズム以外にはありえないでしょう」。浅野晃(1901-1990)の詩集「天と海:英霊に捧げる72章」の朗読をその年1967年に三島がレコードに朗読を吹きこんだ、そうした思入れの強さに対して、最後の言葉にあるようなことを言いたいということがこの内容。因みに国粋主義に転じた浅野晃も同じ東大法の出身で1926年に共産党入党というような経歴を持つ。一方を国粋主義者と見、こちらが共産主義インターナショナリズムを掲げれば、この両極にある関係からして、攻めどころ満載という形になるのが当然。攻撃性となれば左翼のお得意。というような色合いがいやでも見えてしまう。というような主義的部分も印象に残るこの一冊での、少しだけのいいだもも体験だったということになるか。

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長谷川順三著 「波濤の虹」(2016)を偶然手にして

2017-06-14 16:01:37 | エッセイ

        

 

                                                                          「あとがき」の中で氏は、「生活の中に自分を取り戻し、心の余裕が可能となり、行動できる環境が生まれたのは、定年後と言ってよい。私の場合、長らく潜在していた文学への思いが芽を吹き、早稲田文学に憧れ、社会人のためのオープンカレッジに籍を置くことから始まった。主に文学、仏教、心理学を専攻、その間、本当に充実した歳月であった。念願叶って、全単位を終了、総長から修了証を手渡された時、初めて自分の学問ができたという充実感と、達成の感動と喜びが湧いた」ということも書かれている。本書の経歴にもある早稲田大学のオープンカレッジで私自身も学んでいて、この5月31日に大隈会館で修了者の会の総会があり、テーブルでたまたま隣り合わせになったのが氏。そこで本書を出版されたことを知り、持っておられた一冊いただけることになったという訳なのである。この最初の小説出版が86歳の時ということを知れば、何とエネルギーのある人なのかとそのことに先ずは敬服せざるを得ないという心境になる。そして、こうしたあとがきの中の言葉を見ていても、達成の感動や喜びというものが良く解かり、またそうした60代以降を生きられてきたことの良さ、素晴らしさを思わされてしまう。自身は果してどうなのか、ということになる。

日本統治下の朝鮮で生まれ育った著者の20代前半までの軌跡がベースとなった作品。その10代の半ばで、終戦、そして日本の敗戦によって家族は、彼の生まれ故郷朝鮮の地を追われ、去らざるを得なかった。その朝鮮での統治下の日本人としての町の生活、5歳の時に伝染病で父親を亡くされているのだが、そこでの少年の日々のことなど興味深い。終戦の年の四月だからまだ14歳の彼は、内地に渡り海軍甲種飛行予科練習生として入校。厳しい訓練を受ける。先輩たちは特攻隊として国の為に命を捧げ、終戦。大変な思いをして母と妹のいる朝鮮に戻り、そして日本人にとっては命からがらとも言えた家族揃っての日本への引き揚げ。現代の人々が実感としては分らない当時の状況、そして日本人が通らなければならなかった道。われわれが心の中に深く留めなければならない負ったものがその時代にある筈。それがどのように未来に生かされるのか、本書を通しても考えさせられる。

2016年10月31日 田畑書店発行

 

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谷川俊太郎さんの「詩は滑稽」、とか、「自分の中の言葉の貧しさ」のこととか。

2017-02-07 15:00:29 | エッセイ

名前は眼に触れることの多い人だったけれども、作品の方は少しだけ覗いて見た程度ということになるのかもしれない。つまりはあまり関心を抱いたことがないということなのだけれども、自身にとってはそうした詩人であった彼の「詩を書くということ」という2014年発行の一冊をたまたま手にした。プロローグにある詩「世間知ラズ」の最後の二行、「詩は/滑稽だ」という部分に、それが彼の至った境地のひとつなのか、と思ったりなどしたのだけれども、飛び出てきた言葉がいきなりすぎて、何処にもっていったらよいのか始末に困るような「滑稽」ではありました。詩は、滑稽? 全ての詩なるもの、詩表現そのものが、究極、滑稽なもの? 一時の気まぐれ、その時の直感から詩がその言葉で言い当てられでもした? 彼以外の誰もがおそらくは、「詩は、滑稽」とこれまで放ってはいないのでは? ということと同時に、そうであってもそうでなくても詩は詩ということだから、いずれにしてもその言葉に至るまでの詩行を辿るなどして、それもあり?  という感覚、印象になっても一向に差し支えないということでしょう。理屈ではありません。それが出てきておかしくはない通路というものもまたある、というところで谷川俊太郎さんならではの辿りようがよく表れているんだな、とその生き様、詩人様(ざま)めいたものに触れてみるのも良いのではないか、というところで。

この一冊は彼へのインタビューによるものなんだけれども、中にこんな部分がある。若い時代を過ぎた後のことということになるのだが、「自分の中に言葉がある」とある時期から思わなくった、と。自分の中の言葉が、すごく貧しいと思うようになった。「語彙も関係ないし、経験も少ないし」。そこで彼は、眼を開かされていく。自分の外にある日本語を考えると、これはもう巨大でものすごく豊かな世界。気が遠くなるほどに豊かな世界。ならば、そこから言葉を拾ってくればいい。パラダイムシフト、なること。そういうことがあったんですね、ということを知らされる訳だけれども、彼はその仕事の幅からもひとつ特別な位置にある詩人でもありましたから、その発想、そして実践的な生かし方にしても、ある意味実利的な部分とも結びついていたというのが現実で、狭い立ち位置で詩に対している詩書き人たちとは、別な事情にもあるということは思う。ただ、「自分の中の言葉がすごく貧しい」という感覚、認識、意識状況というのは、大抵の者を脅かすものではないのかな。ということで、実感にくる言葉のように思えて、興味をひかれた部分。自分の使う言葉に繰り返し使われて陳腐さを感じてしまうような状況は、誰しも望まないわけですからね。生きた言葉を使いたい。しっくりとそれの感じられる言葉が使われるべき、表現に真摯であろうとすれば。ということは思いたいもの。

谷川さんには彼の手法というものがあって、言葉の陳腐さ云々の克服はできているものと(彼の為にそう願いたい)思うけれども、それがどのような場にあるものなのか、自身などには良く解からない。時代は常に新しくなり、新しい感性、作品の登場、ということが考えられることだから、旧来のものを乗り越えた何かしらが期待されることになるのだろうけれども、そうしたところからも離れている人間なので、現時点近辺に現われ出ている作品のことも知らない。ただ個々にとっては、「生きた言葉を発すること」(容易なことではないし説明も必要だろうけれども)、それができるか否かだけではないのかな、という尺度のようなものを思うことしか、浮かばない。

 

           

  

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日付なし日々の表出言葉など手のひら

2013-12-18 20:40:54 | エッセイ

                       

 

前の記事で触れたことに絡んでは、思えば孤島などに何年もall aloneでいたら、どんなものだろうか。などということが浮かんできたりなどもする。少々飛躍をさせてもらえれば、地球そのものが孤島のようなもの。Who am I?  という問いは、何処からでも生じるもの、と見ても良いんでしょう。それほどに、このことも、あのことも、そのことも、不確か。というのを、eraserをとって、消す。completely、消す。何故に英語の言葉を使うのか。ちょっと、おかしくなっている。というのが何時ごろからなのか。「なのか」は、「七日」という言葉と同じなので、では7日にどれだけの数を掛けたら、その「何時ごろからか?」に辿りつけるもの?  多分、一光年昔、One light year ago。そちらに、矢印。それは、正確ではないけれども、でもあなたがそうだと言うから、そういうことにしておきたいだけ。という答えかたもあるのです。eraserが招き寄せるのは、「死」。それが、如何に多くのものを解決し、決着をつけてくれるかは、島の不思議。

                                                                                                                                         

よく使うものでね、enigma、などという言葉。天と地の間はそれで埋まっているようなものだから? 誰がそうだというものなのか、これまたよく問いかける喜望峰先を飛ぶ彼の鳥Arnieに、昼のbananaなど2本ばかり食べた後で、きいてみようかな。例の発信スタイル。新しいものでもない。というようなことながら、その返信は、常に理解不能のenigma音で返るので、何かが解るというわけのものではない。というありふれた形。繰り返し、繰り返しの、おそらくは果てもなくつづくしかない、慰みの手。そのような具合のつきあい多くして、Aaaaaaaaa、人の世の時間は過ぎゆく、ということ。という人の世、とうに終えてしまったあちらのbest membersに伝えたいことと言えば、感謝の思い。その訳は多岐に渡ることになる。というのも方向同じbest peopleでもないのだから、踏み入る風景も奥行きもおそらくはね、次元違いほどあることになるなどする。そのようなこと、今日のこれから後の時間、どの通りなど歩きながら思い浮かべたりしている?

 

終りの刻に揺らすことば、ひとつ。誰か耳傾けてくれる者がいれば良し。いなくいとしても、それは良し。如何なる色の幕が下りるわけでもないが、ことばのあとで、浮遊などする。たのしかろうと、ゆるりと斜め上方に余韻を向けたりなどする。というそこはもう帰れないmowan-mowan生ずるところで、だあれもそちらのことは語れない。塞がれた先のmowan-mowanエリア、今日あなたは訪れ過ぎていきましたね。あちらの怖ろしげな国から抜け出して、とそれを実の模様のように幻として見てはいけないものでしょうか。軽い球の弾ける音などして、先追いたいものありげに動いていくさま、見てはいけないものだろうか。ひとつのことば膨らみ、千をのみ込んで彼の場で形づくられる成就の世界たるや、Um-maaaaa、それを救いの力と見るなどelephant Joeにはできないだろうけれども、普通にhumanにはできるものなの。ということからして、あちらに向かうとは、かがやきの世界に入ること。とも押し出す向き。

 

 

                         

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SupertrampのWho I am、坂口安吾の、私は誰?

2013-11-13 22:48:47 | エッセイ

                    

                     

 

  

私というのは何だろう、それは人生の中でさまざまな時に思うことなんだろうけれども、ある時の自身のこと。ずうっと向こうの駅に向かって、途中に消防署、その隣に中学校の校門に向かう路のある坂道を歩きながら、全体を構成する細胞の集まりから成るものにすぎない、というようなイメージに達したことも。そういう、心云々とは無縁の処にある形のものが、人間の私なるもの、というイメージ。私とは、細胞の集合に過ぎない、それが実際の姿、というような妄想。                      

あるいはまた、だれしもそういう経験はするものだろうけれども、鏡の中の自身に、不思議な思いを抱かされる瞬間の訪れ、などというもの。何を感ずることもなく当たり前に鏡の中の自身を見ていることが普通の日常の中、ふいと鏡を境にした自身と映る姿の距離の間で、向こう側の自身のものである顔が、不可解な入りえない別の側にいる何者かの相を帯びて感じられる。そうしたある意味、詩的、幻視的、とも思えるような経験など。                                     

1970年結成のイギリスのバンド、Supertramp。その1979年リリースのアルバムにBreakfast in Americaがあるのだけれども、それに収められた曲の中に、結成メンバーの一人Roger Hodgson作の"Logical song"がある。When I was young it seemed that life was so wonderful の言葉で始まり、そして現実の世界を知り生きる中のこと、それにつづいて、夜、世界が眠りにつく頃、さまざまな疑問が頭の中をかけめぐる、、、、、、と歌われる。

その終わりに、please tell me who I am/Who I am,who I am,Who I am と繰り返されるのだけれども、歌うRogerの声はwho I amの繰り返されるごとに音階が上がり、最後はよくぞそこまで声が出るもの、と思えるような音に行く。切実な思いの、声をもっての表現。そのwho I am というのが、そう以前の事ではない自身の夜などに、やってくることがあった。その言葉通りに、分からなくなる自分がいたということ。自身が希薄になる、そういう状況。               

自身がそうしたところまで行くとは、思ってはいなかったというようなこれまでだったと思うけれども、年齢的なものもあってのものかとも思う。おそらくは自身が確かにあることを感じるためには、当たって確認できるような対象が、必要ということなんでしょう。そこのところが抜けているうちには、やはり夜のような時間、自身が何者なのかが分からないような、希薄さに嵌まり込んでいくようなことに。それはある一夜の、その時だけに濃く来るものであるかもしれない。その余波が何日もつづくことも、思われる。                                                                               

R.Hodgsonの歌うWho I amの言葉が甦ったと言っても、その曲の中のWho I amと私の場合のWho I amは、内景が異なるわけで、"私は誰なのか?" という問いかけは同じでも、ひとそれぞれにその状況も感覚も異なるはずのもの。最初に書いた、ある時に自身が振り落されるように至ってしまった自身とは細胞の集成によるものでしかない、というようなある意味無残でしかないような心的状況からのものも、Who I am に突きつけられたあるイメージ。                                                                                                   

あまり本は読まなくなっているのだけれども、今少し読んでいるのが坂口安吾(1906-1955)。同じ新潟の出身ということからの関心などもあって、昔から書かれたものとのつきあいある作家で、読んでいるのは自伝的な作品ばかりが収められた一冊。自身を巡ることについて、赤裸々に書いてくれている、興味深い内容。そこに「私は誰?」という一篇がある。彼という人を思えば、そのタイトルから推して、その先が朧に見えそうな、そしてまたそれを知りたい思いにさせる、書かれての真実に触れる部分。                                                                                         

その最後の処で、彼はこのように書いている。「(略)別に、年齢が四十をすぎたというようなことも、まるで感じていない。私の魂は一向に深くもならず、高くもならず、生長したり、変化している何物も感じていないのだ。/私はたゞ、うろついているだけだ。そしてうろつきつゝ、死ぬのだ。すると私は終る。私の書いた小説が、それから、どうなろうと、私にとって、私の終りは私の死だ。私は遺書などは残さぬ。生きているほかには何もない。/私は誰。私は愚か者。私は私を知らない。それが、すべて。」

「私は私を知らない」、それを、言われてしまう。普通には、人は何らかの形で自身を飾りたがるものだけれども、裸の精神をそのままに見せてくれる人。やはり、そういう人を見たい。そういう人の言葉が、心に響く。残る。ということを思う。そうして彼もまた答からは見放されていたような、「私は誰?」。 その問いを究極向けるとなると、知ることのできない宇宙の果てのような、底の知れない深淵と向き合わざるを得ない処に、やはり行くしかないことになるように思える。

 

              

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記憶に全くない、だが現われ出てくるもののこと

2013-06-04 18:03:40 | エッセイ

                                        

 

少し前のこと、近くの運動公園辺りまで夜のウオーキングをしていた時に、何故か分からないけれども浮かんできたある言葉があった。「gentile」。意味の分かるような言葉でもない。ジェンタイル。どこかで触れたような気もするけれども、でもその何処かの見当は全くつかないし、記憶と全く結びつかない言葉がふいと浮かんできたというような感覚。その言葉を忘れないようにして、帰ったら意味も見てみなければと考えた。その通りに戻ってからすぐに手帳にメモをしたものの、そのままにしてしまって意味を確かめたのは2日位後。全く記憶にない意味だった。そこで知ったような意味がその言葉にあるというのも、結びつかないような印象。知らない言葉の、知らない由来。何にしてもその言葉に意味を結びつけ、必要であれば記憶をする、そういうことでしかないと思われたが、兎も角何処で出会った言葉なのか、全く記憶からは消えていて、辿りようもない。

 

また何日かが過ぎるうち、なにかそうした宗教の絡むようなビデオを、YouTubeで見たことからなのではないかと思うようになった。英米のビデオには当然ながら殆どサブタイトルのようなものはないから、英語そのまま。よって見ていて分からない言葉が出てくるとビデオを一端止めたりなどして、電子辞書で確かめることになる。多分、gentileという言葉も、そんなふうにして電子辞書で見たものなのだろう。だが記憶にとどめる必要のあるような言葉ではなし、その場で解ればすぐに忘れて構わない言葉。実際、すぐに意味を知ってビデオに戻ってじきに、もう忘れてしまっていたようなもの。それが意味を忘れられたまま、言葉がどれだけの期間を置いた後にか、謎の筋道を辿って記憶の何処かから甦ってきた。そんなところであるらしいもの、と。

 

                                                             * * *

自分の人生の中でも珍しい、特異ということになるような体験の一つ。そういうのを、何年か前の夏に経験した。当人の感覚としては、やはりそうした言い方をするしかないようなものだったと思う。全く記憶のない時間の中の出来事を、自身がその時間の中で手にしていたカメラが明らかにしてくれる、というような状況の生まれた体験。夏に故郷にお墓参りに行った時のこと。早朝此方を出て新幹線を使い、昼近くに故郷の親戚宅に着いて、それからご馳走になり、普段は全く飲まないアルコールを、例年のようにその日だけは飲むことにしたのである。2時間程してみんなでゆっくり歩いて15分ほどの墓地に出掛けたのだけれども、その出掛ける前の、何処辺りからなのか、記憶が全く無くなってしまった。よってどのような自分がそこにいたのか、分からない。見当もつかない。酔っていたとすれば、まともに行動できていたのか。他の者たちは私をどのように見ていたのか。無事にお墓参りができていたのか。記憶にないほどに酔いが回っていたのだとすれば、恥ずかしくなるようなことをしていたのではないだろうか? 非常に気になった。気になったのは、帰って眠った後の、通常の意識に戻った翌日になってからである。

 

覚えているのは、帰りの新幹線の中辺りからのことであるから、それ以前のこと。夕方になって出発し、新幹線に乗るJR駅まで1時間もかかるバスに乗ってやってきたわけだけれども、どのような自分がそこにいたのか、全く分からない。知ることもこわい、というのが普通状態に戻った翌日の感覚。一緒にお墓参りに行ったのは、東京から車で行った姉、甥夫婦とその双子の赤ちゃんや5歳の長男、故郷の従姉などなのだけれども、さてさて、恥ずかしい酔態を見せなかったものか。例えばのこと、お墓参りというのに酔いによろけてしまうようなことでもそう。それにしても、何故にそのような酔いになったのか? 普段はアルコールを飲まないという人間が、ビールで始め、消防署に勤める従姉の息子などと次には焼酎を割って何杯か、ということになって、大丈夫と思っている間に回ってしまったものらしいのだが、飲むのは毎年のことだしペースも同じようなものだったのにということ。実際にはまさかという展開になって、その記憶にない時間の中のなにかをカメラの画像が見せてくれる、それに頼るしかないということになったという次第。

 

なにが見えてくるか。真っ暗闇状態の記憶部分。そこに浮き出るはずのカメラの画像。PC上で、見る。未体験。ということでは、面白い経験ができたもの、という結果ともなることだったが、アルコール絡み。人には知られたくないような体験。画像を見る勇気のようなものがでてきたのは、その日も遅くになってからと記憶する。恐る恐るという感覚。写っていたのは毎年の、見慣れた彼らのそこでの様子。ということでは、私もまた変わらぬ、ごく常識的な振る舞いに終始していたもの?  印象としては、そのように伝わってきた。だがともかくその後、彼らにその日のことをきいたわけでもない。夕刻に近くなって彼らと別れるまで自身がどのようであったかは、暗闇の中のまま。 

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air/列車急ブレーキで止まる

2012-10-11 23:43:45 | エッセイ

                      

                                                                                              

 

快速車両、止まるはずのない場所でブレーキをかければ、それはおかしなこと。先端の車両にいて、アナウンスを聞く。人身事故あり、と。立つ者殆どなく、ほぼ全席に乗客が腰を下ろすなか、ひとつの声も上がらず、それに触れて話す声も聞こえず、ただそれにより待たされる現実の生じたこと、各人が呑み込まざるを得なくなったという事実のみが、そこでの生のものらしい空気。事故現場の現実模様は、限りなくかなたの絵空事めいて、運転席向こうには、線路以外には何も見えない。外からの声もなし。なにも分からないままに、時間は過ぎる。ほどなく起きたことの証しのように近づいてきた、救急車のsiren。

 

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metaphor/レコード針/伝う溝

2012-10-10 09:45:28 | エッセイ

                              

 

ひとつのことに囚われ、それに縛られて、心が自由になれないような状態。その例えに象徴のように、レコード盤の針が、溝以外には進めないことがイメージされて、使われたりもしたものだけれども、今はCD。溝もなければ、針もない。何かが、何かに接する部分が眼の前で形に見えない。レコード盤の上を滑らかに伝うあの針。あの動き。あの眺め。そこからイメージされた、あれこれ。それも薄れて。                                                      

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有難う/10年9カ月/Luckie(♀)

2012-01-30 22:01:14 | エッセイ

 

画像は、今月の17日の朝に撮ったもの。                                                                    指の上。窓辺で、朝の窓外を眺めている処。雛の時から育てた子。親密すぎるようなつきあいをしてきた間柄。ということになると思う。アメリカで同時多発テロのあった2001年。その年の4月が最初の出会い。

これを撮った日の僅か8日後のことになる。この25日の昼、私の油断と言えば油断、そしてまた考えもしなかった状況から外に飛び出してしまったという事実。瞬間、何が起きてしまったものかと混乱するほどの、咄嗟の出来事。自身の責任ということになるし、Luckieには、本当に申し訳のないことをしたと思う。     

現実を受け止めがたい思いのままに、一縷の望みを抱いて外に出る。道路を行く内、空高く、下まで届く声を響かせ、Luckie以外にはない鳥の飛んでいくのを見た。突如未知の世界に放り出され、パニックに陥っているはずのLuckieの、叫びのような鳴き声。耳に残る。

 

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ある本の中のこのような言葉

2010-02-22 22:46:55 | エッセイ
本には、色々なことが書かれていますね。千差万別。言葉は意味を持つもの。それに触れれば、何かが伝わる。何か伝えるものがある。如何なる本にも、それはあるということでしょう。人が思い、考えたところから出た言葉。それが深い考えからか、思いつきだけのものかの違いはあるだろうけれども、われわれ、その語る処に触れようとすることになるわけなんですね。
ところで、いまちょっと前に思ったことがあり、それである本に書かれていた言葉を思い起こすことになって、その部分を開いてみたところです。こんなことが、書かれているんですね。

 「心しないと人間は自分より力の低い人とくっつきたがる傾向があります。そのほうが
 努力が要らず、楽だからでしょう。しかしそれは自分を堕すことになります。・・・・」

それは、物事をきっちりと考えられる、そうしたタイプの人によって書かれた本の中の言葉であるわけなんですね。私がいま、そのつきあいについて考えているある人間のことを思っていた時に、この著者の言葉が浮かんできたというわけなのですが、思えば「いかに・・・するために・・・をするか」というタイプのものに、こうしたことを説くものが多いように思いますね。ある面に限れば、人の能力の優劣を見ることもできるだろうけれども、人と人の関係は、多面的なもの、事情によっているものだし、そこに物差しや基準を、持ち込めるものではないでしょうからね。選択は、むずかしいはずのものです。
でもまあ、この著者の言わんとしているところ、この場合の意味合い。それは分かりますけれどもね。私の考えていたある人間とのつきあいを巡ることとは、次元が別。結局、この本のこの部分の言葉を見て、そのことを改めて思ったところです。
 
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言葉にしたくなる時間

2010-02-19 22:26:13 | エッセイ
言葉にしたい。けれども、どのあたりを真ん中にして折ったら良いのか、分からない何かを手にしているようで、心許なさがある。つまり、つまりは、こういうこと。と言いたいのだけれどもね。そうそう、経験するようなことでもない。少し、追いつめられたところにいるのかもしれない。だが、そのようなことは、認めたくない。ワタシは、いつもと変わりのない、マイペースで日々を送っているワタシですよ。そのように思いたいし、じっさいにそうであるはずなのだが、そこに入り込んできたなにかがあるわけですね。そのなにかが、言葉にしたい、けれどもどのように言い出したらよいのか、分からないような思いにさせている。その、入り込んできたなにかがね。
それは、何かが、誰かがこちらの心の中に入り込んで、常とは異なる充足したものを残して、去って行ってしまった後のような場合などだったりするのです。なにか、ぽっかりと心の中に穴が空いたような時間。それは、心には不安定なものだし。それをどうにかしたい思いのような時。それを言葉にくるめこんで、鎮めること。そのような方面に気持が向いていくこともあるわけですね。そんな感覚を、言葉にすると、と。率直にそのような時のことを言えば、言葉にもつまるほどのものさみしさに捉えられている、ということになるのかもしれない。日々の中には、そうした時間、経験もまた避けがたくある、と思うしかないことでもあるわけですけれどもね。
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今日の記録 16/Feb/'10 STONE

2010-02-16 22:04:44 | エッセイ
ストオオオオンと落ちたのは、今日という訳ではない。何時のことだったのであろうか?
落ちて我が家の土台となった。地球大の石。などという大袈裟な言い方をするものでないね。せいぜい琵琶湖大、という辺りに収めておきましょうか。そんな土台です。土台として充分なものに思われませんか?
ストオオオオン、はSTONEの音になるので、石、固いもの、落ちる、と繋がり深いので、そこはオトオオオオンでは、すんなりいかないということでしょう。そのことを思います。
この土台があるおかげで、我が家は揺るぎたくても揺るげないということになったという次第で、また明日という新しい日も迎えます。

などということを、たまたまバッグの中に入れていた、昨年の大学エクステンションセンター、近藤申一先生の授業「イスラエルとその隣接アラブ諸国(地域)の内情を探る」の第七回目プリントの裏側に、今日書いてみたのだけれども、「揺るぎたくても揺るげない」という部分、どうなのかな。願望にすぎないのではないかな? 思っているところです。
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キャットJ が走ってくる

2009-12-21 22:56:32 | エッセイ
先日も記事で触れたように、夜は運動のために外に1時間余。ここのところは、走らずに、速歩。運動公園近くまでは、それだと10分ほど。
上に小さいながら画像を入れましたが、道の左が三市合同の斎場の広い駐車場。その先は、畑です。ビニールハウスもあったりします。右サイドも、畑。夜で辺りは薄暗いわけですが、ここを行ったり来たり。広い夜空の星を仰ぎ見たりしながらですね。ここに来るときに、することがひとつ。近くにいるにちがいないキャットJ に会うこと。斎場への広い坂道の手前が、ウォーキングのスタート点、かつまた戻ってきての折り返し点になるんですが、その辺りから、歩きつつ口笛を吹いてみる。キャットJ に、そこに来ていることを知らせるためですね。
着いてすぐに知らせることもあれば、暫らくしてからのこともある。そのようなことをいつもやっているわけですね。私は、キャットj が何処にいるのか分からない。昨日は、コースの一方の向こう端辺りに行って折り返そうとする時、後方の薄明かりの中に何やら見えて、良く見るとトラ毛のせいで分かりにくいながら、キャットJ らしい。そばに寄ると、いつもの彼女らしくおとなしく座って動かない。ともかく、ここまで追って走ってきたというわけです。向こうで口笛を吹いた時には、辺りに姿はなかったのにね。
それでいつものように、抱き上げて、この画像の右サイドに青っぽく見えるモーターなどの据えられた小屋まで運ぶ。キャットJ は、結構体が大きくなっているのだけれども、運んでいる間に足をこちらの体に立てて押しつけるようにして、下りたそうにしたりなどする。でも、もうちょっとだからと、その体を離さないように抱いて、目的の場所まで。そこで下ろして、食べものをあげる。その辺りにはメグと呼んでいる、白黒の大将のような大きな猫がいて、これが来るとキャットJ は逃げて行ってしまうのだが、その気配はない。で、小屋の入口でキャットJ は食べ、私はウォーキングをつづけるということになるわけですね。
今夜は、私はキャットJ がすぐには姿を現わさないのを見て、坂道を下りてその先の運動公園の中に入って、広場の手前まで行ったのですが、石垣の上に一匹の猫らしいのが見えて、近づいてみると久しぶりに見るキャットJ の母親のMickyだったんですねえ。ペルシャ・ト―タシェルの。キャットJ は、今はもう、誰とも一緒にいない、単独行動の生活をしている者になっているんですけれどもね。そばに寄ってきたMickyが、急に植込みの方に向かって中に入っていくのでおかしいなと思っていると、メグがやってきている。どうもそれで、敬遠して姿を消したらしい。
こちらは、戻ることにして坂道を上がって斎場の手前辺りまで行くと、薄明かりだと分かりにくいトラ毛の、でもやっぱりキャットJ にちがいないな、というのがそこに来ていて、私はまた、抱き上げました。坂を上がりきるまで、70メートル位。
それから左に曲がって小屋の所まで、70メートル位ですか。結構距離があるわけなんですけれどもね。メグは下にいたので、来る気がかりはないし、というわけで。また小屋のところで、食べさせようと。
下の、公園内の一角には、ごく最近、市の名前の入った立て札が立てられて「公園内のネコに食べものを上げないで下さい」とある。その近くには別の立て札、「ネコを捨てたり、虐待をしないで下さい」というようなことが、書かれている。広い開放的な緑多い公園内のどこかにネコがいたとしても、誰にどのような害を与えるのか。食べるものを与えたとして、どのような悪いことがありますか? あげたい人もいる。そうすることによって、癒されている人もいる。何ゆえにそうした立て札になるのか、説明が必要でしょうね。
キャットJ など、家猫そのその。おっとりとしていて、おとなしい。表情も、かわいい。外で暮らしている猫たち。人間と同じで、みんなそれぞれ。性格もちがう。生まれた場所、環境によって、ちがうものもあるでしょう。その環境によっては、警戒心の強い、歪みのある性格にならざるをえないかもしれない。
なんにしても、私は不憫に思うんですね、いつも。保護され、大切にされている家猫のことを思うにつけ。外で一人だけで生きなければならない、例えばキャットJ のことなんかにしてもね。こちらが戻る時に、ちょっとだけ後を追ってきたりする。そういう時など、意識的に振り向かないことにしますが、やっぱりちょっと辛いような、ね。
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