月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

詩-Space  三月の頃

2009-03-16 22:28:01 | 

      幕
      開いて見れば
      初めから飛んでいるのは
      鳥
      それと
      空からの眺めなど
      知らないのが
      この
      地の上
      同じ時を巡る
      という
      ありきたりの設定
      昨夜の
      夢

      こちら
      という位置
      幕が開いて
      見えてきたものでもない
      「私」らしき
      ひとがいるので生じた
      位置
      なので
      ひとがいなければ
      謎
      という旗など
      ほほ笑む空間のなかで
      なびいている

      宣言
      などあるわけでもない
      がなんだか
      この軌道を進む
      稀有の球の
      運命
      立つ位置によっては
      悲劇的
      また
      刺激的
      また
      夢幻的
      どれほどに「私」の
      運命崩落的であろうと
      掴む藁も無かろうと
      それは
      それの
      それ

                             March 2009





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小泉信三著「古典の讀み方」にあった言葉のこと

2009-03-03 22:37:07 | Weblog
前々回の記事で触れた西脇順三郎詩集同様に、こちらも古書店で買った文庫本。多分同じ店で買ったものだと思うけれども、こちらは最初からもっと古びた外観だったと記憶する。ページも茶がかった感じ。そのようであったから、現在はもうまともに綴じられている状態ではなくなっている。表紙も外れて。
岩波書店昭和28年(1953年)4月発行。「古典の讀み方」。非売品ということになっている。「あとがき」に岩波文庫創刊25年の記念として編纂され、読者に献げられるものとある。1933年から1947年まで慶応義塾の塾長であった小泉信三氏(1888-1966)著。
何日か前だったか、ふいとこの本の中の言葉が、また甦ってきたのである。実のところは、著者の名前も忘れていた。確かめ見たところが、中表紙の著者のお名前の「三」のところが薄れ消えかけている。そうだったっけ、と改めて書かれた人のことを記憶に甦らせた次第である。
私が、ここに転記する言葉の行に緑色のマーカーを引いたのは、多分1985年頃。おおよそ25年近く前のことになる。


『時代や傅統の差のために多くの古典は堅い殻に包まれてゐる。これを嚙み破るのには、生きた問題に心を掴まれた人間の、あのガツガツした精神の食欲、鋭くなった精神の牙、さういふものが要る。この條件はさう簡単に生まれるものではないし、就中、権威の前に叩頭するような態度とは絶対に相容れない』(文字原文通り)


この言葉の中の、「ガツガツ」、「食欲」、「牙」、「権威の前に叩頭しない」。これらの言葉の発するメッセージの力を、思う。リアルに、その姿勢に必要な何たるかを感じさせ思わせてくれる。古典に対する場合のことに限らない。
かつて、こうした言葉に触れ刺激を受けながらも、意志薄弱な自身は何ら誇ること達成もできないままに、改めてまたその言葉に、触発されたりなどしているところである。ズバリと言い得ているところある、その言葉。対さなければならない問題、課題は、変わらず前にあるのだから。
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