月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

アポリネールの詩集「アルコール」、ミラボー橋

2007-12-14 21:34:35 | Weblog



ギヨーム・アポリネール Guillaume Apollinaire(26 Aug 1880-9 Nov 1918)の代表詩集「アルコール」(1913年刊)。その代表的な長詩、「地帯」。
それはこんな一行で始まっていますね。


   とうとう君は古ぼけたこの世界に飽いた


彼の精神に相応しい、思いのままの斬新な表現。それに刺激を受けてのギンズバーグの長詩「吠える」というようなものも、1950年代になって生まれていったように思えるのですが、「地帯」のこのような部分にも、心ひかれます。


   今や君はパリ市内を歩いている 群衆に混じって独りぽっち
   君の身近をバスの群羊がごろごろ吼えながら走りまわる
   恋の悩みが君ののど首を締めつける


長い、長い作品。エネルギッシュ、表現豊かな言葉に貫かれています。
この詩集の中に、「ミラボー橋 Le Pont Mirabeau」があります。シャンソンでも歌われている、その詩。
ここで思うのは、言葉のことです。自身は堀口大学訳の言葉に慣れて、他の訳者の例えばこの詩に触れた時には、どうにも受け止めようがないほどに失望しました。全然別の詩、というような印象。伝わってくるものを感じない。堀口訳がしみこんでいて、それ以外には考えられなくなっているわけですね。でも、あるいはすぐれた訳者によって、もっと別なすぐれた訳詩がなされることもあるのかもしれない。そうであるとしても、こちらにとってのミラボー橋は、堀口訳以外にはないということ。もちろん原詩に触れ、それを自分のものにすることがベストであることは言うまでもないことでしょうが。
その堀口大学訳の「ミラボー橋」を、ここに。


      ミラボー橋


    ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
        われらの恋が流れる
      わたしは思い出す
    悩みのあとには楽しみが来ると

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る

    手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
        こうしていると
      二人の腕の橋の下を
    疲れたまなざしの無窮の時が流れる

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る

    流れる水のように恋もまた死んでいく
        恋もまた死んでいく
      命ばかりが長く
    希望ばかりが大きい

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る

    日が去り 月がゆき
        過ぎた時も
      昔の恋も 二度とまた帰ってこない
    ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

        日も暮れよ 鐘も鳴れ
        月日は流れ わたしは残る



ルフラン部分だけ、原詩のものを。


        Vienne la nuit sonne l'heure 
        Les jours s'en vont je demeure

詩集「アルコール」の中で「地帯」は特別な位置に置かれるものであるけれども、他の作品のなかでこの「ミラボー橋」、万人の心深くへとしみていくもの思わせる絶唱、抜けた位置に置かれるものですね。      
 
 

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