月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

詩集 / 読み間違いの文字

2009-02-28 23:37:14 | Weblog
図書館から、田村隆一(1923-1998)の中央公論社1982年6月刊、「5分前」という詩集を借りている。別の本を探しに書棚の近くに行って、そこに見えた彼の背文字の名前に殆ど気まぐれに抜き取ったというだけのようなもの。ちょっと関心あり、というあたりのところで。
中央公論のような出版社から詩集を発行できる。たいしたものです。というほどに著名な詩人ということ。借りてから、ひとつ、またひとつと読んでみた。いかにも詩人。当然そう行くだろうとこちらが感じる向きに、詩語が放たれていく。当人のあるいは時代の、詩表現スタイル。繰り返し繰り返されただろう、現在的でありながらなにか既にマンネリ化した部分も思わせてしまうような、類型性。勝手にこちら、どこかで感じていたりするのだが、でも、田村隆一。どの一行にも、田村隆一がある。と見る感覚で、触れようともしている。
「一冊の詩集」というタイトルの詩を、読んでいた時のこと。夜の時間で、ちょっと手持ちぶたさでこの詩集を手にとったのだが、ちょうどページをめくる処で、最後の行が、

    おれがあいした木から流れるのは

となっていた。ところが、ちょっと明かりの足りないところで文字を追っていたのと、それほどに眼が良く見えていなかったのとで、その「木」が私には「本」に見えたのである。だから、

    おれがあいした本から流れるのは

と読んだわけである。そこで、私は次の言葉に「緑」が来るだろうと思った。ページをめくる前に。「本から流れるのは」、なにか緑のイメージのものという感じがあったというところで。そうしてページを開いてみたら、

    緑の血

とあった。それが最終行で。こちらは、思い当てたような感覚。そのあとでページを戻して見てみて、「本」ではなく、「木」の文字だったことに気づいたわけである。

    おれがあいした木から流れるのは
    緑の血

というのが、正しい二行。
読み違えた私の二行では、

    おれがあいした本から流れるのは
    緑の血

まあ、間違いは間違いとして、詩の言葉は、相当柔軟に選べるように、私は感じていますね。いや、どこまでも柔軟であることができるだろうな、と。
そのようなことも思いつつ。

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あらびあ語に訳した伊勢物語を

2009-02-27 22:01:44 | Weblog
一冊の文庫本。もうヨレヨレ。こうした本としては、限界点を超えている崩れよう。昭和44年(1969年)に4刷発行の新潮社版。「西脇順三郎詩集」。1894年1月生まれで、1982年の6月に亡くなられている詩人のもの。
多分、1980年の中頃に住んでいた大田区南馬込の古本屋で買ったものであるはず。その時すでに、古びた感じの色合いに変わっていたと記憶する。これまで、不要と思える本はその時々処分してきているのだけれども、手元にありつづけたというのは、関心ある詩人であったからということ。長らく手に取らないことなどはあったにせよ。
ここのところ、また読んでいる。ところが最初に書いたように劣化がはげしい。紙は茶に変色。まともに閉じられた状態ではなくなっている。本の真ん中で、分かれてしまう。1ページ単位で、離れてしまう部分もある。というわけで、先ずは背表紙の部分など、分離をしないようにボンドでなんとか接着するようにするなどして、補修。文庫本サイズの、厚手の黒のビニールカヴァを利用するようになって特に問題はなくなっている。この限界まできているような変色したページの黒のカヴァつき本を、電車の中などでも読んでいる。
確かに、古い。でも、眼に慣れている。愛着を覚えるということになるのだろうか。新しいものを買おうかと思いはしても、その方にはいかない。ページが外れるのを戻しながら読みながら、それがこの一冊らしくて良い、などと感じている。
1927年に「超現実主義詩論」を発表した西脇順三郎。自分が彼と同郷(新潟)、彼の出身地小千谷はすぐ隣の街。などということも彼に傾く要因となってはいるのだが、面白いんだな、彼の作品。
何日か前、昭和28年(1953年)の詩集「近代の寓話」の部分を外でコーヒーを飲みながら読んでいて、その中の作品「アタランタのカリドン」の、「雪女の庭に春が来る/生きていた時紫の靴下をはいた/女にあげる/あらびあ語に訳した伊勢物語を」という詩行に至り。アラビア語、ではない「あらびあ語の伊勢物語」、というのは微妙な意図のある処と思えるけれども、それは例えばの部分。それら、それぞれの詩作品に触れてあれこれ、その表現からイメージや考えを膨らませるたのしみを与えてくれる詩集の良さ。面白味。ふいとまた、その時に感じたんですね。
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詩-Space  風の下  

2009-02-01 21:58:06 | 


                        黙々と
            野を過ぎる
    風
    両手で掻いて    
    誘われるように
    身をうねらせ
    すすむ
    ひとのようです
                        その
             下には
    姿を
    現わす機会も
    奪われて
    さらさら
    さらさらと
    ただ
    さらさら
    さらさらと
    過ぎる
                        生も
            死もない

    流れも
    あり
    ます


                   Six Poems No.3 2001
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