月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

闇 / What do you think?

2010-04-29 22:58:07 | Weblog


        What do you think?
        ほんとうに
        愛するひとを
        傷つける
        深く愛されていること
        知りながら
        傷つけること止まらない
        胸抉られつつも
        止められない

        闇
        抜けることなかったね
        闇
        そこにもあったのだね
        そのせいにして
        良いものでもない
        けれど
        宿命のようにね
        闇

        What do you think? 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩-Space  四月/白壁の窓に寄る影

2010-04-22 22:50:38 | Weblog


        寂しいだろうね
        なんの便りもなければね
        空からも
        彼方の街からもなにも
        届かなければね
        忘れられたみたいに
        なるんだろうね
        それは
        欠けた側に思いの
        傾きすぎている時だから
        多分ね

                              April 2010
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20㎞歩いて通う中学生 / エピソード

2010-04-17 00:49:15 | Weblog
私はその頃、小学校の高学年になりかけ。その頃、県道を挟んで向かいにあった家のその人は、高校生。でも、私の住んでいた新潟のその稲作地の町には全日制の高校がなくて、その数も少なかった高校に進学できる者は、長岡や柏崎、あるいは小千谷に出て、下宿などして通うのが常だったんですね。当時は、現在のように道路が整備などされていない。県道は土の道。交通機関を利用して遠い街の高校に、通えるような状態にはなかったんですね。みんな家を出て、下宿。それが普通であったのに、道向かいの家の県立の柏崎高校生だった彼は、自転車で通っていたんです。経済的な理由があったからなんでしょう。下宿をすれば、負担が増える。ところで、私も一度だけ、その頃柏崎の療養所に入っていた友達のところに友人何人かと、道を辿って行ったことがあるのですが、途方もない距離のように思えました。途中、山を越えなければいけない。どれ位の距離か? 20キロ近くになるのか。彼が通学したのは、土の道。雨の日は、どうだったのだろうか。もちろん冬は雪で通えないから下宿をしたのだろうけれども、その大変さを思わせられる。その人は、体を悪くしてしまい、どうしたのだったか。卒業までいかなかったような記憶がある。私は、近くの家には3年ほどしか住んでいなかったのだけれども。

そのようなことを、今度のO先生のこの14日、最初の授業での、先生の自己紹介のお話をきいていて、思い起こした。信州のご出身なんだけれども、町の旧制の中学校に通うために5里の道を歩いて通ったと言われた。20キロメートル近くの道。毎日の、往復。むかし、イタリアでのヒッチハイクで20キロほどの距離を歩いた記憶があるけれども、余程の我慢強さがなければ、通いつづけられないのではないか。先生の旧制中学での成績は、ピリから二番目だったとかで、卒業まで通してビリから二番目のまま。最後までビリにはならなかったと。その通学にエネルギーを要したことが、成績に反映することになったのかどうかは分からないけれども、そうしたことよりも実になることをその体験を通して得たことは、間違いがないんでしょうね。大学に入るのに何年か浪人をし、大学院に入るのにも、浪人をしたとか。それからずうっと相撲をやっていて、70歳まではまわしをつけて相撲をとっておられたのだとか。印象に残るエピソード、色々とありました。
1933年生まれのO先生。早稲田大学大槻宏樹名誉教授のことなんですけれどもね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩-Space  いくらでも先

2010-04-13 23:25:12 | Weblog




        待望するもの
        一向に現われる気配
        無い
        と言う時の場所
        なにも
        地面の内側からと
        決める
        ものでもない
        扉の向こうからだったりも
        する
        けれど
        現われなければ
        空の下
        仰ぎ見たりなどしながら
        音立てずに
        脇
        過ぎる時間に
        飛び乗るなどして
        また先
        いくらでも
        先
        切符などなしで
        ね

                        13 April 2010
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Crazyという絵を描く指/冤罪

2010-04-08 06:38:58 | Weblog
例えばの話。実際には殺人など犯していないのに、殺人犯にされて死刑の判決を受ける。そうしてもう何十年も、死刑囚として刑務所の中。未来の全くない今日から、明日。またその次の日。そうした日々。例えばの話。それは、いまあなたが陥っている運命であるのですね?
なんと不公平な、と思います。言葉を失うようなことは、日常的に、ありふれてあるので、もうすっかり鈍感になって、ひとのくるしみなどにだあれも、もう反応をしない? あなたが本当は無実で、それなのに何十年も刑務所の中に殺人犯として閉じこめられつづけ、くるしんでいても、正義の魔法の力が瞬時に救い出してくれることは、有り得ない。不公平としか言えないと、全ての人に同時に刻まれる時間なるもの流れる、いまのこの刻。また、木霊。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いまその心を占めていること/議員辞職のW氏

2010-04-03 22:34:39 | Weblog
あの時の、いけない手。同じこの手が、あの時にずうっと先まで伸びで、あの因果なボタンなどを押していなければ、何事も起きなかったのに。行く川の流れは、淀みなく淡々と流れていたはずであるのにね。彼も、おそらくはそうしたパターンが好き。そこに思わぬ展開などが紛れ込み、自分の運命を振り回すというようなこと、望んでいたわけはないでしょう? んん? あのお方が、そのような愚かしいことを? などと思われるのはね、プライドが許さないだろうし、だいたいがそうした状況になると、この時とばかりに当の者を責め立ててくる者、過剰に増えだしたりするわけでして、それに晒される。表向きはね、どこ吹く風、泰然たる姿勢を装いたいところでしょうが、場合によりけりで。この場合はどうしても、恥じ入る様子なども見せないことには?  そもそも、なにが彼をしてそのような行為へと向かわせたのか。その実の事情も知りたいところながら、なんだか、哀しい。さみしい事態。何故ならば、ワタシは、当の人について抱いていた印象、悪いものではなかったわけでしてね。花見日和の今日、桜の樹の下などを通りながら、なんということなく思ったりなどしていたものです。いま、その人の心の中を占めているもの、どのようなことなんだろうな。経験豊か。そうした年齢に至っている人にして、いま思うこと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする