月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

詩-Space  追う

2010-03-27 23:21:03 | Weblog


         追う
         という形
         私は好まないと
         腰にスピーカーなど下げて
         宣言している
         夢の中の
         あなたに
         似た
         あなたがいるので
         願望にそれがあるからと
         あるひとは言う
         求めて
         得られそうもないこと
         分かりながら
         追う
         という形
         利口ならば避けるもの
         進むほどに辛さ
         増える
         だけの形を
         道すがら思い描けば
         向きも
         見えてくるもの
         だから
         止められないあなたは   
         体の前で両手など
         合わせ
         握りしめながら
         揺れる
         呻く


                        27 March 2010  
         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩-Space   孤独

2010-03-24 22:44:51 | Weblog
 

             まるごと
             というのは
             皮膚全部もむろん
             入るので
             髪一本までも
             抜けない
             ぶぶん
             だからまるごと孤独
             と言う人の
             孤独
             範囲
             その
             にぎやかなこと
             此処にて改めて
             眺め
             見る

                          24 March 2010
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十歳が言う、父を宜しくお願いします。

2010-03-19 22:24:43 | Weblog
こういうシーンは、見られるものではないのではないかな。ということでは、なにか感動を覚えさせられるようなことでありました。その場にいて良かったな、と個人的には感じましたね。

今日、早稲田大学の小野記念講堂で、講演会「坪内逍遥の歌舞伎・舞踊作品をめぐって」という催しがありまして、講師に歌舞伎俳優の中村富十郎さん。聞き手には、演劇博物館顧問で、私が大学エクステンションセンターの授業で教えていただいたことのある鳥越文蔵先生。
最初に舞台の「良寛と子守」のビデオ上映があり、それからステージ上で富十郎さんが、鳥越先生の問いかけなどに応じて様々なエピソードを交えて語られ、進行していったわけなんですね。

ところで富十郎さんは、1929年生まれの方なんですが、1996年に33歳年下の女性と結婚されて1999年、70歳になられる時にご長男を授かっている。そして2003年に女のお子さん。そのお二人のお子さんも、今日はご両親と一緒に来ていたわけなんです。ステージ前の席で、父親の富十郎さんが話されるのを見、聞いていたわけなんですね。

それで最後に、鳥越先生がお子さんたちをステージ上に呼んで、すぐ脇に来た長男で既に鷹之資名を襲名している大君に先生がマイクを渡して、「なにかおっしゃりたいことがあったたら、どうぞ言ってみて下さい」というようなこと、優しく言われたんです。
十歳の大君は、すぐには思いつかない様子でちょっと間があったんですが、それから、
「みなさん、どうぞ、父を宜しくおねがいします」
そのように、言ったんですね。

会場に、笑いが広がりました。80歳の父親、富十郎さんは、照れるのとうれしいのと、みんな一緒になったような笑い顔で、椅子の上、体をゆらせていました。それは、なんとも言えない思いだったのでしょう。
十歳の息子が、八十歳の父親を、宜しくお願いします、と言ったその場面。
記憶に残るでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然草英訳/「色」から、lovemaking?

2010-03-14 21:13:28 | コラム
Donald Keene訳の吉田兼好「徒然草」を、英語の勉強にと読み始めたばかりのところですが、面白い言葉が出てきたものだなと思ったのが、第三段のところですね。
文中の、but if he has no taste for lovemaking,という部分。兼好さんの文の中に、lovemaking などと訳される内容のもの、ありましたでしょうか? その原文は「萬にいみじくも、色このまざらむをのこは」と始まる部分で、色このまざらむおのこ、その「色」がlovemakingと英語に訳されているわけなんですねえ。
その部分、日本語の現代語訳(1952角川文庫今泉忠義訳のものではありますが)では、「情趣の分からないような男は」となっていて、「色」は「情趣」と訳されているわけです。英訳のものを外国人が読む時に、lovemakingという言葉から、「情趣」という意味合いを感じとれる? もっとストレートな行動、あるいは意味イメージへと向かうのではないですか? 私の持っている学生時代からの古い英和辞書には、lovemaking「n,くどき、言い寄り、求婚」ということになっておりますね。もっと直接的な性行動の意味合いも今は、あるのではないのかな。ドナルド・キーン氏(1922-)と言えば、高名な日本文学の研究者でもあります。心得た訳の筈ですから、ううむ、興味深いところですねえ。そうした訳。
余談ですが、何年か前、近くの船橋駅で待ち合わせの人たちと会っているところの彼を、通りすがりに見たことがありました。80代の半ばというご年齢だったわけですが、そんな年齢とも思えないような印象であったように記憶しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩-Space  無い

2010-03-10 22:54:12 | Weblog


           無い
           というのが降る中に
           見える
           雨の
           夜
           降る中を下りに下ること
           寂しさ
           とは言わずに呑みこむ
           無いことに
           慣れ過ぎたひとが
           世の中も下りに下ること
           たまたまの
           雨なのか
           切なさ
           とは言わずに呑みこむ
           眺めの色
           その時たまたま
           濃く変じただけのもの
           なのか
           無い
           夜
           雨

                          7 March 2010  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気になること /不快/心に残るもの

2010-03-08 05:59:22 | Weblog
もう半世紀も昔のことになりますからね。生まれて、新潟の中学校を卒業して上京するまでの時間。心に残るいじめのような記憶は全くないと思えるほどに、時間も過ぎてしまったし、心の傷として残るようなものは、実際何も無かったということは言えるんだろうと思う。それほどに、のどかな夢の中にいたように感じられなくもない、地方での子供時代。
何かしら対立的なことがあったりしたのは、上京後。16歳から19歳位にかけてだろうか。私の友人との付き合い方に、不快感を見せて当たってくる者が、別の時期に2度ばかり現われたこと。特定の友人と親しくし過ぎる、と見た者がその現われた者たち、ということになる。経済的な理由で田舎では進学できずに上京して、昼間は仕事をし(勤めていたのは、慶応の中等部)、高校は都立高の二部に通っていた。同じ学年の個人、ということだったのだが、その反感を見せて当たってきたのは、いずれも暗い印象のタイプだったように思う。なにか、いじいじと考えそうなタイプ。こちらからすると、自身にとって自然な行動が、こちらからすれば無関係の何者かに、そうした不快感を与えているというのは、思い及ばないようなこと、あるいは余計な馬鹿げた迷惑なこと、そうした次元のこととしか思えないことだったんですけれどもね。その人間以外の者は、誰も私に対してそのような感情を持たない、何事もなく普通の関係にあっわけですからね。ひとりの場合には、私が親友としていた友人と同じスポーツの方の部活をしていた者に私について言って、その人間に、私に向かってこちらにはかなり不快な人つき合いについての忠告めいたものを、言わせたことがあったのです。その不快さは、じつは今も残っている。それが19歳の頃。翌年、昼間部の方の大学に進学したのだけれども、以降の人生では、とりわけ残るようなものもない。10代の心にあったことならではの、感じ方ゆえだったのだろうか。むろん、そうしたことも、もう思い起こすようなこともないのだけれども。。ただ、そこに記憶を戻すとすれば、その不快さが甦るということ。そのままにそこにある、ということになると思いますね。

学習院の初等科。生徒は選ばれているのでなかったのだろうか。乱暴な子がいる、というのを知り、そのあたりの配慮はどうなのかと気になる。愛子様。学校に行かない状態とは、そうしたご年齢で心に感じられたこと、状況を思えば、それは彼女だけに限らない、どのような子供たちにとっても同じ、本当に憂慮すべきこと。心からはいつまでも、その時に受けた思いは消えないことを思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩-Space  ゆにばあす/ワタシ

2010-03-04 22:15:47 | 文学


          他には無い
          というのがこの容れもの
          裏に
          別の容れもの
          などは無い
          と語る幻想の神も
          いない
          らしいので朝のニュウス
          聞きながら
          習慣のように飲みこむ
          こおひい
          かっぷ手にするこのひと
          だあれ
          遠くに見えて
          ワタシのことを知るのは
          とてもむずかしいこと
          ワタシというのは
          とても見えにくく謎であること
          裏には他にないらしい
          このゆにばあすは
          入りこめば
          ひとを狂わすあぶない
          えりあ
          ぼおおおおおおお
          と立ち止まる
          時
          訪れること
          ありて

                               4 March 2010  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩-Space  上下

2010-03-02 21:59:55 | Weblog
                                                     
            空
            やっぱりそこが
            出る
            下では聞いていても
            皆目
            分からない人間
            世界の
            むずかしい話がある
            それが増して
            いよいよ
            人間
            世界らしくなるので
            空も
            見下ろし方を
            考える
            などということはない
            だろうけれど
            高いのはどちらかとは
            言う
            だろうね

                            1 March 2010
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする