講師は以前(去年の4月ごろ)友人から
「興味がある話題なんじゃない?」とメールを頂き
『バークリーメソッドを逆にたどる』というタイトルの
日記を読んで興味を持っていた細馬宏通氏。
滋賀県立大学人間文化学部人間関係専攻講師である。
メールを送ってくれたことに感謝する。講師に関して
事前に何らかの印象があるのと無いのとでは大違いだから。
2005年1月12日 映画美学校 音楽美学講座
第4回 特別講義
テーマは
「音/音楽によるコミュニケーションの可能性」
と何だか難そうなタイトルだけど
実はカートゥーンを題材にした
「映像と音楽の同期」という事で
久々に大好きなカートゥーンをスクリーンで観られて
大変楽しく有意義な講義だった。
カートゥーンの動きと音楽の緻密な連関性を知った事や
何故自分の感覚や嗜好がディズニーよりも
MGMやワーナーのカートゥーンを好んでいたのかここへ来て
思想など(笑)理屈として良くわかったのは大きな発見だった。
特にトムとジェリーは父親が好きだった事もあって
子供の頃から本当に大好きでよく観ていた。
ユーモラスで過激、そして毒があって
グルーヴとビートがあるのが好きだ。
トムとジェリーについて
細馬さんの定義が興味深かった。
「トムとジェリーが秀でているのは、
単にネズミがネコに勝つからではない。
二匹の動物の運動が重力から逃れ囚われ、
役割を交代させていく、そのスピードに
注目する必要がある」
トムジェリを子供の頃観ていて
(北海道と確か九州地方はラッキーな事に
平日の夕方学校から帰ると毎日放映されていたそうで)
魅力を感じたのは、奇想天外さはもちろん
スピード感や、あり得ない程の
(数秒でアメリカを何週もするような)逃げ方や追い方など
馬鹿馬鹿しくも楽しくなる非現実的な自由さだ。
確かに重力から逃れている、そして時間からも、SFチックなほど(笑)
フライシャー兄弟という名前は初めて知ったのだけど
(ポパイやベティ・ブープを作った人)
ベティが最初は人間と犬のハーフのような
かなりエキセントリックなキャラだった事や
(ベティの犬時代)ユダヤ系女優として
地位を確立していた事や、デビュ-当初は
可愛いというより「アタシ何でもやります」的な
女優だった(笑)という事やら
昔のフィルムを観ながらだったのだけど
大変に動きがキュートだった。
筒井康隆のベティブープに関する著書も興味深い。
どうやら、このフライシャー兄弟というのは
キャブ・キャロウェイ(ブルースブラザーズの冒頭部に
出て来るおじいさん)というミュージシャンの
不思議なダンス的動きからヒントを得て
アニメーションを作ったらしい。
(歌いながら踊る時の動きで、まるで元祖ムーンウォーク)
ベティーブープの動きを始め
(彼女も最初は犬人間だった・笑)
ネコやらイヌやら動物の動きの何とチャーミングな事!
改めて映画のスクリーンでカートゥーンを観てトムとジェリー
そして元祖アンニュイキャラのドルーピー(お久しぶり)
なども含め、その魅力的な動きは、
動物キャラクター独特の柔らかく可愛らしい動きだった。
(キャラは小憎らしいんだけど)
そして、子供心にもハッキリ憶えているのは
あの、豊かなオーケストラによる音楽。
講義でも当然それに触れられて
今でも記憶の中で聴く事が出来る
スコット・ブラッドレーによる
超贅沢な効果音的な音楽や(役割音楽と言うそう)
何故カートゥーンのキャラクターが
人間でなく動物なのか、という問いも興味深い。
その背景には移民問題も絡んでいるという事や
動物が人間のフリをしているのは
人以外のものが人を演じるところの何か、とか
黒人が白人を演じるとか
そういうところに表出するリアルさのようなものを
狙っているのではないか、という見方。
それを聞いていて
例えば男性が女性を演じる女形に表れる
実際の女性以上に如実な女性性など
それは「そうでない」という状態でいて初めて
表現される何かに似ているように思った。
それは「欠如」した何かを第三者の存在によって置き換え
埋めるような幾分倒錯的ともいえる表現。
いずれにせよ、何か間に異質なものを媒介すれば
その表現は成功する、という事なんだろうか、、
香しい香りを引き立てるために
一滴だけ混ぜられた獣香のように、、、
などと、とめどない事を考えているうちに
大いに学び過去の記憶を動員したりして講義は終了した。
最後に岸野先生の「もう1本見ましょうか」という一言で
私を含め生徒一同拍手喝采。
1本細馬先生がセレクトしてカートゥーンを観る事に、
そして岸野先生のこの一言に大感謝することとなる。
細馬さん「1本を選ぶのは案外難しいですね。
勉強になるものか、エンターテイメントものにするか…
ここは音楽関係の講義ということで…
これでいきましょう」と説明されたストーリーに
まさか、、、あれ?
もしかして、、、
ああ、やっぱりそうだった。
トムとジェリーの再放送で主役のトムとジェリーより
妙に印象に残っていた或るストーリー。
もうずっと何だったのか探していて
観たいと思っていたものは『magical maestro』というタイトルだった。
Magical Maestro
日本語では「へんてこなオペラ」だそう。
トムとジェリー 真ん中作品 「へんてこなオペラ」
但しトムとジェリー以外のキャラクターが演じるものなので
日本語版のものは未だ媒体化されていない。
3本立ての真ん中にやっていたもので
(真ん中はいつもトムジェリ以外のキャラクターの物語だった)
タイトルは憶えていなかったんだけど
ブルおじさんがフィガロの結婚を歌っていて
悪戯なマジシャンの指揮者が
そのブルドッグマエストロを茶化し邪魔をするように
次から次へと彼をおかしな姿へ変身させていく
マジシャン指揮者、もうやりたい放題。
凄まじい迄の馬鹿馬鹿しいユーモアセンス
細馬さんが仰っていたように確かに
ポリティカルコレクトネスに引っかかりそう。
(まあ、ここはアメリカではないが)
地上波で再放送されないわけだ。
ジャングル黒べえや仮面ライダーアマゾン並に…(苦笑)
ちびくろサンボが文化として復活したのだから
この過激にユーモラスでおかしなカートゥーンを
世界が笑い飛せたら良いのに。
最後の方のあたかもフィルムのノイズのような
画面隅にある「ヒゲ」をちょん切るのは
子供心にも不思議で印象に残っていたんだけど
ここで解明されるとは思ってもみなかった。
ずっとずっと観たいと思っていて
タイトルを知らなかったこのカートゥーンに
映画美学校のスクリーンで出会えるなんて
私にとってはとても感慨深い。
想像もしてなかった。大人になった今でも
これを愛せる事がとても嬉しい。
ここ最近、本当に好きな事は時代を超えて
連綿と繋がり広がって消える事なく、いつかどこかでまた
必ず出会えるものなんだな、と感じる事が多い。
どんなに些細な事でも幸せなこと、と思えるのは幸せだ。
「カフカを読んだディズニー」と評された
テックス・エイヴリーの『凶暴リス』が素晴らしく痛快。
好き!(笑)
Screwball Squirrel
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「興味がある話題なんじゃない?」とメールを頂き
『バークリーメソッドを逆にたどる』というタイトルの
日記を読んで興味を持っていた細馬宏通氏。
滋賀県立大学人間文化学部人間関係専攻講師である。
メールを送ってくれたことに感謝する。講師に関して
事前に何らかの印象があるのと無いのとでは大違いだから。
2005年1月12日 映画美学校 音楽美学講座
第4回 特別講義
テーマは
「音/音楽によるコミュニケーションの可能性」
と何だか難そうなタイトルだけど
実はカートゥーンを題材にした
「映像と音楽の同期」という事で
久々に大好きなカートゥーンをスクリーンで観られて
大変楽しく有意義な講義だった。
カートゥーンの動きと音楽の緻密な連関性を知った事や
何故自分の感覚や嗜好がディズニーよりも
MGMやワーナーのカートゥーンを好んでいたのかここへ来て
思想など(笑)理屈として良くわかったのは大きな発見だった。
特にトムとジェリーは父親が好きだった事もあって
子供の頃から本当に大好きでよく観ていた。
ユーモラスで過激、そして毒があって
グルーヴとビートがあるのが好きだ。
トムとジェリーについて
細馬さんの定義が興味深かった。
「トムとジェリーが秀でているのは、
単にネズミがネコに勝つからではない。
二匹の動物の運動が重力から逃れ囚われ、
役割を交代させていく、そのスピードに
注目する必要がある」
トムジェリを子供の頃観ていて
(北海道と確か九州地方はラッキーな事に
平日の夕方学校から帰ると毎日放映されていたそうで)
魅力を感じたのは、奇想天外さはもちろん
スピード感や、あり得ない程の
(数秒でアメリカを何週もするような)逃げ方や追い方など
馬鹿馬鹿しくも楽しくなる非現実的な自由さだ。
確かに重力から逃れている、そして時間からも、SFチックなほど(笑)
フライシャー兄弟という名前は初めて知ったのだけど
(ポパイやベティ・ブープを作った人)
ベティが最初は人間と犬のハーフのような
かなりエキセントリックなキャラだった事や
(ベティの犬時代)ユダヤ系女優として
地位を確立していた事や、デビュ-当初は
可愛いというより「アタシ何でもやります」的な
女優だった(笑)という事やら
昔のフィルムを観ながらだったのだけど
大変に動きがキュートだった。
筒井康隆のベティブープに関する著書も興味深い。
どうやら、このフライシャー兄弟というのは
キャブ・キャロウェイ(ブルースブラザーズの冒頭部に
出て来るおじいさん)というミュージシャンの
不思議なダンス的動きからヒントを得て
アニメーションを作ったらしい。
(歌いながら踊る時の動きで、まるで元祖ムーンウォーク)
ベティーブープの動きを始め
(彼女も最初は犬人間だった・笑)
ネコやらイヌやら動物の動きの何とチャーミングな事!
改めて映画のスクリーンでカートゥーンを観てトムとジェリー
そして元祖アンニュイキャラのドルーピー(お久しぶり)
なども含め、その魅力的な動きは、
動物キャラクター独特の柔らかく可愛らしい動きだった。
(キャラは小憎らしいんだけど)
そして、子供心にもハッキリ憶えているのは
あの、豊かなオーケストラによる音楽。
講義でも当然それに触れられて
今でも記憶の中で聴く事が出来る
スコット・ブラッドレーによる
超贅沢な効果音的な音楽や(役割音楽と言うそう)
何故カートゥーンのキャラクターが
人間でなく動物なのか、という問いも興味深い。
その背景には移民問題も絡んでいるという事や
動物が人間のフリをしているのは
人以外のものが人を演じるところの何か、とか
黒人が白人を演じるとか
そういうところに表出するリアルさのようなものを
狙っているのではないか、という見方。
それを聞いていて
例えば男性が女性を演じる女形に表れる
実際の女性以上に如実な女性性など
それは「そうでない」という状態でいて初めて
表現される何かに似ているように思った。
それは「欠如」した何かを第三者の存在によって置き換え
埋めるような幾分倒錯的ともいえる表現。
いずれにせよ、何か間に異質なものを媒介すれば
その表現は成功する、という事なんだろうか、、
香しい香りを引き立てるために
一滴だけ混ぜられた獣香のように、、、
などと、とめどない事を考えているうちに
大いに学び過去の記憶を動員したりして講義は終了した。
最後に岸野先生の「もう1本見ましょうか」という一言で
私を含め生徒一同拍手喝采。
1本細馬先生がセレクトしてカートゥーンを観る事に、
そして岸野先生のこの一言に大感謝することとなる。
細馬さん「1本を選ぶのは案外難しいですね。
勉強になるものか、エンターテイメントものにするか…
ここは音楽関係の講義ということで…
これでいきましょう」と説明されたストーリーに
まさか、、、あれ?
もしかして、、、
ああ、やっぱりそうだった。
トムとジェリーの再放送で主役のトムとジェリーより
妙に印象に残っていた或るストーリー。
もうずっと何だったのか探していて
観たいと思っていたものは『magical maestro』というタイトルだった。
Magical Maestro
日本語では「へんてこなオペラ」だそう。
トムとジェリー 真ん中作品 「へんてこなオペラ」
但しトムとジェリー以外のキャラクターが演じるものなので
日本語版のものは未だ媒体化されていない。
3本立ての真ん中にやっていたもので
(真ん中はいつもトムジェリ以外のキャラクターの物語だった)
タイトルは憶えていなかったんだけど
ブルおじさんがフィガロの結婚を歌っていて
悪戯なマジシャンの指揮者が
そのブルドッグマエストロを茶化し邪魔をするように
次から次へと彼をおかしな姿へ変身させていく
マジシャン指揮者、もうやりたい放題。
凄まじい迄の馬鹿馬鹿しいユーモアセンス
細馬さんが仰っていたように確かに
ポリティカルコレクトネスに引っかかりそう。
(まあ、ここはアメリカではないが)
地上波で再放送されないわけだ。
ジャングル黒べえや仮面ライダーアマゾン並に…(苦笑)
ちびくろサンボが文化として復活したのだから
この過激にユーモラスでおかしなカートゥーンを
世界が笑い飛せたら良いのに。
最後の方のあたかもフィルムのノイズのような
画面隅にある「ヒゲ」をちょん切るのは
子供心にも不思議で印象に残っていたんだけど
ここで解明されるとは思ってもみなかった。
ずっとずっと観たいと思っていて
タイトルを知らなかったこのカートゥーンに
映画美学校のスクリーンで出会えるなんて
私にとってはとても感慨深い。
想像もしてなかった。大人になった今でも
これを愛せる事がとても嬉しい。
ここ最近、本当に好きな事は時代を超えて
連綿と繋がり広がって消える事なく、いつかどこかでまた
必ず出会えるものなんだな、と感じる事が多い。
どんなに些細な事でも幸せなこと、と思えるのは幸せだ。
「カフカを読んだディズニー」と評された
テックス・エイヴリーの『凶暴リス』が素晴らしく痛快。
好き!(笑)
Screwball Squirrel
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ジェリジェリジェリチュ♪
あのエンディング、忘れられないんだけど(笑)
訳詞が与えたイメージも大きいですね。
私も家帰ってすぐに「トムとジェリー」観てました。
使用人のオバさん出て来るバージョン好きだったなぁ。
動物だけ出てくるより、人間居た方が子供心にホッとしたのだろうか?
私は非現実性のほうを望んでいたらしく
人間が出てくるとがっかりしたものです(笑)
人それぞれのようで面白いですね。