言葉による音楽的な日々のスケッチ

作曲講座受講日記と、言葉による音楽的日々のスケッチを記録

言葉による日々のスケッチ

2006-01-01 02:53:09 | ART
カレンダーでは西暦が1年進み
2006年、元旦になりました。

深夜、両親は既に就寝。

東京に居るときは、時々望郷の想いを抱き
こうして郷里からは東京の親しい人々へ
想いを馳せつつ


皆様。新年あけましておめでとうございます。
どんな皆さんが読んで下さっているのか全てを把握する事は
出来ませんが、いつもありがとうございます。

全ての皆様にとってより充実し、
より良い年でありますように。


さて。2005年最後の日々の備忘録を
スケッチのように記録しようと思います。

従いまして新年である2006年の日記のテーマは
『日々を文章でスケッチする』事に。

この日記のタイトルも変わり
『言葉による日々のスケッチ』日記となります。

『憂鬱と官能を教えた学校』こと
映画美学校での音楽美学講座受講日記も
もちろん、続けます。
どうぞ引き続きよろしくお願い致します。

以下、日々の備忘録

12月28日

<ノン・リュー>

仕事納めの土壇場で年内迄にと言われていた
自社ウェブサイトの更新作業に追加の依頼が入る。
今日の今日で大丈夫なのかと思ったら
締め切りも来年の10日まで延びたので、とりあえず
何事も無く仕事を終える。

16時半頃から納会が始まり、去年と同じような雰囲気で
ビールとワインを三杯ほど頂き
サンドウィッチやお寿司などを少しつまみ
また仕事に戻る。帰り際に最後に社長や役員に挨拶。
「(北海道に)帰るの?」と訊かれ、今からこのまま帰るのです、と
上司たちと短い談笑。年の瀬の挨拶をして
そのままリムジンバスで羽田へ。
毎度の事ながら仕事納めの日は慌ただしい…

仕事納めで頂いたアルコールのせいで、ついつい居眠り。
あっという間に到着。危うく乗り過ごすところ。
師走の首都高は思ったより空いていた。

羽田は初めて利用する去年新設された第2空港。
空港とはフランスの人類学者マルク・オジェによる
著作によると『非場所』と定義されている。所謂ターミナル。

ターミナルという場所の雰囲気は嫌いじゃない。
多くの人と人とが行き交い、それぞれの目的地へ向かう
一過性の場が持つ独特な雰囲気や
通り過ぎて行く沢山の人々の間に流れる距離感は心地よい。
そのせいかそこで過ごす時間は(トランジット以外は)
いつも、あっという間。

日本の空港はどれもデザインが一緒で
慣れてしまえばつまらないけれど、今回はとりあえず
初めての場所なので(第1空港よりは多少カフェが充実していた)
サバティーニ系列のカジュアルラインの店の
混雑し慌ただしくも不思議に落ち着く
雰囲気の中でサラダとスパークリングワインを注文する。

あいにく飛行機は到着機の遅れによって
40分程遅延してしまったけれど
揺れもせず快適なフライトだった。22時40分に到着。
北国の空港は雪景色で晴れ。星が眩しいくらい澄んだ夜。
気温はー8℃。



12月29日

<地方都市とメイドインアメリカ>

郊外に出来た巨大ショッピングスポットに
おいしいコーヒーを飲むという目的だけのために行く(笑)

土地が余っている地方都市に建設された大手スーパーの店舗は
さながらアメリカ西海岸の郊外にある
無意味に巨大なショッピングモールのようで、ちょっと驚いた。

でも巨大な器に対して中身は画一的。

かくしてメイドインアメリカの本格的コーヒーや
ヴィンテージジーンズは(4万も5万もする)
地方都市に済むモードへの関心度の高い若者にも
入手可能になったけれど
そこにはその土地が持つ独自の魅力は
完全に失せていた。

人口が増えているにも関わらず
かつて街の中心地だった場所にあった
にわか景気で出来た店舗はことごとく閉店に追いやられ
昔から在る老舗の珈琲店など顧客を獲得した優良店が幾つか
かろうじて生き残っていたのは象徴的。


12月30日

<暖かく山を臨む場所>

31日までは妹夫婦と子供が住む家に泊まる。
この家の主(義弟)はとても良く出来た人。歳は妹と同じ。
彼らは、私が日頃から素敵だなと思うアーティスト達のように
優れた知識人だったり
表現力に秀でていたりするわけではないけれど
彼らが発するさりげない一言や、
たった一つの行為は、人の気持ちを暖かくする。
とても素敵な才能だと思う。

自由な姉(傍からはそう見えるであろう)からすると
育児を含め家を取り仕切る妹は、もはや妹ではなく
頼りになる姉のようだ。立場がいつしか
逆転してしまった事を感じるのだった。

皆で近くにある温泉に出かける。大きな火山と
森に囲まれた場所にある。眩しい程、晴れて居た。

昼間から山と雪景色を見ながら露天風呂に浸かる。
空は透明で青く雲はところどころ桃色で
色や質感は東京のそれとは少し違うといつも思う。
思い出すのはフェルメールの絵に出て来るような空。
たっぷりと寛ぐ。




12月31日

<私の時間を両親と共に>

1年ぶりに姉妹やその家族達と賑やかな(場合によっては
子供が居るので騒々しくも)振り返れば楽しい時間を過ごし
31日の今日は両親が住む小さくて静かな家で3人で過ごす事に。
両親とだけ過ごすのは何年ぶりの事だろう。

母と久々に1対1でじっくりおしゃべりをする。
私が家に居た時は、母と何でも話した。

時に親友や姉のように、恋愛の話しとか
好きな映画や音楽など、まあまあ突っ込んだ会話なども。

久しぶりに家族と過ごすと、良くも悪くも
家族で居た時の自分の『立場』というものがわかってくる。
それは、その時そこに居なかった新しい家族と過ごしても
変わらないようだ。

家族という集合体には芝居のように
誰にでも必ず役割というものがあるように思える。
その中では誰でも良い役ばかりでもなく
悪役を引き受ける家族も居る。そんな存在の人のことを考えつつ。

人はいつか生まれた家を出る時がくる。
そうしなくて済む人は、幸いだと思う。



もう高齢の母に「人生に後悔はない?」と
訊いてみたいと思っていた。母は、後悔は無いと言った。
それを聴いて安心した。0時を過ぎて母に
「まだ寝ないの?」と訊かれ
「これからが、私の時間」と答える。

やっぱり一人で、あれやこれや、考える時間は
どこにいても必要。今日は、皆が寝静まった後、、、

母の母親(亡くなった祖母)の話をして
彼女がとてもモダニストだったということや
その影響を母が最も影響を受けた事や
(母親は世代の割にはリアリストで
独自の世界観を持っている)改めてその母親の思想が
最も私に強く引き継がれた事を感じた2005年最後の日。