報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

日本から撤退する海外メディアと神舟6号

2005年10月19日 20時53分28秒 | ■時事・評論
ここ数年で、海外のメディアが続々と東京から撤退しているらしい。世界のメディアに占める日本のニュースの割合も、ここ数年で著しく低下しているようだ。フォーブス誌の日本特派員ベンジャミン・フルフォード氏が著書の中でそう書いている。フォーブス本社からも、日本以外のアジア経済の記事を多く要求されるようになっているとも述べている。

あくまで、ニュースも商品でしかない。商品価値のないものは誰も扱わない。別に、海外のメディアが日本からいなくなったところで、とりたてて問題ではない。しかし、それが意味するところは大きい。海外のメディアが東京から撤退するということは、日本発のニュースに重みがなくなったということだ。別の言い方をすれば、世界における日本そのものの重みがなくなったということだ。

海外メディアは東京から撤退して、本国に帰るのではなく、アジアの別の国へ移動しているらしい。どこかといえば、中国だ。なぜかといえば、日本よりダイナミックに変化しているからだ。

ここ数年を見ても、日本の経済成長率はアジアで最低である。だいたい1%台だ。それに比べて、韓国やマレーシア、シンガポール、フィリピンは4~5%台。タイとベトナムは5~7%。そして、中国は8%台だ。経済成長率という数字を絶対視するわけではないが、指標にはなる。日本の「失われた10年」を尻目に、アジア経済は着実に活性化している。

これからますます活力を持ち、成長していく中国経済は世界経済にも大きな影響を与えることになるだろう。外国メディアの移動は、アジアの経済的変化の流れに沿っているわけだ。その中国の躍進を象徴するのが宇宙開発だろう。

17日、中国の有人宇宙船神舟6号は宇宙飛行士二人を乗せ、5日間軌道上をまわり、無事帰還した。有人飛行はこれで2度目だ。中国の技術力と技術開発力の高さ、品質の安定性、そしてマンパワーの充実を如実に物語っている。いまだに人工衛星の打ち上げでさえ安定性と信頼性を欠いている日本とは対照的だ。

しかし、宇宙開発は富を生むわけではない。なぜ中国はいま宇宙開発をするのだろうか。もちろん、軍事目的という要素も考えられるが、それはオマケだと思う。中国の宇宙開発とは、世界の信頼を買うということなのではないだろうか。

中国は、市場経済を取り入れ、海外の投資を呼び込み、めざましい経済成長をしているとはいえ、中国経済の成長が本物かどうか危ぶむ声は多い。単なるバブルにすぎないとも言われている。また、中国は共産党一党独裁の国だ。共産主義へのアレルギーはまだまだ濃く社会の中に根強い。そうした疑心暗鬼やアレルギーを一気に払拭するには、相当な荒療治が必要だ。その答えが、有人宇宙飛行であり、月面着陸計画なのだろう。中国は国際社会に対して、安定した新しい中国をアピールしたい。もはや頭の固い古い中国ではない、と。そういう意味で「神舟効果」は絶大だと思う。言葉や数字よりも、はるかに説得力があるのではないだろうか。

かつての米ソの宇宙開発競争も、大国同士のプロパガンダ以外の何ものでもなかった。人工衛星の打ち上げには、軍事的意味があるが、月面着陸には軍事的経済的メリットなど何もない。月面着陸で、先を越されたソ連は、あっさり月面着陸計画を反故にした。最初に、行かなければ意味がないのだ。つまり大国としてのメンツの問題だ。アポロ計画のあと、アメリカが欠陥シャトルを打ち上げ続けたのも、宇宙開発先進国としての見栄とメンツでしかない。ロシアが、宇宙のゴミ寸前のミールを軌道上に維持し続けたのも、元超大国の見栄だ。しかし、その見栄やメンツは国益でもあるのだ。宇宙開発をやめれば、国際社会から、国力はなくなったとみなされる。

中国の場合、たとえ二番煎じでも、月面に降り立つ価値がある。中国人が月面に降り立つとなればその注目度は絶大だろう。もう30年ばかり、人類は月へ行っていない。僕はアポロの月面着陸の中継をリアルタイムで見た世代だが、中国の宇宙船が月面に着陸するとしたら、アポロのときと同じくらい興奮すると思う。ブッシュ大統領が、ほとんど無意味と言える火星有人探査計画をぶち上げたのは、中国の向こうをはった大国の見栄に違いない。ここは、見栄を切らざるを得ないのだ。たとえ計画倒れでも。

いまの中国政府は、いつ何をすべきかを的確に判断し、それを確実に実行する大胆な決断力を持っているように思う。つまり、見栄を切れるだけの国力と度量を持っているということだ。今の世界で、そうしたダイナミズムを持った国は他にないだろう。中国はその存在価値を増し、国際社会での地位を上げていくことは間違いないだろう。海外のメディアが日本から中国へ移っていくというのは理の当然だ。

では、中国に注目する海外メディアは、いまの日本をどう見ているのだろうか。さきのベンジャミン・フルフォード氏は、
「いまだに規制緩和と民営化を叫び続け、改革の入り口にさえ到達していない小泉は、時代遅れ anachronism もはなはだしい。」
と、一蹴している。

神舟6号の地球帰還の日に、小泉首相が靖国神社へ参拝したのは偶然なのか、それとも意図的なのか。もし、靖国参拝がなければ、神舟6号の帰還は、日本のメディアでもトップで報じられたはずだ。しかし、靖国参拝によって、抱き合わせの補完的報道になった。首相の胸のうちは計りかねるが、選挙で大勝し、「郵政民営化」法案を成立させ、有頂天の首相にとって、頭上の宇宙船がこころよいものでなかったことは確かだろう。

海外メディアが、再び日本に帰ってくる日はくるのだろうか。