28日、自民党党紀委員会は反対派50人の処分を決定した。
除名処分の10名をはじめ、離党勧告処分や戒告処分、党員資格停止などさまざまだ。
元造反議員のほとんどは、先の国会で「郵政民営化」法案に賛成票を投じた。自己保身のために有権者の意思を裏切ったと言っていいだろう。”民意”などというのは言い訳に過ぎない。先の選挙は「郵政民営化」の是非を問う選挙だったはずだ。造反議員に票を投じた有権者は、当然、「郵政民営化」法案に反対してくれる議員として票を投じた。にもかかわれず、有権者に断りもなく、一転して賛成に転向するというのは有権者への裏切りと言ってさしつかえない。
議席数で小泉自民が圧勝したからといって、それに従うのが”民意”の反映ということにはならない。何をもって”民意”とするかという定義もない。そもそも、得票数を見れば、ほぼ互角だったのだ。”民意”は「郵政民営化」、賛成、反対真っ二つに分かれたのだ。それを、勝手に”民意”は「郵政民営化」賛成と解釈することはできないはずだ。何をどう取り繕っても、有権者への裏切り行為を正当化することはできない。
離党届を出した議員諸氏は、ことごとく将来自民党への「復党」を望んでいる。自民党への「復党」を望んでいる議員が、今後、小泉首相の政策に反対するなどもはやありえない。離党届とは、小泉首相への忠誠心の踏み絵と言っていい。おそらく、これから元造反議員は、猛烈な小泉賛美と忠誠合戦を繰り広げるだろう。この合戦で高得点をあげたものが復党が叶うことになる。
離党した元造反議員と小泉チルドレンとの間でも、忠誠合戦となるだろう。なぜなら、彼らは、次の選挙でもライバル同士になるのだから。より忠君を示し、気に入られた者が、次の選挙で優遇される。そのとき小泉氏が首相でなかったとしても、影響力は保持しているだろう。特に、背水の陣の離党議員は必死だ。小泉チルドレンは暢気に構えていると足をすくわれることになるだろう。ただ、有権者にとっては、どちらもまったく魅力のない存在だが。
小泉首相は単なる礼賛や忠誠だけを望んでいるわけではないだろう。そういう下僕的行為は誰にでもできるし、明確な差も生まれない。絶対君主への忠誠とは、実体を伴わなければ意味がない。つまり、君主の権力をより強化するためのアイデアや具体的行動だ。それを提言し、実行できる者がポイントを稼ぐことになる。
この、離党議員と小泉チルドレンの忠誠合戦に、ポスト小泉候補の4氏が別の忠誠合戦を繰り広げる。
立花隆氏がこんな風に書いている。
(後継者を一人に絞らないのは)はっきり1人にしぼったりしたら、そのとたんに、政界の政治力学は、早々とその人を中心に動くようになってしまって、小泉首相がレイムダック状態におちいることが必定だからだ。
それよりも、政権中枢に総裁候補を置いておいて、忠誠を競わせるようにすれば、自分の政権が安定すること請け合いである。
過去の歴史から拾えば、佐藤栄作長期政権の末期に、福田赳夫と田中角栄を両翼において、次期政権禅譲のにおいをプンプンさせることで、どちらにも忠誠心を最大限に発揮させ、自分の政権を最後まで安定に保ったのが見事な例となる。次の長期政権となった中曽根康弘もまた同じ戦略を使った。竹下登と安倍晋太郎の2人の総裁候補に次期政権をちらつかせて、忠誠心を競わせ、自分の政権を安定に保った。
(立花隆のメディアソシオ ポリティックスより抜粋)
小泉首相は、背水の陣の元造反議員とタナボタの小泉チルドレンを競わせる一方、後継候補4人にも忠誠を競わせる。小泉首相は、圧倒的多数を獲得したあとは、この多数の忠誠の質を高めたいのだろう。それによって、小泉独裁が今後ますます強化されることは間違いない。日本の政治は、かつてないほどの、国民不在の無思慮なゴマスリ政治になってしまうのかもしれない。
小泉首相は来年9月の任期で辞めると匂わせているが、ゴマスリの極みと言えば、それをさせないことである。後継候補、離党議員、小泉チルドレンあげての続投要請になるにだろう。要するに、自ら望んで続投するのではなく、乞われるから仕方なく続投するのだという状況になる。
圧倒的な権力を現に持っている者が自分からその権力を手放すようなことをするかといえば、しないというのが、あらゆる権力の歴史が教えるところである。
(立花隆のメディアソシオ ポリティックス)
絶対的存在として、できるだけ長期間君臨したいというのが権力者の心理だ。来年の任期で辞めると匂わしているのは、まわりから続投を言わせたいからだ。ましてや、小泉首相は歴代首相の中で最も大きな権力を握った男なのだ。自ら権力を手放すなどありえない。ただ、状況が不利になれば、いつでも言葉どおり辞めることもできる。
当分は、うんざりするような出来事の連続になるのだろう。
除名処分の10名をはじめ、離党勧告処分や戒告処分、党員資格停止などさまざまだ。
元造反議員のほとんどは、先の国会で「郵政民営化」法案に賛成票を投じた。自己保身のために有権者の意思を裏切ったと言っていいだろう。”民意”などというのは言い訳に過ぎない。先の選挙は「郵政民営化」の是非を問う選挙だったはずだ。造反議員に票を投じた有権者は、当然、「郵政民営化」法案に反対してくれる議員として票を投じた。にもかかわれず、有権者に断りもなく、一転して賛成に転向するというのは有権者への裏切りと言ってさしつかえない。
議席数で小泉自民が圧勝したからといって、それに従うのが”民意”の反映ということにはならない。何をもって”民意”とするかという定義もない。そもそも、得票数を見れば、ほぼ互角だったのだ。”民意”は「郵政民営化」、賛成、反対真っ二つに分かれたのだ。それを、勝手に”民意”は「郵政民営化」賛成と解釈することはできないはずだ。何をどう取り繕っても、有権者への裏切り行為を正当化することはできない。
離党届を出した議員諸氏は、ことごとく将来自民党への「復党」を望んでいる。自民党への「復党」を望んでいる議員が、今後、小泉首相の政策に反対するなどもはやありえない。離党届とは、小泉首相への忠誠心の踏み絵と言っていい。おそらく、これから元造反議員は、猛烈な小泉賛美と忠誠合戦を繰り広げるだろう。この合戦で高得点をあげたものが復党が叶うことになる。
離党した元造反議員と小泉チルドレンとの間でも、忠誠合戦となるだろう。なぜなら、彼らは、次の選挙でもライバル同士になるのだから。より忠君を示し、気に入られた者が、次の選挙で優遇される。そのとき小泉氏が首相でなかったとしても、影響力は保持しているだろう。特に、背水の陣の離党議員は必死だ。小泉チルドレンは暢気に構えていると足をすくわれることになるだろう。ただ、有権者にとっては、どちらもまったく魅力のない存在だが。
小泉首相は単なる礼賛や忠誠だけを望んでいるわけではないだろう。そういう下僕的行為は誰にでもできるし、明確な差も生まれない。絶対君主への忠誠とは、実体を伴わなければ意味がない。つまり、君主の権力をより強化するためのアイデアや具体的行動だ。それを提言し、実行できる者がポイントを稼ぐことになる。
この、離党議員と小泉チルドレンの忠誠合戦に、ポスト小泉候補の4氏が別の忠誠合戦を繰り広げる。
立花隆氏がこんな風に書いている。
(後継者を一人に絞らないのは)はっきり1人にしぼったりしたら、そのとたんに、政界の政治力学は、早々とその人を中心に動くようになってしまって、小泉首相がレイムダック状態におちいることが必定だからだ。
それよりも、政権中枢に総裁候補を置いておいて、忠誠を競わせるようにすれば、自分の政権が安定すること請け合いである。
過去の歴史から拾えば、佐藤栄作長期政権の末期に、福田赳夫と田中角栄を両翼において、次期政権禅譲のにおいをプンプンさせることで、どちらにも忠誠心を最大限に発揮させ、自分の政権を最後まで安定に保ったのが見事な例となる。次の長期政権となった中曽根康弘もまた同じ戦略を使った。竹下登と安倍晋太郎の2人の総裁候補に次期政権をちらつかせて、忠誠心を競わせ、自分の政権を安定に保った。
(立花隆のメディアソシオ ポリティックスより抜粋)
小泉首相は、背水の陣の元造反議員とタナボタの小泉チルドレンを競わせる一方、後継候補4人にも忠誠を競わせる。小泉首相は、圧倒的多数を獲得したあとは、この多数の忠誠の質を高めたいのだろう。それによって、小泉独裁が今後ますます強化されることは間違いない。日本の政治は、かつてないほどの、国民不在の無思慮なゴマスリ政治になってしまうのかもしれない。
小泉首相は来年9月の任期で辞めると匂わせているが、ゴマスリの極みと言えば、それをさせないことである。後継候補、離党議員、小泉チルドレンあげての続投要請になるにだろう。要するに、自ら望んで続投するのではなく、乞われるから仕方なく続投するのだという状況になる。
圧倒的な権力を現に持っている者が自分からその権力を手放すようなことをするかといえば、しないというのが、あらゆる権力の歴史が教えるところである。
(立花隆のメディアソシオ ポリティックス)
絶対的存在として、できるだけ長期間君臨したいというのが権力者の心理だ。来年の任期で辞めると匂わしているのは、まわりから続投を言わせたいからだ。ましてや、小泉首相は歴代首相の中で最も大きな権力を握った男なのだ。自ら権力を手放すなどありえない。ただ、状況が不利になれば、いつでも言葉どおり辞めることもできる。
当分は、うんざりするような出来事の連続になるのだろう。
こんな人たちは、自分が「反対」という民意の票の上に立たせてもらって当選したということをどう思っているのでしょうか。
それにしても首相の発言や行動が実に巧妙に組まれていて、危惧すべきところですが面白いですね。
今の、日本の状況、世界の状況を考えると、ふと、無力感におちいりそうになりますが。。。
人の心の創造性(愛というよりも)、主体としての力を信じていくしかないですね。。。本を読み終えて、こちらのブログを開いて、ふと書き込みしたくなって、書きました。
小さなネットワークでもひとつづつ、ひとつづつ、つながっていくしかないですね・・・
選挙のときだけ頭を下げて、当選したら、どうしようが勝手などということを許してはいけないです。国民の代表という意識が全くない。日本は、民主主義後進国ですね。こんなことがホイホイ許されるなんて。
ただ、「知る」という行為は能動的なものです。知る必要性を感じない人々の前に、事実や真実は実体を持ちません。空気のように、そこにあっても、存在を感じません。
<小さなネットワークでもひとつづつ、ひとつづつ、つながっていくしかないですね・・・>
それ以外にありません。
>この世界と日本の有様を知れば知るほど、気分は深く沈んでいきます。そのとんでもなく巧妙に築き上げられた構造。これをなんとかできるのか・・・。
まったく同じ思いに囚われながらも何とかできないかともがいていますが、「わるいけどあなたのやっていることは趣味」なんていわれてしまうともうどうしていいのやら……。知らない人に知らせることはとても難しいですね。中司さんがおっしゃるようにそういう人たちの多くは知る必要性を感じていないのですから。
それでもネットを通じて同じ思いの人たちがいると知ることで勇気づけられます。これからもお邪魔させて下さい。
コメントありがとうございます。
ブログでご紹介いただいて光栄に思います。
みな思いは同じですね。何とかしたいのに、何ともならない。時には、自分のしていることは何の意味もないのではという思いにかられることもあります。
われわれに一番禁物なのは、焦ることでしょう。小泉首相は選挙での”大勝”を背景に矢継ぎ早に、憲法「改正」、基地移転、障害者自立支援法とどんどん「改革」を進めようとしてます。ブッシュ大統領の政策も衰えることなく進んでいます。当分、この勢いはとまらないでしょう。毎日が空虚そのものです。何もできないのですから。
もちろん、街頭に立って意思表示をするという選択肢もあります。ただ、僕自身はそうしたことはしません。過去、多くの運動が起こっては消えていきました。デモなどは残念ながら一過性のものです。異論のある方もいると思いますが、僕自身かつては街頭に立ったくちです。
大事なのは、多くの人々が自ら「知る」ことだと考えています。物言わぬ人々のこころの総和こそが物事を変えるのだと思います。ただ、知ってもらうために他者ができることはありません。あくまで、知るとは、自立的な行為ですから。
われわれは焦ったり、落胆したりせず、市民として自分自身の人生を生きることが一番大切なのだと思います。自分の人生を良く生きることこそが、本当の運動だと思います。焦っている人や落胆している人は、人に嫌われますからね。