報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

写真:キサンガニ

2005年01月19日 22時47分33秒 | ●コンゴ内戦
【キサンガニ市内】
陸の孤島、キサンガニ。
昼間でも、ほとんど人通りがない。



【ダイアモンド取引所】
かつてはキサンガニでは盛んにダイアモンド取引が行われていた。
市内各所にダイアモンド取引所がある。
内戦で業者は逃げ出したが、取引がなくなったわけではない。
デビアスなどのダイアモンドシンジケートは、反乱軍ともカビラ政府とも取引を行っている。
それが双方の資金となる。



【パピと司令官】
左が、キサンガニ地区MP指揮官パピ。
もう少し自由時間が欲しかったぞ、パピ。
悪い奴ではない。
部下に対する面倒見はとてもよい男だった。
右は、RCDキサンガニ地区司令官ベレンラ・ウィリアム。



【非番の反乱軍兵士】
非番で、僕の部屋にぞろぞろ暇つぶしに来た反乱軍兵士。
素朴で気さくな連中だ。
本来、銃を手に撃ち合いをするような奴らにはとても見えない。
32年間のモブツ大統領の独裁のあと、今度は内戦だ。
アフリカを、飢餓と貧困と紛争の大地に変えたのは、いったい誰なのか。



【フツ族捕虜】
反乱軍の捕虜になったルワンダ人のフツ族兵士。
カビラ軍にリクルートされた。
彼らの部隊は、ウガンダとルワンダの領内を襲撃することだった。
彼らの部隊5000名のうち3000名が死亡。

警備の反乱軍兵士も、捕虜のフツ族にもあまり緊迫感はなかった。
キサンガニの反乱軍が、ツチ族ではないからだろう。
94年、ルワンダでは、フツ族によってツチ族がおよそ100万人殺害されたと言われている。



【スーダン人捕虜】
負傷し、反乱軍の捕虜となったスーダン人傭兵。
彼と共に7名のスーダン人傭兵が捕虜になった。
スーダンでカビラ政府軍にリクルートされた。
スーダン人傭兵部隊は全部で1200名いたらしい。
コンゴに到着すると、指揮官はウガンダのゲリラ、イディ・アミン軍から来ていた。しかし、戦闘がはじまると指揮官はさっさと逃げでしまったという。

「私はもともとはビジネスマンでした。リクルートされたとき、戦闘はないと言われた。もうスーダンには帰れない。もし釈放されたらウガンダへ行ってビジネスをしたい」
と彼は言った。
インタビューの間、彼は心ここにあらずといった様子だった。
当然だろう。彼の運命は、反乱軍に握られている。

MP指揮官パピに、彼はどうなるのかと訊ねた。
パピは、スーダンに送り返す、と言った。
たぶん本当だと思う。反乱軍の幹部も兵士も、淡々とした感じで、凶暴さは微塵もなかった。
殺すつもりなら、とっくに殺しているだろう。
彼のうつろな目を見ていると、とてもはかない気分になった。
生きてビジネスにもどってほしい。




【政府軍による虐殺現場】
キサンガニ空港のはずれで、政府軍による虐殺が行われた。
この現場だけでも、約千人のツチ族兵士が虐殺された。
ローレン・カビラは、モブツ政権を打倒するためにツチ族と共闘したが、大統領になると、用済みになったツチ族部隊を「処理」しはじめた。
案内してくれた元カビラ軍のコマンダも捕らえられ「処理」されるはずだったが、反乱軍の蜂起により危うく難を逃れた。

「わたしもここに埋まるはずだった・・・」
現場を無言で見つめていたコマンダがポツリと言った。
彼の言葉が、滑走路にこだまするようだった。



【政府軍による虐殺現場】
地表に露出し白骨化した虐殺体。
この下に千体の遺体が眠っている。



【キサンガニ市内】
キサンガニには、フランス統治時代の建物も多い。
本来、落ち着いた美しい街だ。
街はザイール河に隣接しているが、河の輸送ルートも戦闘により利用できない。
まったくの陸の孤島だった。
燃料もないので、反乱軍の車両以外は、自転車しか走っていない。