報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

コンゴ内戦(1)

2005年01月13日 19時57分56秒 | ●コンゴ内戦
──爆弾テロのナイロビから内戦のコンゴへ──

 ナイロビの米大使館爆破テロから二週間も経つと、爆破テロ跡は、きれいに瓦礫が撤去された。そこで凄まじいテロがあったという記憶も撤去されたかのように、ナイロビの街も普段の生活へともどっていった。

 しかし、爆弾テロは、アフリカをのんびり旅をしながら撮影するという僕の計画を吹き飛ばしてしまった。とてもそんな気分ではなかった。

 爆弾テロの数日前、コンゴ民主共和国(旧ザイール:以下コンゴ)で内戦が勃発していた。
 カビラ大統領に対して、反乱軍が蜂起したのだ。
 このコンゴの内戦を取材しようと決めた。

 カビラ大統領について、僕が知っていたのは、反乱軍を組織し、32年間のモブツ大統領の独裁体制を終焉させ、選挙もなく勝手に大統領に就任し、国名をザイールからコンゴ民主共和国へと変更した、ということくらいだった。

 しかし、反乱軍を組織し、モブツの絶対体制を終わらせたカビラだが、大統領になって一年で、今度は自分に対して反乱軍が蜂起した。ケニアの新聞には、カビラも結局モブツと同じ独裁者にすぎなかったと書かれていた。

 カビラは、かつてアフリカに来たチェ・ゲバラと共に戦ったこともある。しかし、ゲバラはすぐに愛想をつかしてキューバに帰ってしまった。カビラは革命家でも何でもなく、ダイヤモンドの採掘と密輸で財を成し、その財力で武器と兵士を調達し、国を乗っ取りたいだけの男だった。さすがに、ゲバラは人を見る目がある。
 カビラはそんな男だったが、32年後ついに国を乗っ取ってしまった。
 モブツの独裁政権にうんざりしていた国民は、カビラを開放の闘志と思い込み、カビラの反乱を支持した。モブツは国を逃げ出し、あっさりカビラが政権をとった。しかし、ようやく民主政治が実現されるという国民の期待はみごとに裏切られた。国を私物化したカビラは、モブツとまったく同じ独裁体制を敷いたにすぎなかった。

 大統領に就いたカビラが、まず行ったのが、モブツを倒すために共闘した「ツチ族」を国から追い出すことだった。それがカビラの命取りとなった。カビラに利用され、そして裏切られた「ツチ族」勢力がまず蜂起の狼煙をあげた。そこへコンゴ人の勢力が次々に合流し、反乱軍の勢力は拡大した。そこへ、ツチ族政権のルワンダやウガンダ、ブルンジが反乱軍を全面的にサポートした。
 さらに豊富な鉱物資源を狙う多国籍企業が暗躍し、コンゴの内戦を長期化・泥沼化した。

 現在、コンゴ民主共和国は、国を東西に二分する形で、膠着している。
 国連が介入しているが、豊富な資源の眠るコンゴの内戦が、収拾することは期待できないだろう。
 国連は、所詮、大国の利益代表にすぎない。


 98年9月、ナイロビの爆弾テロの余韻も冷めぬまま、僕はコンゴへ向かった。
 めざすは反乱軍の拠点ゴマだ。