報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

コンゴ内戦(5)

2005年01月18日 16時26分27秒 | ●コンゴ内戦
──キサンガニ:MPの監視──

 反乱軍の東北部の拠点都市キサンガニに着き、ようやく取材がはじまった。
 と言いたいところだが、僕の行動は、実質的に反乱軍のMP指揮官に握られていた。そんな話は聞いていない、と抗議するわけにもいかなかった。陸の孤島なのだ。嫌なら陸路で帰れ、とでも言われたらどうにもならない。
 結局、反乱軍の見せたいものだけを、取材させらるはめになった。
「俺たちが捕まえた捕虜の写真を撮れ」
「ここが政府軍の虐殺現場だ」
「彼が市長だ。インタビューしろ」
「オレをかっこよく撮って、今度写真をもってこい」
 そんな具合だ。
 街を歩くのは一応自由だが、そんな時間などほとんど与えられなかった。

 朝、MP指揮官(パピ)が車で来て、彼の仕事に連れまわされる。パピが仕事中は、彼の護衛とともにただ待っているだけだった。兵士と暇つぶしの話をしても「インタビューは許可していない!」とMPが飛んできた。兵士にも迷惑がかかるので、うかつに話しかけることもできない。憲兵が一緒では、市民も警戒して何も話してくれない。

 いったい、何のためにここまできたのか。
 こんな取材などやっていられるか。
 窮屈極まりない取材に、数日で窒息しそうになってしまった。
 ゴマで五日もかけずりまわって、ようやく許可を取り、ここまで飛んで来たのだが、窒息する前にゴマへ帰ろうと思った。少なくともゴマなら、MPの監視もなく自由に動き回れる。

 キサンガニでの自由な時間とは結局、メシを食っているときと、夜だけだった。話にならない。
 朝は、6時に起きて、MPの迎えが来るのを待たなければならなかった。決まった時間には来ない。7時のときもあれば、10時になることもあった。その間、どこへも行けず、何もできない。いつ来るか分からないものを待つことほど疲れるものはない。朝起きたときから、自由がないのだ。三日で我慢の限界に達した。しかし、キサンガニを脱出できたのは、それからさらに三日後だった。
 ゴマから輸送機が来ないのだ。
 最後の二日間は、ただひたすら輸送機が来るのを待った。

 結局、キサンガニでの大半の時間を、僕はただ待つことに費やした。パピの迎えが来るのを待ち、パピの仕事が終わるのを待ち、捕虜が連れて来られるのを待ち、輸送機が飛んでくるのを待つ。

 輸送機が来るのを、待ち続けているうちに、同じ宿の兵士たちとは親しくなった。前線は南西へと移り、キサンガニの守りを担当する彼らは戦闘に出ることもなく、ゆとりがあった。僕の部屋へぞろぞろ遊びに来た。言葉は通じないが、余興にヌンチャクを振り回してみせると、みんなの目の色が変わった。


 いまや世界でヌンチャクを知らない奴はいない。目の前で、ヌンチャクを振り回せば、子供から大人まで味方につけることができる。もちろん兵士もだ。
 海外でカラテができるかと訊かれて、できないと答えるのはよくない。相手をがっかりさせてしまう。子供は広場にかえり、大人は昼寝をし、女の子は背を向け、犬は勝手に散歩に行ってしまう。いいことがないのだ。余興になるくらいのカラテは身につけておいて損はない。カラテを余興などと言えば、本物の空手家が怒るかもしれない。しかし、言葉の通じないところで相手の心をつかむには、それなりの工夫が必要なのだ。許していただきたい。

 ジャージ姿で、僕の部屋に遊びに来た兵士たちに、ヌンチャクを教えた。心配することはない。僕が教えたヌンチャクで人が死ぬことはない。戦場でヌンチャクなど何の役にも立たない。
 不器用にヌンチャクをふりまわし、体のあちこちにぶつけて痛い思いをしている兵士を見ながら、皆で大笑いをして夜を過ごした。歩哨の兵士もやってきて、軍服姿のままヌンチャクをふりまわした。そのとき腰の手榴弾に思いっきりヌンチャクがぶつかった。そのくらいで爆発するものではないが、ちょっとビビッた。彼らは、飽きずにヌンチャクを振り回していた。

 反乱軍の兵士とは。
 もちろん普通の人間だ。
 我々と何の変わりもない。
 我々と、違うところと言えば、キサンガニのように陸の孤島となった地域は、兵士になること以外に、収入の道がないということだ。あらゆる商取引が途絶え、物資も燃料も雇用もない。あるのは、反乱と多量の武器弾薬だけだ。兵士になれば生きている間は収入を得る。

 キサンガニ滞在中、兵士にちゃんと給与が渡されるのを見た。
 いつものように、パピの車で引き回されているとき、車が銀行へ入った。銀行は営業していない。反乱軍は、銀行を金庫に使っていた。パピは、ズタ袋いっぱいの現金を下げて戻ってくると、さっそく部下たちに給与をわたした。MP兵士の給与額は、よくわからない。適当につかんだコンゴ・フランがわたされた。そして数えもせずポケットに突っ込まれた。たぶん実際の給与よりも大目なのだろう。パピもレンガのような札束を確保した。ズタ袋は、MP本部に届けられ兵士に給与が配られた。一ヶ月、約20ドル。

 さて、反乱軍の資金の出所は?
 分かるわけがない。
 ダイアモンドなどを採掘して、それを欧米の業者に卸していると見るのが一般的だ。「コルタン」という希少鉱石も反乱軍の資金源になっているようだ。コルタンは、IT関連製品に使われる小型コンデンサーなどの最先端製品に欠くことのできない原料だ。欧米の鉱山会社と密約を交わしし、豊富な資金を得ているようだ。それから数種類のロシア製の航空機とパイロット、整備士を見ても、大国も陰に陽に関わっていることも明らかだ。

 コンゴの内戦は、コンゴの周辺諸国と欧米(系多国籍企業)の利益が絡んだ資源戦争だ。すでに多くの国の利権が複雑に絡んだコンゴの内戦が解決する見通しは暗い。一度つかんだ利権を簡単に手放す国はない。
 コンゴ民主共和国は、アフリカ大戦の危険さえはらんだ火薬庫と言える。
 さて国連は、これをどう解決するのか。
 結局のところ、いつものように、大国の利益だけを確保するつもりだろう。