laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

じゅるじゅるからぐじゅぐじゅへ

2014-03-04 | kabuki a Tokio

これ、褒めてるんですがw。歌舞伎座昼の部は夜よりは大分落ちたなあ。
とはいえ、それなりに面白かったですけどね。

対面

んー。

こういうのって巧い下手じゃなくて面白いかどうか、なんだなあとつくづく。

橋之助の五郎、孝太郎の十郎、どっちもそつはないんだけどなんともつまらない。
とくに橋之助、いつもにこにこ機嫌よさそうで荒事なんてぴったり!と思わせておいて、いざというとき、なんだか小さくまとまっちゃってる感じ。なぜここで爆発しない!と発破かけたくなっちゃった。
小さくまとまっているといえば、梅玉。祐経がニンじゃないのは分かってるけど、ニンじゃないのも巧いことやっちゃう人なんだけど、うーん、けど、けど、けど。つまらない。
とにかく絵面と勢いが大切なこの狂言、なんで正月でもないしここで?と思いながら面子を見てたら
そうなのね、と自分で納得。
今月、本来なら福助児太郎親子の襲名興行だったわけで、お祝い用にたくさんの役者をブッキングしちゃったんでしょう。襲名がなくなって、さて、これだけの役者に最低一回ずつ出てもらうためには・・・と松竹も困った挙句のこの形。たくさん出られる狂言といっても、助六や暫やるわけにもいかない(成田屋出てないしね)し、無難なところで対面、になったんだろうな。
そんな事情が透けて見えるほどの、退屈な一幕でした。

身替座禅

 

菊吉共演ということでいちばん期待していたのだけれど。
なんだろう?もちろん巧いんだけど、あまり好きじゃなかった。
菊五郎の右京が、これまた張り切りすぎなのか、ちょっと作りすぎていて、中村屋入ってる感じ。
対するに吉右衛門は、ほとんど作らない、そのままの玉の井で。姿勢としては嫌いじゃないんだけど、怖くもない代わりに右京への愛情も感じられない。
でかい年上のプライド高い妻ってだけ。こういう人いるよねぇ、wと思うだけで。やっぱり玉の井はコワ可愛い、そして右京を愛してる様子が欲しいなあ。
そして、何がいちばん不満だったかというと、二人とも踊れてない。
吉右衛門はしょうがないとしてw菊五郎の花子を思っての仕方噺から歌祭文のくだり・・・こここそ中村屋並みの踊りが見たかったなあ。
ってことでここは期待しすぎた?
菊吉は夜の勧進帳のほうが数段いいですな。

封印切

 

昼の部はこれがいちばん。
とにかく藤十郎に尽きる。
巧いとか下手じゃなくて、存在そのものがちゅーさんなんだよねぇこの方。
何も作ってないように見える(もちろん作ってるw)。
じゅるっとした台詞回しや立ったり座ったりのたびに気になる足腰の弱りなどもちろん気になる点は多々あるのだけれど、それを補ってあまりある存在感と輝く色気。
ただ・・・タイトルどおり、じゅるを通り越して、ぐじゅぐじゅになってしまい、正直何を言ってるかわからない箇所も散見されたので、この狂言を初めて見る人はイヤホンガイドか筋書きがないと、ちゅーさんとかわさんに何がおきたのか、分からないかもw
とくに山城屋さん型だと、封印を積極的に切らないからねぇ・・・

まあ他人はともかく私は藤十郎を見てるだけで満足できたのですが。
正直脇がもったいないなあ。
扇雀は気が強そうに見えて梅川っぽくないし、何より翫雀が・・・大好きな役者なのだけれど、八つぁんの嫌味さがどうにもでない。顔が善人の顔なのだもの。仁左衛門が元気で八つぁんに付き合ってくれたら決定版になったとおもうのだけれど・・・

ニ人藤娘

綺麗なのはわかる。
二人で踊る意味が、二倍綺麗?wwwというわけでもないし、わからん。
夜の部でも感じたけれど、自分が踊れなくなったところを、手足のように七之助にカバーさせてる玉三郎。という図に見えてしまうのは私だけだろうか。
「ご挨拶」のとき、七之助が所作板の上を滑るようにすり足で進むのに、玉三郎はまるでよたよたと腰痛の老人のようにドタドタと(本当にそういう足音だった)歩いていて、見ていて辛くなるほどだった。
容姿の衰えがさほどでもないだけに余計痛々しいと思うのは私だけだろうか。

七之助は玉三郎を尊敬しているらしいが、舞踊と義太夫狂言に関しては教わらないほうがいいと思う・・・