錯乱坊の彷徨える日々

フィールドでの出会いに癒しを求めて…

黒雲母角閃石デイサイト

2021年03月23日 | 石ころ

昨日の昼から島原半島へ渡ったCherry。
その目的は・・・・ 観光。
いや、違いますぅ。
そのミッションは1990年11月より約5年間も続いた噴火により供給された雲仙普賢岳のデイサイト、そう溶岩です。
と、言うのも・・・・
規制が解除されて直ぐに現地入りして入手したものの、ある所に展示するために最も見栄えがする大きなデイサイト標本を寄贈した。
が!
担当者がいなくなると、それらの扱も雑になり・・・・
最終的には消えた。(おそらく廃棄されたのだと思う)
ただ、手元に全く無いわけじゃない。
岩石標本として四角くカットしてものは1つ2つはあるけれど、そこそこのサイズで展示に向くようなモノ(標本)がない。
だからと言っても、昔は火砕流が流れ下った河川敷に普通に落ちていた。
が!
今では土石流対策で河川は整備され河川敷内へ降りるどころか川床に転がっていたデイサイトは殆ど見られなくなってしまったんですよね。


しかーし、諦めの悪いCherryは火砕流が流れ下った水無川を遡るようにして探してきました。
と、言うか有るところにはある。
そうやってゲットしたのが、👆このデイサイト。
細かく言えば黒雲母角閃石デイサイトって言うんだけど・・・ 阿蘇や桜島などで見られる溶岩とは、ちょっとばかり見た目が違う。
粘性の高いマグマが緩やかに上昇し大きな溶岩ドームを形成したことで、マグマ中の斜長石や角閃石が大きな斑晶となってグレーの石基中に存在しているのが分かるかと・・・。
ちなみに白く見える斑晶が斜長石で黒いものが角閃石の斑晶です。
要するに水に溶かした塩水をフライパンで熱して急速に水分を飛ばすと、含まれていた塩は細かい粉状の結晶になりますが、ゆっくりと時間をかけて蒸発させると正方形の大きな潮の結晶ができるのと理屈は同じ。


ただ、河川敷の中には今回の平成新山から供給された平成溶岩とは別に、今から約200年前の江戸時代のに起った噴火で供給された新焼溶岩も含まれるので全てが平成溶岩とは限らないんだなぁ。
とは言え、先の塩での例えのように、その時々で噴火の状況で冷える条件も変わってくるので、そこにできた斑状組織などの違いを見ていると何となくだけど分かる。
しっかし、あの普賢岳の大火砕流から30年かぁ・・・・ 
我身もジジイになるはずだ。

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