倉野立人のブログです。

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〈旧来の概念では・・・〉

2012-03-09 | インポート
3/8 Thu.  [ クラちゃんの起床時刻 5:45 AM ]
ニュースで、東京立川市の都営アパートで、90才代と60才代の母娘が、死後時間経過した遺体で発見された報道がされ 「 またか 」 の感を新たにしました。
立川市では、去る13日にも、アパートで45才の母親と4才の子どもが遺体で発見されたばかりです。
これに限らず、さいたま市や台東区、また札幌市の集合住宅でも、家族を構成していなから、その家族ごと孤立死に至るケースが相次いでおり、改めて社会問題となっています。
これまで〝高齢者の孤立〟といえば、住居が点在する山あいの村の問題、というイメージでしたが、近年では、表面的には賑わいを見せる都心部に住んでいながら(であるからこそ、か)孤立する高齢者が増えており、この状況は、現代社会の縮図ともいえる状況です。
また、これまで〝孤立死〟といえば、独り暮らしの高齢者、というイメージでしたが、先ごろの報道で分かるとおり、複数家族で暮らしている、いわゆる一家(いっか)や、高齢に満たない年代の方が亡くなってしまうケースも散見され、旧来の概念で捉えるにも限界があることが感じられます。
例えば、独り暮らし世帯を見守る制度があっても、最近のケースでは複数家族で構成されてる「世帯」であり、独居見守りの基準とは対象外です。
また、高齢者を見守る制度があっても、高齢者の定義は65才以上なので、それ未満の年齢の方は、高齢者福祉の対象外です。
また、立川市の母娘のケースは、高齢者は市の所管で住宅は住宅供給公社の管理、どっちの責任でケアするか、というと、またぞろその〝定義〟があいまいで、後の記者会見では、市の高齢者福祉担当が 「 いや、それは公社が対応すると思っていたので・・・ 」 の釈明答弁。
さらに今は 「 個人情報保護の遵守 」 の〝規定〟があり、やたらに個人宅に踏み込めない状況です。
さきの震災以降 『 絆 』 の大切さが叫ばれ、実際に近隣の横のつながりを深める意識が高まってきています。
しかし実際に、このような痛ましい事例が頻発しているのも事実であり、高齢化などの現下の社会構造や、地域コミュニティー低下などの社会情勢、そこに防災意識向上の重要性などの将来課題など、あらゆる観点から改めて認識を新たにし、行政や地域が、何か事(こと)が起こった後で禍根を残すことにならないよう、新たな態勢づくりに取り組む必要がある、と強く感じるところです。
また一方で、私が気になるのは、立川市の2件・・・母子のケースは、子どもが障がい児、母娘のケースは、母親が要介護者(認知症)であったことです。
このことは、世話を看(み)る家族にひとたび異変が起これば、看(み)られる側の家族は為(な)すすべもなく衰弱の道を辿らざるをえない、ということを示しており 「 家族を構成しているからダイジョウブ 」 という〝規定〟には当たらない、むしろ(家族にハンディがある分)逆だと言えるのではないでしょうか。
この面のケアも、課題のひとつと思います。
福祉は基本的に〝申請が第一義〟ですが、この概念をどう見つめ直すか、も、問われていると言えるのかもしれません。