11/24 Tue. [ クラちゃんの起床時刻 5:30 AM ]
いつものとおり早起きクラちゃん、朝イチバンの日課であるブログ更新をしようとPCに向かうと、何やらいつもと違う画面が。
読み進めてみると、どうやらブログのログインシステムが変更されたようなのです。
画面上は「手順に従って操作すれば、今まで以上に使いやすくなります」とされているのですが、どう操作しても「使いやすく」の画面まで到達することができません(@@)
結局第三者のヘルプを仰ぐことになったのですが、その間、閲覧者の皆さんにはゴ迷惑をかけることとなってしまいました。
臨時休業の失礼を謹んでお詫び申し上げますと共に、掲載し損ねた活動のご報告をさせていただきます。
◇ 11/23(月)
・長野市ソフトテニス協会の「納会大会」の
〝お楽しみ時間〟に伺いました。
この日は、私が会長を務める「長野市テニス協会」の「納会大会」が行われました。
早いもので季節は11月、テニスや野球などの屋外競技は、そろそろシーズンを一旦しめくくる時期を迎えます。
この納会大会、競技者を中心に構成されているテニス協会の会員ですが、この日ばかりは勝ち負けにこだわらず、親睦を主としての「団体戦」を行います。
私が伺ったのは、ちょうどお昼どきでした。
いつものとおりに本部席に伺うと、アレ、誰もいません。
で、施設の裏に回ると、試合のない参加選手の方が、なぜか窓に向かって立っています。
何をされているのかと覗くと、ギモンは即座に判明しました。
窓の向こうはパントリー(湯沸かし室)で、協会役員の曲淵さんと さんが「トン汁」を調理し、それを窓越しから選手の皆さんにデリバリーしていたのでした(^^)
ナルホドこれならいちいち施設の中に迂回(うかい)せずにその場で、ゲームの合間に召し上がることができ、この〝ワンストップサービス〟は、スムーズな試合進行に大きく貢献しているのでした。
改めて〝厨房〟を伺うと、三畳にも満たない狭いスペースで「テニス協会のオ母サン」のお二人は、イイ汗をかき、お腹を空かせたて並んだ皆さんに、かいがいしくオ給仕を務めていたのでした。
私も皆さんと一緒にご相伴にあずかったのですが、秋空の下でいただく〝湯気の上る〟トン汁はとってもオイシク、何より、皆さんで一緒にいただいたのは、名実ともに〝温かいひととき〟でした。
長野市テニス協会は、市内の競技レベルの向上と、テニス愛好者の底辺拡大をめざし、役員サンを中心に脈々と活動を展開されています。
そして、その根底には、皆さん自身「テニスが大好き」で、自分たちがテニスを愛好することで、市民に最も手軽なスポーツであるテニスを広く伝播しておられます。
今後も、テニスの楽しさを一人でも多くの市民の方々が感じ取っていただき、将来に亘ってテニスが受け継がれることを期待して止まないところです。
・立正佼正会長野教会の村山教会長の送別会にお招きいただき、
寂しさを共有しました…。
夜は、親交を深めさせていただいている「立正佼正会長野教会」の村山教会長サンが、急きょ転任することとなり、教会の壮年部が企画した送別会にお招きいただき、村山教会長がどれほど皆さんに慕われていたかを再認識すると同時に、私も一人の個人として親しくしていただいた経過を踏まえ、突然の別れの悲しみを共有し、別れを惜しみました。
普遍宗教たる仏教を伝導する立正佼正会は、自教を絶対とする、他の「原理主義的宗教」と異なり、私のような〝一般人〟も、寛容の精神で受け入れてくだいます。
私も、初出馬以来「まず他者の幸せ」を第一義とする佼正会の教えについて、議員の立場で学ぶことが多くあり、ことあるごとに足を運び、教会長サンのご法話などを通じ、学びの機会をいただいております。
これまで三代に亘る教会長サンと親交をもたせていただいておりましたが、とりわけ一昨年赴任された村山教会長サンとは波長が合い、親交が高じて、この7月からは地元のスナックで、教会長サンの誕生日の17日に「一七会」として例会を行うまでの間柄になりました。
ところが、聞けば、全国区である教会職員、とりわけ教会長職は、ある日突然「〇月〇日から〇〇教会の教会長を命ず」という辞令が発動され、否応なしに転任を余儀なくされるとのことです。
この度は、盛岡教会の教会長兼ねて北日本ブロックのブロック長という辞令で、いわば「ご栄転」なので、本来は祝うべきところなのですが、それを超えた「突然の別れの悲しみ」が一同の胸中を覆ってしまったところです。
村山教会長サンは、自身の極貧の幼少時代を経て「大衆の心を理解してくださる教会長」として、僅か2年の間でしたが、それは皆さんに慕われる存在となっていました。
「他者を思う気持ちが自分の人生を変え、やがて社会全体を善導する。」ということをモットー に、法話の場では、身振り手振りで、ときにユーモアを交えて熱く語る姿は聞く者の心を掴み、その評判を聞いて、今まで教会に足を運ばなかった方も、ご法話のある日ばかりは通うようになったという逸話があるほどです。
また、日頃から、社会における男性の役割についても「男は社会になくてはならない存在であれ」と壮年部を熱心に指導され、何というかチームのキャプテン的存在として、オトコショ(男衆)からも慕われているのでした。
その、オトコショから成る壮年部が主催の送別会、オトコ臭い中に男の友情の機運が満ち、私も話しの輪の中で、これまでの交流を懐古し、共に涙を流しました。
それでも最後は「今や長野と盛岡は、新幹線でひとっ飛び。いくらか離れて活動するようになりましたが、思いは同じ、これからはお互いに切磋琢磨し、どこかで会えた時、村山教会長サンから「成長したな」と言われるように頑張りましょう。」とエールを交わし、参加者全員でカメラに収まりました。
この夜集まった皆さんも、共通認識をもってそれぞれの社会生活を過ごし、教会長サンは、全てを包含した立場で、みんなの「良き理解者」として大きな存在感を示しておられます。
物理的な別れを通じて、一抹の悲しさにとらわれたものでしたが、共通の思いを抱いていれば、いつ、どこにいても、一体感をもって精進できるものです。
村山教会長サンとの突然の別れを通じて「距離を超えた共通認識」の大切さを再認識したところです。