既に多くの相撲ファンの間で話題になっているとおり、先日(23日)に千秋楽を迎えた「大相撲初場所」で 長野県出身の郷土力士「御嶽海関」が、結びの一番で横綱の照ノ富士を破り 自身3度目となる幕内優勝を果たし、併せて悲願となっていた大関への昇進を確実なものにしました。
立ち合いから鋭く横綱の左を差し、まさに万全の形での勝利でありました。
実は ウチのオフクロが 大の御嶽海ファン。
と いうのも、倉野家は 亡父が木曽町・オフクロが木祖村・オフクロの妹夫婦が上松(あげまつ)町在住だったこともあり、木曽出身の御嶽海関には ひとかたならぬ思い入れがあるようなのです。
何というか 自分の孫が戦っているかのような心境で、日々の取組を応援していたのでした。
したがって 今場所も勝った負けたで一喜一憂、勝っているときは「怪我でもしないか…」と親心を寄せ、負けたときには「落ち込まなければイイが…」と親身に心配しておりました。
いつもオフクロは「関取の 勝負に向かう厳しい眦(まなじり)と、勝負後の柔和な顔つきのギャップがイイんだよね。」と愛好を崩しているのです。
この日の結びの一番も、真剣そのものの表情で画面にくぎ付け、優勝が決まった瞬間には 年甲斐もなく「ヤッター!!」と大はしゃぎし、優勝インタビューのとき アナウンサーに「いよいよ大関ですね。」と水を向けられ、感極まって暫(しば)し沈黙した関取の心情を思い もらい泣きしていたのでした。
おそらく、そんな(オフクロのような)心境は 多くの御嶽海ファンが抱いていたものであったでしょう。
学生横綱の鳴り物入りで角界入し、途中までは順調に出世し これまで2度の優勝を果たすも、そこから先(大関への昇進)を前に 周囲のライバルたちに後れを取る形で足踏みを続けていました。
それでも 多くの御嶽海ファンは「いつか日の目を見るときが来る」と いわば関取と同じ心情で我慢を重ねてのこの日…おそらく その苦節の時間が長かったからこそ喜びもひとしお、何というか 皆(みな)で長いトンネルを歩き続けて ようやっと明るい出口で陽光を浴びた感激を味わったといったところでしょうか。
で、長野県出身力士の大関獲りについては これも既に報道等で話題になっていますが、その歴史は はるか227年前の「雷電為右ゑ門関」まで遡(さかのぼ)るとのこと。
まさに時空を超えての信州郷土力士の大関昇進、これも いわば御嶽海関のもつ話題性のひとつと言えるのかもしれませんね。
ところで、オフクロに準じて 御嶽海ファンを自認する私ですが、特に私が 御嶽海関の所作(しょさ)で好きなところがあります。
それは、相手を土俵外に出しても 決して「ダメを押さない」ところであります。
激しいぶつかり合いを演じる 格闘技とも言える取組の中では、相手を土俵の外へと押し切るために ややもすると土俵下に落ちろとばかりに思い切り突き落としたり、既に勝負が決まっているのに〝ダメ押し〟をしたりする力士も散見されています。
ところが御嶽海関は、取組の間は激しく相手と戦いますが、イザ勝負がつけば 決してダメ押しすることなく、むしろ相手を庇(かば)うかのように まわしを押さえて(相手に)それ以上のダメージが及ばないように努めています。
相手が土俵を割った瞬間に 自分は深く蹲踞(そんきょ)の姿勢を取って、相手の回しを掴んだまま いわばブレーキをかける。
六日目の遠藤戦では、勢い余って土俵下に向かう遠藤関を追いかけるように庇(かばう)う姿が印象的でした。
これは、御嶽海関のもつ優しさや 相手力士に対するリスペクト(敬意)に他ならないと思います。
そんな 彼の性格なども、多くのファンを引き付ける要素なのかもしれません。
そんな彼の矜持(きょうじ)を見るにつけ それは、今のコロナ禍の ややギスギスした世相に一服の涼を与えてくれた感でありました。
郷土が生んだ御嶽海関の昇進は、私たち信州人に大きな勇気を元気を与えてくれたことは勿論(もちろん)のこと、角界をはじめ社会全体にも明るいニュースとなったことでありましょう。
表彰式を最後まで見届けたオフクロは「こりゃ来場所が楽しみだわ。今から待ち遠しくて仕方がないワ。」と 笑顔でポツリ。
全ての御嶽海ファンを代弁する独り言だったのでした。