皆さん、労働しておりますか!
最近私は思うんですよ。
朝、電車に乗って通勤しますよね。
電車に乗る前に、ゲートを抜けますよね。俗に言う「改札」って奴。
あれを抜けるたびに思うんですよ。
何か、血液の粘度を測るアレに似てるなぁって。
アレ↓
と言う事は我々通勤者はさながら血液のように必要な部分に
送り出されるのと同じなのかなぁとも思ってしまう。
我々労働者と言う社会の血液は、
毎日、身体で言う所の臓器に向かって進んでいくのですね。
そう、都会に散らばるビル群は生物の身体で言う所の臓器。
なかなかえぐい描写ですね。ビルが臓器だなんて!
まぁ、コンクリートの箱それぞれが特定の機能を持って、
その中で血液である我々が経済と言う身体に必要な何かを生産していく。
その特定の機能と言うのが大まかに業種であり、
その細分化されたものが特定の細かな器官となる。
全ての産物は臓器から産出され、市場と言う名の調整機構(さながら中枢神経系?)を通じ最適化されていく。そして経済はより拡大し、増強されていく。
うーん、中略。
偉大なり、資本主義!至上主義!
ところで、経済って動物に例えると何なんでしょうね。
我々が血液やら細胞やら、生命の最小単位である場合、経済全体を一つの固体として見る事によりその成熟度合いが分かるんじゃないかと思うんです。
ようは、生物としての経済とはなんに成るのか。
人間は約60兆個の細胞で1人の人間が構成されていて、その細胞一つ一つは自我は持たず。もっぱら周りの細胞と連携&統合して、我々は60兆個の細胞からなる一つの個、即ち「私」やら「あなた」を演出しているわけです。
で、これは我々、人類の経済にも当てはまるはずなんですね。人間一人一人が細胞であると考えるならば、それを統合した経済と言う名の生物は、何に成るのか、と。
そこで、私が一番的確だなぁと思うのがですね、クラゲとキノコです。
まず、我々の経済は意思を持ちえていない。残念ながら我々は高度に統合されていない。統合と言うか、統率か?人間を筆頭とする動物系は細胞単位で統率され、一つの意志の元に連携しあうわけです。
でも我々人間一人一人が一つの意志の元に統合され統率され、突き動かされるなんて事は滅多にありません。戦時下の軍隊でも一つの統合された動物レベルの統率には程遠い連携しか出来ません。
ともすれば、我々の経済は動物と言う高度な統合体ではないという事になります。
ともすれば、植物か、菌類か、群体動物か、そこら辺に行き着くわけです。中略。