ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

「インターネット随想」(25) 議長の温泉狂と集中豪雨

2012-07-15 00:00:00 | エッセー

このところ西日本一帯は九州を中心に大雨が降り続き、

死者20名、不明者8名が出ている。

ひいき目に見ても東日本大震災以降の自然災害は異常で、

竜巻や集中豪雨の様子は半端でない。

 何か地球創造の神のお怒りであろうか。

 

さて今日の「インターネット随想」は約40年前の駆け出しの頃で、

まだ田舎で議員さんの特権意識が強く、役人は嫌がっていた時代の話である。

        

そんなある朝「先生、A県会議長さんから電話ですよ」 

ひきしまった声に促され、急いで受話器を取った。

「きみが温泉担当のB君かね。わしは県会議長のAなんだが、

今日は議会もなく暇なので、温泉について聞きたいので来てくれないかね」 

「いや、私は試験担当ですので、県庁内に温泉担当の行政官がいますよ」

「そんなこと分かっているよ。温泉の試験について聞きたいんだ。

 

 君が来ないなら、わしが行ってもいいよ」

偉く気に入られれば議長室に行かざるを得なくなった。

県庁へは度々行って入るものの、私のような若い一兵卒が、

議長室に入れる身分でないことは百も承知であるが、

どんな部屋か覗いてみたいという好奇心も手伝って行くことにした。

 

議長室は見晴らしのよい4階にあった。

おそるおそるノックして事務局の係員に要件を告げると、

長身で白髪の課長が執務室に案内した。

そこは赤くジュウタンが敷き詰められた広い部屋に、豪華な机がポッンと置かれ、

県議会の最高権力者たる議長がいるのにふさわしい部屋であった。

狭苦しい県庁各課の室とは異なり、明るく広くゆったりした部屋では心が和む。


「やあ、よく来たね」小柄で童顔のA議長に、デラックスなソフアに案内された。

私も色々なところへ行っているので、度胸はできていると思っていたが、

議会の長と、こうも正面で対応するには、余りにも若く萎縮していた。

 

少し緊張した、うわずった声で、

「先生、要件とはどういうことでしょうか」

「まあそんなに急ぐなよ。ここにウドンがあるので、君も食わんかね」

「いや、私は昼食を済ましていますので、先生どうぞ」と答えると、

「わしの進めるうどんは食えんのかね」

急に不機嫌になったので、冷たく伸びたうどんを仕方なく口に押し込んだ。

「先生、美味しいかったです」

一応、お愛想を言うと機嫌よく話し始めた。

 

それによると『子供の時に柿木から落ちて、竹の切り株が喉に串刺しになり、

九死に一生を得たこと、上級の学校は出ていないが、土建業で金儲けをしたこと、

県議の長老であること、そして現在の議長と、自慢話はつきることはない。

しかも長生ができて事業が成功したのは、すべて身仏の為であると語り、

これから社会に恩返しをするために、温泉探しをしているのだと言う。

 

そして本県で温度が高い泉質の良い温泉を掘削し、老若男女に喜んでもらうことが、

功なり名を成した私が社会に行う最後の奉公だ』と力説した。

「その為に君の温泉の専門的知識、特に温泉水の精密分析をして欲しい」と依頼された。

「はい、何時でも申し出てください」

A先生から言われる迄もなく、温泉分析は仕事であったので、何の抵抗もなく引き受けた。

 

それから2~3回、同じような温泉談議を聞くために議長室に呼ばれていたが、

数か月後の或る日、突然秘書と共に8~10件の温泉水を持って、研究室にやってきた。

その試料は本県は勿論、中四国の各地から集められていた。

「この試料を、すべて温泉分析するのですか」不信そうに聞くと、

「もちろんだよ。これは中四国各地でボーリングして、採水した大切な水なんだよ。しっかり頼むよ」

「しかしこの分析費用は高額ですよ。全部で25万円します」と、

おずおずしながら答えたが、今なら100万円近くに成るだろう。

「きみ、わしをなめたらいかんよ。いつも100万円位は持っているよ。

たかが20~30万円の検査料など安いもんだよ」

と腹巻きにしまっていた大きな財布を取り出し、私の目の前でちらつかせた。

私はしめたと思い「いや、恐れいりました。

では早速、検査の手続きをしますので手数料25万円頂きます」というと、

少し不機嫌な低い声で「ほい、これ」、ポンと25万円を置いて帰っていった。

私のような仕事をしていると、いろいろな偉い人からの依頼や要望を、

いかに厳正にこちらのぺースで処理するかが頭痛の種で、

A先生とは案外スムースに、当方のペースで付き合えた人でもあった。

 

このユニークなA議長との付き合いは、10年近く続いたが、

氏が高温度の温泉掘削に野望を抱きながら成功したのは、

今も徳島県境で営んでいる『祖谷温泉』が初めてであり、終わりでもあった。

今は第一線を退き、悠々自適の余生を送っていると賀状がくるが、

私にとっては忘れ得ぬ、人なっこい愉快な議長先生であった。

 
         (○○県○○会誌、1987.3.10)
   ★このユニークな元議長先生は平成11年、90歳で永眠した。

 

●思い出の写真から (51) 東京オリンピック聖火リレー(昭和39年)

○母校の前を走る聖火(東海道山科付近)

○コースの旧東海道と現在の母校