くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

自伝の意味を考える

2012-01-25 22:53:47 | つれづれなるまま
自伝というものは、
同じひとりの人生をつづったものであっても、
それが書かれた時期や状況によって、
表現の仕方も違えば、解釈も評価も変わってくるものです。

一国の歴史が、
その国の為政者によって都合よく書き換えられることがあるように、
自伝や伝記もまた、それを書く人の性格やいつ書かれたかによって、
その内容もまるで変わってきます。

「だから僕は自伝の類を信用しない」

そう言った友人がいました。

「物事は一面的ではなく、多面的に見なければ正しい評価はできない」
「主観で書かれた自伝には、読んでも得るものがない」

彼はそう言って自伝を読むことを嫌っていました。

しかし、人は誰かに自分の人生を評価してもらいたくて
自伝を書くわけではありません。
ただ、自分の生きた証を残したいだけです。

また、人は誰かの人生を評価したくて
自伝を読むわけではありません。
ただ、心に響くたった一文があればそれでいいのです。

どんなにありきたりだと思われる人生であっても、
その人の人生は、世界にたったひとつしかありません。
人類が誕生して以来、唯一無二のものです。

何か特異な体験や特別な出来事などなくても、
ただそれだけで、自伝には意味があるのではないか。
そんな気がするのです。




本当に必要な一体改革とは?

2012-01-24 23:13:05 | 政治経済のことも考えよう
「社会福祉制度は危機的状況」
「一刻も早く消費税増税の実施が必要」

そうあおる人たちは、みな年収1000万円超の高額所得者ばかり。
世論を増税に誘導するマスコミや、消費税増税に同調する企業も、
平均年収1000万円超の大手企業ばかり。

財務官僚や国会議員はもとより、
テレビや雑誌などでよく見かける経済評論家しかり。
タレントやコメンテーター、有識者と呼ばれる人々しかり。

「政治は弱者のためにある」 などときれい事を言ってはみても、
低所得者の意見が真剣にとりあげられることはあまりありません。
結局はお金持ちの意見で形成される世論。

だからこそ、安易に妥協してはいけないのが歳出の削減施策。

税と社会保障の一体改革の前に必要なのは、
国家公務員制度と国会議員特権の一体改革です。


「公務員とは何か」を考える

2012-01-22 20:59:58 | 政治経済のことも考えよう
先日、東日本大震災の被災地となった、
ある自治体の元公務員の防災講演を聴く機会がありました。

その方は、部下を指揮して被災者の対応にあたっていたそうですが、
ご自身も自宅を失い、部下も身内が行方不明のまま公務を続けたそうです。

「家を失っても、身内が行方不明になっても、
 仕事を続けなければならない公務員とは、なんと非人間的な職業なのか」

その方はそう思い、震災対応がひと段落したところで、
その役所を退職したということでした。

「公務員だって皆さんと同じ人間なんです。
 それをわかっていただきたい」

そして講演では、そう強調されていました。

「滅私奉公」というにはあまりにも過酷ですが、
震災ではこうした多くの公務員の活躍がありました。
日本では、災害時に暴動や略奪などの混乱が起こらないのは、
こうした地元公務員の果たす役割もきわめて大きいと思います。

しかし一方で、この講演を聴いて思ったのは、
「公務員とは、なんと恵まれた身分なのだろう」 ということでした。

誤解を恐れずに言います。

民間企業や自営業の被災者には、
職場が被災しただけでなく、仕事そのものを失った人がたくさんいます。
そうした方は収入を得る術を失い、自宅を失ってローンだけが残っても、
退職金はおろか、日々の生活費もままなりません。

けれども、公務員にはそのような心配はありません。
たとえ役所が倒壊しても、給料は被災前と同じように振り込まれるし、
辞めれば、被災前と同じように規程通りに退職金が支給されます。

「公務員優遇だ」などと言いたいのではありません。
「だから家を失っても、身内が行方不明でも公務を遂行して当然」
などと言うつもりも毛頭ありません。

なぜなら、それが公共と住民のために作られた、
公務員という身分であり制度(仕組み)なのですから。
ただ、平和な日常生活が続いているときには、
そのことを誰もが意識していなかっただけです。

先の講師のように、
公務員の仕事が理不尽だと思うのなら、
やはりその人は公務員を辞めるべきでしょう。
また、それ以前に公務員になるべきではないでしょう。

この元公務員の講演を聴いたとき、
昔、ある地方自治体に勤めていた私の親が、
まだ子どもだった私によく言っていたことを思い出したのでした。

公務員の身分は、公務員のための既得権益ではないのです。


大事の前に小事を軽んじる者

2012-01-20 23:59:59 | 政治経済のことも考えよう
ある大学の経済学者が、次のようなコメントをしていました。

 「消費税増税による税収効果は10兆円以上。
   これに対し、議員定数や国家公務員給与の削減による節税効果は、
   55億円程度でしかなく、焼け石に水である。
   だから『先に削減をしなければ増税すべきではない』
  という意見は意味がない。」

果たしてそうでしょうか。

「たいした金額でないから意味がない」 という考えは、
まさに、先日(1/18)のブログに書いた社員と同じです。

ましてや、人間は誰でも、
大きな目的を実現してしまうと、
手間のかかる小さな事柄は、うやむやにして放置したり、
中途半端な議論で終わらせたりすることが多いものです。

大事の前に、小事を軽んじる者は、決して物事を成すことはできません。

小事をおろそかにして成した物事は、
基礎工事に手を抜いて建てた家のようなものです。

「条件に」とか、「原則として」といった言葉に、
私たち有権者は、いったい何度裏切られれば気づくのでしょうか。


仕事の段取り力

2012-01-19 23:01:20 | これが会社で生きる道
会社の財産は 「ヒト、モノ、カネ」とはよく言われることです。

これと同様に、仕事を進める道具(ツール)も
大きくわけて三つしかありません。

「人を使う」か、「モノを使う」か、「カネを使う」か、これだけです。

会社や部門をあげてのプロジェクトでは、
これらは最初から使えるように、
会社(組織)があらかじめ準備してくれることが多いものです。

しかし、自分に任された仕事によっては、
それらを自分で使えるように、
段取りから始めなければならないこともあります。

どんな小さな仕事でも、それを任されたときには、
この仕事は『何を使って進めるか』を考えてとりかかると、
とても進めやすくなります。

「誰かに頼めるものはないか」
「チームやワーキンググループは作れないか」
「使える道具やソフトはないか」
「外注できるものや買えばすむものはないか」 などなど。

自分ひとりの力など微々たるものです。
すべて自分だけでやろうとしても、必ず限界があります。
したがって、自分の身の回りの「ヒト」「モノ」「カネ」をどのように使うか考え、
また、それを使えるように社内で段取りすることが重要になります。

それで仕事の半分は終わったようなものです。
仕事の大部分は段取りなのです。