福島第一原子力発電所の事故処理にあたっている、
ある会社の従業員から聞いた話しです。
その会社では、現地で作業に従事する社員や作業員へ、
みんなで「寄せ書き」を書いて贈ろう(励まそう)ということになりました。
そして多くの有志が、社旗や色紙にメッセージを書き記し、
現地に贈ったそうです。
そこには、彼らを気遣う言葉や励ましの言葉、
彼らを讃え、感謝する言葉など、たくさんの温かいメッセージが記されていました。
「少しは励ましになったかもしれない」 東京(会社)では、みんなそう思いました。
寄せ書きに対し、現地からは丁寧な感謝の言葉がありました。
しかし、中にはこんな手厳しいメッセージも返ってきたそうです。
・ひとりひとりの気持ちには感謝するが、
それならば、なぜ現地への赴任希望者を募ると、誰も手を挙げようとしないのか。
これでは「復興を願う」と言いながら、福島の農産物を買おうとしない人々と同じ。
書き手側の単なるマスターベーションになっていないかよく考えてほしい。
誰しも、言葉では応援もするし、感謝もする。
しかし、自分が危険な目に遭うのはいやだ、というのが偽らざる本音でしょう。
ある人は、美辞麗句に包み隠した自分の「嫌な部分」を
認めざるを得なかったと言います。
毎日のようにテレビや新聞では、
「みんなが心をひとつにして」とか、「絆」とかいった言葉を見聞きします。
安全地帯にいて「絆」を標榜することほど、そらぞらしいものはありません。
もちろん、だからといって、
国民の誰もが、福島原発で働く人たちや、避難所生活する人たちと
同じリスクや苦労をすべきだというものでもありません。
この話をしてくれた知人は、福島原発の作業環境を思うと、
逆に、寄せ書きには何も書くことができなかった、と言います。
「言葉ではなく、どうすることが本当の意味で現地のためになるのか」
福島からのメッセージには、そう書かれていたそうです。