くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

「言葉」など空々しくなるほどの状況

2012-01-09 10:59:12 | つれづれなるまま
福島第一原子力発電所の事故処理にあたっている、
ある会社の従業員から聞いた話しです。

その会社では、現地で作業に従事する社員や作業員へ、
みんなで「寄せ書き」を書いて贈ろう(励まそう)ということになりました。
そして多くの有志が、社旗や色紙にメッセージを書き記し、
現地に贈ったそうです。

そこには、彼らを気遣う言葉や励ましの言葉、
彼らを讃え、感謝する言葉など、たくさんの温かいメッセージが記されていました。
「少しは励ましになったかもしれない」 東京(会社)では、みんなそう思いました。

寄せ書きに対し、現地からは丁寧な感謝の言葉がありました。
しかし、中にはこんな手厳しいメッセージも返ってきたそうです。

・ひとりひとりの気持ちには感謝するが、
 それならば、なぜ現地への赴任希望者を募ると、誰も手を挙げようとしないのか。
 これでは「復興を願う」と言いながら、福島の農産物を買おうとしない人々と同じ。
 書き手側の単なるマスターベーションになっていないかよく考えてほしい。
 
誰しも、言葉では応援もするし、感謝もする。
しかし、自分が危険な目に遭うのはいやだ、というのが偽らざる本音でしょう。
ある人は、美辞麗句に包み隠した自分の「嫌な部分」を
認めざるを得なかったと言います。

毎日のようにテレビや新聞では、
「みんなが心をひとつにして」とか、「絆」とかいった言葉を見聞きします。
安全地帯にいて「絆」を標榜することほど、そらぞらしいものはありません。

もちろん、だからといって、
国民の誰もが、福島原発で働く人たちや、避難所生活する人たちと
同じリスクや苦労をすべきだというものでもありません。

この話をしてくれた知人は、福島原発の作業環境を思うと、
逆に、寄せ書きには何も書くことができなかった、と言います。

「言葉ではなく、どうすることが本当の意味で現地のためになるのか」

福島からのメッセージには、そう書かれていたそうです。