大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

協力を生み出すフェアなプロセス

2015年05月22日 | 労働者福祉
組織の中で人間を動かすパワーはなんでしょうか?
札束、恐怖、名誉、権力、…。

言うことを聞かなければ首切りされることもあります。
今よりもたくさんの報酬を約束されてトラバーユすることもあります。
札束をみせられて企業秘密を提供する人間もいます。
出世のためには手段を選ばない人もいます。
こうして考えてみると、人間一人の心を動かすことは案外簡単なのかもしれません。

それでは組織全体を動かすパワーはなんでしょうか?

1992年、フォルクスワーゲンのメキシコ工場で暴動が起きました。
このドイツの自動車メーカーは、北米唯一の生産拠点であるメキシコの工場を拡張中でした。
ドイツマルクが高騰してアメリカ市場で苦戦してきたフォルクスワーゲンは、NAFTA(北米自由貿易協定)が制定されたため、コスパに優れたメキシコ工場を拡張し広大な北米市場で巻き返しを図ろうとしたのです。
そのために会社側は労働組合と新しい労使協約をどうしても結ぶ必要がありました。
労組委員長が調印した労働協約にはなんと賃金を20%増やすことも含まれていました。
会社側はこれならば従業員も満足するものと思っていました。
ところが労組幹部たちは、この労働協約の条件を決める議論に、組合員である従業員たちを参加させていなかったのです。
つまり労働組合は、この新しい合意で従業員はどんな影響を受けるのか、なぜ就業規則を大幅に変更しなければならないのかを、ほとんど伝えないまま事を進めてしまったのです。
従業員たちは、自分たちのリーダーが下した判断の根拠がわからず、裏切られたと感じました。
そしてこの工場では大々的なストライキが起こり、警察や政府まで介入するという大騒ぎに発展してしまいました。

これと対照的なのが、ヨーロッパ最大のITブロバイダー「シーメンス」の再生劇です。
シーメンスは1990年、業績不振に陥っていたコンピューター会社を買収し、SNIを設立しました。
SNIは1994年までに2万人近くの人員削減を行い、社内には不安と恐怖が蔓延していきました。
1994年にCEOに指名されたシューマイヤーは、できるだけ多くの社員と対話することに努めていきます。
シューマイヤーは、SNIの悲惨な状況を嘘偽りなく示すことから始めました。
そして彼は、意思決定のプロセスについて明快だが厳しいルールを設定するとともに、従業員の中からアイデアを出すボランティアを募りました。
最初は30人足らずでしたが、3ヶ月もしないうちに400人に、ほどなく1000人、3000人、そして9000人と変革への推進者が増えていきました。
彼ら彼女らは自ら進んで作業に協力し、1995年には黒字転換を果たしました。

フォルクスワーゲンの従業員たちは、経済的条件が大きく改善されるにも関わらずなぜ反発したのでしょうか?
かたやSNIでは、やる気が失われるまで悪化していたにも関わらず、どうして業績を回復させ、従業員の満足度を2倍も向上させたのでしょうか?
問題は“何を”行ったかではなく、それを“どのように”行ったかにあります。

私たちの運動は「連帯・協同」の下にあります。
そして人を動かすものは“助け合い・支え合い”の共感パワーしかありません。
それこそが私たちの最大のパワーであり、もっとも得意とする分野だと私は思いますが、みなさんはどう考えるでしょうか。
そうだとすればそれを“どのように”行うのかに、私たちはもっともっと工夫が必要ですね。
それを行う札束も、それを行う恐怖も、それを行う名誉も、それを行う権力も私たちは持ち合わせていません。
あるのは大きな“志”とあたたかい善意の“心”のみです。
さてどうすれば推進者が増えていくのかを、私たちと一緒に考えてみませんか?

あのサラ金地獄を繰り返すな

2015年05月21日 | 労働者福祉
私が労働組合の専従者になったのは今から30年以上前のことです。
右も左もわからない私でしたが、先輩とともに多くの「サラ金相談」に携わりました。
ときにはサラ金業者のところへ行き値引き交渉したり、ときにはあまりの取立てで逃げてきた家に荷物を取りに行ったり、ときにはサラ金依存(?)の人と大喧嘩したりもしました。
高金利・過剰与信・過酷な取りたては「サラ金三悪」と呼ばれ、大きな社会問題になりました。

そして2006年貸金業法改正で状況は大きく変わりました。
上限金利引下げと総量規制と行為規制により、新たな多重債務者の発生は抑止されていきました。
しかし自民党政権の復活で、またぞろ総量規制撤廃と金利引き上げの検討の動きが活発になってきました。
もう労働界でも過去のことなど忘れ去られていますから、私たちは強い警鐘を鳴らしていかねばなりません。

気になることはもうひとつあります。
それは多重債務者は確かに減少しましたが、サラ金利用者は増加しているという現実です。
その事実をこの資料(新里弁護士作成)は明確に表しています。
働く人の6人に一人が利用していることになります。
昔に比べて金利は下がったとはいえ、労金の無担保ローンと比べてみれば一目瞭然。
組合員にもより丁寧な広報が必要ですね。

ライサポ友の会・新たな挑戦

2015年05月20日 | 労働者福祉

「ライフサポートセンター友の会」の第9回総代会が開催されました。
2007年5月に会員28名からスタートした「友の会」、現時点では54,000名を数えるところまで大きく育ちました。
図表でわかるように団体組織中心の県労福協の組織人員は横ばいですが、定年退職者や労組を持たない会員の数はこれまでのところ順調に増加しています。
これも地区労福協や労金の協力のおかげです。

「友の会」の財政はすべて「労働金庫」の利用配当金から成り立っています。
友の会組織は極限までシンプルにしてありますので、これまでの蓄積も含めて財政的な余裕も出てきました。
そこで新年度から「自主福祉運動」の拡充と発展の循環を図るために、新たな挑戦をすることとなりました。
それが「地域・地区活動助成金」です。
初年度は全体で約1500万円の助成を行います。

本日の総代会で承認されましたが、その原点を忘れないために次のような確認をいたしました。

この原点を忘れないように毎年の総代会資料に掲載して、見つめ直していくことも誓い合いました。
どうすれば会員拡大が実現するのか、その答えは地区の現場にしか落ちていません。
またひとつワクワクが増えました。

コラボ事業「フードバンクふじのくに」祝1周年

2015年05月19日 | 労働者福祉
私たちの目標は「連帯・協同でつくる安心・共生の福祉社会」です。
何度も何度も口にしているとその言葉一つ一つに込められた大きな意味を知り、実践していくとさらに大きな存在感や立ちはだかる壁が見えてきます。

「連帯・協同」とはなんでしょうか?
1年前にスタートさせた「フードバンクふじのくに」を例にして考えてみましょう。
この「フードバンクふじのくに」は10を超える団体で構成されたコンソーシアム事業体です。
コンソーシアムとは複数の団体によるコラボレーション事業だと言い換えてもいいでしょう。
「フードバンクふじのくに」は、ここまでは比較的順調に運営されてきました。
コラボレーションとは、異分野の人たちが、部門や組織の壁を超えて協力し、何か新しいものを創造する活動です。
そういうふうに一言で表せば簡単ですが、真のコラボレーションはそんなにお気軽なものではありません。

難しさの第一の理由は、人間は本能的に異質を排除したり、線引きする癖があることです。
したがってコラボを成功させるためには、参画する人々の相互の理解と尊重がどうしても必要です。
そのような関係性を築くためには時間もかかりますし、意図的に関係性を高める工夫も必要です。
そのことをおろそかにしているとどこかでつまづいてしまいます。

今日は「フードバンクふじのくに」設立1周年の記念フォーラムがありました。
創造することも大変ですが、継続することはそれ以上に大変なことかもしれません。
私の頭の中にこんな言葉がふと浮かんできました。

「俺が俺がの“我(が)”を捨てて、お陰お陰の“気(け)”で生きろ
実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」
この心持ちがコラボ事業を成功させるコツかもしれません。

「フードバンクふじのくに」の役員の皆さん、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
設立1周年まことにおめでとうございました。

ひたすらに労働福祉の道を

2015年05月18日 | 労働者福祉
1960年1月1日創刊号「労働者と福祉」のなかに賀川豊彦の寄稿文を見つけました。
55年前の主張ですが、まさに“あたたかい血のかよった福祉事業”を生み育てていくことが、労福協の目標ですね。
全文を掲載します。

このたび、労働福祉中央協議会が労働組合、労働金庫、生活協同組合などの手によって飛躍的に強化され、月刊誌「労働者と福祉」を発行することになったのは、すばらしいことだと思っている。
戦前、日本の労働組合運動は残念ながら福祉活動には熱心でなかった。
労働者一人一人の要求に具体的に結びつく福祉活動が、労働運動のマイナスになるからといって軽んぜられていたのである。
私は、常々これは大変なあやまりだと思っていた。
戦後、この面の考え方が改められ、労働組合も福祉活動を見直すようになった。
しかし実際の運動は、ときにはつまづき、ときには暴走し、一貫した発展の道を歩むことはできなかった。
こういう時期、混乱のなかに生まれた福対協の苦労が並大抵でなかったことは、私もよく知っている。
だが早いもので、福対協が生まれてからもう十年たち、今ここに全労働者のはばひろい福祉問題と真正面からとりくむ組織として生まれ変わることになったことは、何にもまして嬉しいことである。
労働者自身の、あたたかい血のかよった福祉事業―それは労福協に結集する労働組合、生活協同組合、労働金庫の協同の場以外からは決して生まれない。
強化された労福協は、こういう真の労働福祉の道をひたすらに歩んでもらいたいものである。
これは単に私の希望というだけでなく、労福協によって結ばれた600万労働者の心からの願いであろうと思うのである。