大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

ガンジー伝(3)

2014年11月07日 | 労働者福祉
円高こそが日本経済の諸悪の根源だと騒がれていたことが嘘のような状況にあります。
異次元の金融緩和で一気に円安は進みましたが、輸出増加は期待はずれに終わり、円安デメリットで輸入品の値上がりが現実になってきました。
日銀はなにがなんでも2%の物価上昇を実現すると豪語していますが、2%の中には消費増税分は含みません。
これから確実に国民生活を圧迫させる物価上昇は、日銀の異次元緩和による円安と、政府による消費増税が牽引する「人工インフレ」です。
マネーゲームに明け暮れる大金持ちにはハッピータイムでしょうが、円安デメリットの大きい中小企業や庶民には一段と寒さに震える冬になりそうです。

(過去1年間のドル/円チャート)

(過去5日間のドル/円チャート)

『ガンジーの言葉』
自治のみが、よい政府のとるべき方策であると考えます。
真の民主主義は、国民の幸福を促進することです。
よい政府とは、最小限の支配で国民の最大幸福を実現することです。
貧困と失業を許すような制度は、一日たりとも生き残るにふさわしいとは思えません。


さて「ガンジー伝」の続きです。

1914年6月には白人社会と合意が成立し、登録法は改正され、ヒンズー教式の結婚式も認められるようになります。
ガンジーの粘り強い不服従運動が勝利を得たのです。

ガンジーが心の信念を深く育てたのは、南アフリカでの21年間でした。
ヒンズー教徒であったガンジーですが、他の宗教や哲学からも影響を受けています。
しかし、仏教・キリスト教・イスラム教など多くの宗教も取り入れたガンジーは、一部のヒンズー教徒から裏切り者として憎まれました。
イスラム教徒にも手を貸そうとしたガンジーを暗殺したのも、厳格で正統派のヒンズー教徒でした。

ガンジーの根本原則は、ヒンズー教の経典から見出したもので「サマカーヴァ」と呼ばれました。
『苦しみにも、楽しみにも、心を乱されてはならない。
人は失敗を恐れることも、成功を望むこともなく、正義のために働かなくてはならない』
ガンジーは常に結果と同じくらいに、そこに至る方法を重視しました。

ふたつめの根本原則は、「アパリグラーハ」です。
ものを所有しないということで、精神的な豊かさは、貧しい暮らしの中でこそ到達できるという考え方です。

そして「アヒムサ」
すべての生き物に対する非暴力で、これはヒンズー教の大切な教えです。
あらゆる暴力を憎み、殺すこと、殺されることのいずれも憎みました。

ガンジーの武器は「サティヤーグラハ」です。
ガンジーのつくりだした言葉で、「非暴力」とか「無抵抗の抵抗」という意味です。

ガンジーは、常に真理を求め、なんであれ正しさを装ったもの、偽りのものをはねつけました。
闘いの中にあっても、ほかの人間の愛と広い心を引き出したため、対決した人々からもやがて深く愛され、尊敬されました。

(4)に続く

ガンジー伝(2)

2014年11月06日 | 労働者福祉
「オバマ民主、歴史的大敗」の大見出しが各紙を賑わしています。
まるでわが国総選挙のデジャブを見る思いです。
上院下院ともに共和党に握られてしまい、民主オバマ大統領はどのようにして国家組織をドライブしていくのでしょうか。
わが国と違い嫌が応でもあと2年は大統領として努めなければなりませんし、痩せても枯れても世界をリードする大国ですからその苦労は並大抵ではないはずです。
しかし莫大な選挙資金を投入したネガティブキャンペーンが共和党の大勝利につながったなどと聞くと、現在の民主主義の底の浅さを感じてなりません。
本来的に有権者に問うていくテーマはどこへ行ってしまったのでしょうか?
私たちも気をつけねばなりませんね。


『ガンジーの言葉』
イギリスの選挙人の聖書は新聞になってしまっています。
選挙人はその新聞で自分の意見を決めます。新聞は不正直なものです。

さて「ガンジー伝」の続きです。

ガンジーは、インド人社会のリーダーや弁護士活動にも励み成功者となりますが、白人から嫌われて幾度も暴徒に襲われます。

1907年8月、南アフリカのインド人社会の不満が頂点に達します。
「ブラック・アクト」と呼ばれる規則ができて、インド人は男も女も身分を登録し、指紋をとらなければならなくなりました。
身分証明書を持たない者は投獄されたり、罰金をとられたり、国外追放になったりします。
ガンジーが初めて不服従運動の概念をあきらかにしたのはこの頃でした。
「サティヤーグラハ」という新しい抵抗の形は、サンスクリット語のサティヤ(真理・真実)とアーグラハ(主張・把握)という二つの言葉を組み合わせた造語で、一般には「真理の把握」と訳されます。
「蔑まれたり、暴力を振るわれたり、逮捕されたりしても仕返しをしてはいけない」
「忍耐強くあらねばいけない」
「相手をねじ伏せたりするのではなく、相手の心の鎧を解くのだ」
たくさんのインド人が運動に参加し、政府への登録を拒みました。
ガンジーも法律に定められた登録を拒み投獄されます。
これが最初の投獄体験ですが、その後いく度投獄されてもガンジーは不平を言いませんでした。
むしろ、静かに考え、読書する時間が与えられたと感謝します。

移住に関する不正な法律を試そうとして多くのインド人とともに境界線をわざと越えたりもしました。
何度も投獄されますが、それでもガンジーたちはインド人が不当に扱われていると感じた時には、静かに協力を拒み、そして処罰を受け入れました。

1913年、南アフリカの裁判所が、キリスト教による結婚以外は認めないという決定を下しました。
つまり、ヒンズー教徒であるインド人の妻たちは、妻でなくなり、なんの権利も得られないことになります。
この事件で、不服従運動に多くの女性が参加してきました。
不法越境が増加し、女性たちの呼びかけによってインド人坑夫たちのストライキが起こります。
何千人ものインド人が逮捕され投獄されましたが、そのストライキは各地に広がっていきます。
ガンジーも逮捕され3ヶ月間監獄に入れられますが、この時もガンジーは投獄されたことを喜びました。
「究極の幸せへの道は、監獄へ行く道にある。
そこで自分の国と宗教のために苦痛を耐え忍ぶところにある」
投獄されるたびに、ガンジーは南アフリカでも、インドでも名が知れ渡り、尊敬を集めていきました。

ガンジー伝(1)

2014年11月05日 | 労働者福祉
米国の中央銀行が金融緩和から一転して緩和終了を明言した直後、日本の中央銀行がサプライズ金融緩和を発表しました。
また同じタイミングで、公的年金の運用基金(GPIF)が、株式への運用比率を25%に引き上げることを決定します。
これらの動きが重なって激しい円安と株高に市場は大荒れです。
この先どう展開するのか興味深く見ていきたいと思いますが、素人の私でさえわかるこれほど意図的な相場の操縦などが国策として許されるのでしょうか?


『ガンジーの言葉』
私の変わることのない意見ですが、インドはイギリス人にではなく、近代文明に踏みにじられているのです。インドは近代文明に捕らわれてしまっています。
日本は西洋の爪に捕らえられてしまいました。

さて今日から「ガンジー伝」をスタートさせます。

ガンジーは1869年10月2日、インドのポールバンダルに生まれました。
当時のインドは英国に統治されていましたが、ガンジーは幸せなヒンズー教徒の家庭のごく普通の少年として育っていきました。
まだ学校に通う13歳の時、両親の言うとおり商人の娘と結婚します。
インドではそういう習慣ですから、ガンジーも自然にその結婚を受け入れて仲睦まじく暮らし、4人の子どもを授かりました。
ガンジーは結婚したばかりの頃、妻を溺愛しすぎて、強烈な嫉妬心や性的欲望に支配されていたといいます。
彼はこのままではいけないと考え、30代半ばに妻に対する性欲を捨てることを誓います。
ガンジーの有名な「性欲絶ち」は、極端とも思える彼の禁欲主義の一端です。
あまりの禁欲主義に家族も苦労を強いられ、長男は厳しすぎる父親についていけずグレてしまいます。

(ロンドン留学時の若きガンジー)
19歳の時、ガンジーはロンドンに渡り法律を学び、22歳で弁護士の資格を取得しました。
インドへ帰ったガンジーは弁護士の仕事に就きますが、あまりうまくいきませんでした。
そんな折に、ガンジーの人生を変えるような出来事が起こります。
ある裕福なインド人商人の代理人として南アフリカに向かいますが、当時の南アフリカは激しい人種差別の国でした。
インド人もたくさんいましたが、みんな軽蔑され、黒人もやりたがらないような嫌な仕事ばかりさせられていました。
南アフリカにやってきてまもなくのことでした。
ガンジーは鉄道の一等客車から追い出されてしまいます。
白人の乗客がインド人と同じ客車にいるのは嫌だと車掌に訴えたのです。
車掌は一等車の切符を持ってコンパートメント(個室)に乗っていたガンジーを、有無を言わさず引っ立て、荷物もろとも外に放り出したのです。
列車から追い出されたガンジーは、駅の凍るような待合室で震えながら一夜を明かしました。
彼はこの屈辱的な出来事が自分の人生の変わり目だったと述べています。
ガンジーはここにとどまり自分の法律の知識を活かして、南アフリカの黒い肌の人間のために闘うことを決意します。

尊厳死?安楽死?自死?

2014年11月04日 | 日々徒然
末期の脳腫瘍で余命半年と宣告された米女性が、「Facebook」で予告していた安楽死を実行したことが全世界で注目されています。
人間には「生きる権利」もあるが「死ぬ権利」もあるという考え方があります。
この女性は余命半年と宣告されて、病気によって苦しんで死ぬのではなく、人生の終わりを自分で選択したいと判断し、「死ぬ権利」が認められているオレゴン州に移住しました。
さらに「安楽死」を容認する動きを広めたいとして、11月1日に死ぬことを「Facebook」で予告したのです。
みなさんはこのことに関してどう思われるでしょうか?

人間にとっての苦しみは病気だけではありません。
様々な苦しみから自殺に至る人々は日本だけでも年間3万人います。
その原因をみると「健康問題」が第1位で、「経済・生活問題」「家庭問題」「勤務問題」「男女問題」「学校問題」と続いています。
四苦八苦という言葉は、生老病死すべて苦しみで、生きていくことそのものさえ苦しみであるという悟りの言葉です。

年代別死亡率の表を見てください。(平成23年厚労省調べ)

20代から40代の働き盛りの成年たちの自殺は何を意味するのでしょうか?
この現実をとても切なく悲しく思うのは私だけではないはずです。

末期の癌に侵されながら最後の最後まで生き切った女性を知っています。
彼女は身体が動ける最後のその日まで「生きる権利」を他人のために捧げました。
私はそんな彼女の生き方に共感しますし、「尊厳死」や「安楽死」などは認めたくも、知りたくもありません。
死者を冒涜したくはありませんが、この騒動が“生きることに疲れている”人々の心に悪影響を与えていることに怒りさえ感じています。
自然死ではなく自ら“いのち”を絶つことは、生に対するあまりの思い上がりだと私は思います。



AはBを通ってCになる

2014年11月03日 | 日々徒然
三連休の最終日、静岡市内は大道芸で大にぎわいのはず。
裏をかいて梅ヶ島温泉ヘ車を走らせました。
ところが裏をかくどころか、紅葉を見に来た客で昼食を食べるにも長蛇の列です。
市営温泉は満席ですから、入っても芋の子を洗うような状況だと判断し断念。
立ち寄り湯ができる宿をあたっても満員御礼。
ちょっと早めの紅葉を見て帰りました。

いつもと違い、帰りも私の運転です。
最近、ウツ病気味の義母の世話で、二次被害を受けている女房に、こんな話をしながら帰りました。
「せっかく梅ヶ島温泉まで来てお風呂に入れないのは残念だけど、おかげで往復運転手付きで良かったね。
立ち寄り湯には入れなかったけど、格安の温泉民宿見つけて良かったね。
AはBを通ってCになるんだよ」
「???」
「ようするに物事(A)の受け取り方(B)でハッピーにもなるしグレーにもなるということ。
目指す不変の目標(C)は自分が幸福になるということだから…」
「???」

帰宅して掛かってきた義母からの電話に、大きな溜め息をついていた女房。
ハッピーなのは単純な私だけかもしれません。