大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

ガンジー伝(2)

2014年11月06日 | 労働者福祉
「オバマ民主、歴史的大敗」の大見出しが各紙を賑わしています。
まるでわが国総選挙のデジャブを見る思いです。
上院下院ともに共和党に握られてしまい、民主オバマ大統領はどのようにして国家組織をドライブしていくのでしょうか。
わが国と違い嫌が応でもあと2年は大統領として努めなければなりませんし、痩せても枯れても世界をリードする大国ですからその苦労は並大抵ではないはずです。
しかし莫大な選挙資金を投入したネガティブキャンペーンが共和党の大勝利につながったなどと聞くと、現在の民主主義の底の浅さを感じてなりません。
本来的に有権者に問うていくテーマはどこへ行ってしまったのでしょうか?
私たちも気をつけねばなりませんね。


『ガンジーの言葉』
イギリスの選挙人の聖書は新聞になってしまっています。
選挙人はその新聞で自分の意見を決めます。新聞は不正直なものです。

さて「ガンジー伝」の続きです。

ガンジーは、インド人社会のリーダーや弁護士活動にも励み成功者となりますが、白人から嫌われて幾度も暴徒に襲われます。

1907年8月、南アフリカのインド人社会の不満が頂点に達します。
「ブラック・アクト」と呼ばれる規則ができて、インド人は男も女も身分を登録し、指紋をとらなければならなくなりました。
身分証明書を持たない者は投獄されたり、罰金をとられたり、国外追放になったりします。
ガンジーが初めて不服従運動の概念をあきらかにしたのはこの頃でした。
「サティヤーグラハ」という新しい抵抗の形は、サンスクリット語のサティヤ(真理・真実)とアーグラハ(主張・把握)という二つの言葉を組み合わせた造語で、一般には「真理の把握」と訳されます。
「蔑まれたり、暴力を振るわれたり、逮捕されたりしても仕返しをしてはいけない」
「忍耐強くあらねばいけない」
「相手をねじ伏せたりするのではなく、相手の心の鎧を解くのだ」
たくさんのインド人が運動に参加し、政府への登録を拒みました。
ガンジーも法律に定められた登録を拒み投獄されます。
これが最初の投獄体験ですが、その後いく度投獄されてもガンジーは不平を言いませんでした。
むしろ、静かに考え、読書する時間が与えられたと感謝します。

移住に関する不正な法律を試そうとして多くのインド人とともに境界線をわざと越えたりもしました。
何度も投獄されますが、それでもガンジーたちはインド人が不当に扱われていると感じた時には、静かに協力を拒み、そして処罰を受け入れました。

1913年、南アフリカの裁判所が、キリスト教による結婚以外は認めないという決定を下しました。
つまり、ヒンズー教徒であるインド人の妻たちは、妻でなくなり、なんの権利も得られないことになります。
この事件で、不服従運動に多くの女性が参加してきました。
不法越境が増加し、女性たちの呼びかけによってインド人坑夫たちのストライキが起こります。
何千人ものインド人が逮捕され投獄されましたが、そのストライキは各地に広がっていきます。
ガンジーも逮捕され3ヶ月間監獄に入れられますが、この時もガンジーは投獄されたことを喜びました。
「究極の幸せへの道は、監獄へ行く道にある。
そこで自分の国と宗教のために苦痛を耐え忍ぶところにある」
投獄されるたびに、ガンジーは南アフリカでも、インドでも名が知れ渡り、尊敬を集めていきました。