大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

ガンジー伝(1)

2014年11月05日 | 労働者福祉
米国の中央銀行が金融緩和から一転して緩和終了を明言した直後、日本の中央銀行がサプライズ金融緩和を発表しました。
また同じタイミングで、公的年金の運用基金(GPIF)が、株式への運用比率を25%に引き上げることを決定します。
これらの動きが重なって激しい円安と株高に市場は大荒れです。
この先どう展開するのか興味深く見ていきたいと思いますが、素人の私でさえわかるこれほど意図的な相場の操縦などが国策として許されるのでしょうか?


『ガンジーの言葉』
私の変わることのない意見ですが、インドはイギリス人にではなく、近代文明に踏みにじられているのです。インドは近代文明に捕らわれてしまっています。
日本は西洋の爪に捕らえられてしまいました。

さて今日から「ガンジー伝」をスタートさせます。

ガンジーは1869年10月2日、インドのポールバンダルに生まれました。
当時のインドは英国に統治されていましたが、ガンジーは幸せなヒンズー教徒の家庭のごく普通の少年として育っていきました。
まだ学校に通う13歳の時、両親の言うとおり商人の娘と結婚します。
インドではそういう習慣ですから、ガンジーも自然にその結婚を受け入れて仲睦まじく暮らし、4人の子どもを授かりました。
ガンジーは結婚したばかりの頃、妻を溺愛しすぎて、強烈な嫉妬心や性的欲望に支配されていたといいます。
彼はこのままではいけないと考え、30代半ばに妻に対する性欲を捨てることを誓います。
ガンジーの有名な「性欲絶ち」は、極端とも思える彼の禁欲主義の一端です。
あまりの禁欲主義に家族も苦労を強いられ、長男は厳しすぎる父親についていけずグレてしまいます。

(ロンドン留学時の若きガンジー)
19歳の時、ガンジーはロンドンに渡り法律を学び、22歳で弁護士の資格を取得しました。
インドへ帰ったガンジーは弁護士の仕事に就きますが、あまりうまくいきませんでした。
そんな折に、ガンジーの人生を変えるような出来事が起こります。
ある裕福なインド人商人の代理人として南アフリカに向かいますが、当時の南アフリカは激しい人種差別の国でした。
インド人もたくさんいましたが、みんな軽蔑され、黒人もやりたがらないような嫌な仕事ばかりさせられていました。
南アフリカにやってきてまもなくのことでした。
ガンジーは鉄道の一等客車から追い出されてしまいます。
白人の乗客がインド人と同じ客車にいるのは嫌だと車掌に訴えたのです。
車掌は一等車の切符を持ってコンパートメント(個室)に乗っていたガンジーを、有無を言わさず引っ立て、荷物もろとも外に放り出したのです。
列車から追い出されたガンジーは、駅の凍るような待合室で震えながら一夜を明かしました。
彼はこの屈辱的な出来事が自分の人生の変わり目だったと述べています。
ガンジーはここにとどまり自分の法律の知識を活かして、南アフリカの黒い肌の人間のために闘うことを決意します。

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