大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

ケインズ伝(1)

2014年11月27日 | 労働者福祉
労働者自主福祉運動の講義の中で、4人の先人に学ぶコーナーがあります。
その4人とは、二宮尊徳、ガンジー、ケインズ、賀川豊彦です。
二宮尊徳とガンジーの生き方はこれまで学んできましたが、ケインズの学び方には大いに悩まされています。
なにせ経済学の大家ですし、ケインズ理論の入口を学ぼうとするだけで頭痛がしてくる私ですから無理もありません。
しかしなぜケインズなのかは朧げながら見えてきた感じがします。
資本主義をここまで貶めてしまったのはケインズの忠告をきかなかった新自由主義者たちの責任です。
ケインズは資本主義を否定するものではなく、お金に対するあくなき追求が問題だとして、「呪われた黄金欲」、制限のない「貨幣欲」は悪であると戒めました。
こうした強欲な人々のことを守銭奴といいます。
守銭奴は、何かに使うためにお金を貯めるわけではありません。
お金を持っていればいるほど快感が増してくる性格ですから、その欲望にはキリがありません。
しかもモノの世界から金融ビジネスでカネがカネを産み出す異常な世界にシフトしていますから、国内経済も国際経済もどんどん不安定になっていきます。
ケインズが警鐘を鳴らした不安定な世界が誕生してしまいました。
経済の混乱は不幸な大戦を招きました。
ケインズを現代に蘇らせる必要はそこにあるのかもしれません。


さて「ケインズ伝」の始まりです。


1883年6月5日、ケインズは英国ケンブリッジで生まれました。
父はケンブリッジ大学の経済学教授、母親は後にケンブリッジ市長になる才媛でした。
1902年、ケンブリッジ大学に入学したケインズは、多彩な才能を発揮し華々しい活躍をみせます。
1906年にインド省に入省しますが、そこでの仕事はケインズにとり満足のいくものではありませんでした。
彼は余暇の多くを確率論の研究に割いてカレッジのフェロー(研究者)になるための資格審査論文として提出しました。
結果は不合格でしたが、講師になることはできました。
ケインズが経済学者としてのスタートを切ったのは、1908年~13年にかけての、通貨および金融をめぐる講義・研究からでした。

1914年8月、イギリスはドイツに宣戦布告します。
第一次世界大戦の始まりです。
この頃、イギリスはきわめて深刻な金融危機に直面していました。
戦争を継続するには、アメリカ政府からの借款が死活問題ですが、両国の政治関係はかなりぎくしゃくしたものでした。
大蔵省に採用されたケインズは、アメリカ政府と新しい金融協定を結ぶための困難な交渉において中心的な役割を演じます。
政府部内での彼の名声は高まりました。

戦いは、連合国側に処理をもたらすかたちで、1918年11月に集結します。
ケインズはイギリス派遣団の大蔵省首席代表として講和会議に臨みました。
1919年6月、ヴェルサイユ条約が締結されますが、その直前、ケインズは条約の内容に抗議の意思を表明し、大蔵省を辞職します。
そして世界中に大きなセンセーションを引き起こした「平和の経済的帰結」を執筆します。
もしこの提言通りに戦争処理が行われていれば、あの第二次世界大戦は免れたかもしれません。

(続く)