大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

尖閣の次は沖縄?

2014年06月11日 | 政治
いよいよ「集団的自衛権」の閣議決定を目指す政府の動きが佳境に入ってきました。
集団的自衛権の行使をめぐっての解釈論争、私にはどこかピントがずれているような気がしてなりません。
この集団的自衛権については5月13日のブログでも触れたように、私自身は現時点で姑息な憲法解釈で広げるべきではないと考えています。

そもそも日本国憲法第9条では戦争の放棄と戦力・交戦権の否認を定めています。
しかしそれでは他国が一方的に侵略してきたらどうするかという問題が残る訳で、キリスト的に右の頬を打たれたら左の頬を差し出すのかといえばそうではなく、自国の防衛のためには止むを得ず自衛隊で戦うという論法できたわけです。
その法的根拠は「国連憲章第15条」にあり、自国に対する他国からの武力攻撃に対して、自国を防衛するために必要な武力を行使することは主権国の権利であるとするものです。

今回の集団的自衛権論争では「尖閣諸島」問題がよく引き合いに出されます。
新潮新書「日本人に生まれて、まあよかった」にもこんな下りがあります。
『現行の憲法には「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と書いてある。
しかし尖閣諸島に武装した中国人が上陸しても日本は黙っているべきなのか。
日本が無抵抗で明け渡したら中国軍部は次は沖縄奪還を言い出しかねません…』
著者は東大名誉教授の平川祐弘氏です。
民主党と朝日新聞嫌いの辛口学者で学ぶべきところもたくさんありますけれども、このような扇動はいただけません。
尖閣問題で議論すべきは集団的自衛権の解釈ではなく、個別的自衛権の発動に対する覚悟ではないでしょうか?
平川教授の言われるように尖閣諸島に武装した中国人が上陸してきたときに自衛権を発動できるか?
はたまた沖縄に上陸してきたときにはどうするか?
その覚悟さえあれば今のままの憲法解釈で十分のはずです。
おそらくその覚悟がないから、集団的自衛権解釈を広げたうえで、それを土産に米軍の介入に期待するのではないでしょうか。
覚悟の無い日本に対して、尖閣諸島で小競り合いが起こっても、米軍が介入するとは思えません。

1953年のこと、竹島海域で韓国軍による大量の日本漁船拿捕事件が起き、銃撃を受けて日本人船長が死亡しました。
(それから今日まで韓国軍による竹島実効支配が続いています)
1954年のこと、自衛隊が誕生します。
1972年のこと、田中内閣において自衛権の概念が公にされます。
その概念は今でも生きており、防衛省のHPをみると「憲法と自衛権」としてまとめられています。
そこには自衛権発動の要件として三つあげられています。
1、わが国に対する急迫不正の侵害があること
2、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
3、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

さてみなさんに問題です。考えてみてください。

Q:尖閣諸島に武装した中国人が上陸し占拠しました。
これを排除するために駆け付けた警察と海上保安庁に対して激しい銃撃が浴びせられて日本人1名が死亡しました。

政府は自衛権を発動し、自衛隊を尖閣諸島に派遣し戦うべきでしょうか?

「赤信号 皆で渡れば 怖くない」「同じバスに乗らないと不安な体質」の日本人…
組織立っていて秩序的で、真面目で素直でお上の命令に従う習慣を持つ日本人…
日本人の集団性は間違えると怖いところへ行きかねません。
憲法論も重要ですが、私はそこが怖くてなりません。
だから戦勝国アメリカも、その心配から憲法9条を入れた日本国憲法を制定させました。
アメリカの傘の下で守られていることで良しとする日本人に対して、同盟国としての義務を果たせと強く言わないアメリカの本音も気になります。
日本国憲法を改正して自衛隊を国軍とすれば「普通の国」になりますから、同盟国としての義務を迫れます。
しかし「普通の国」に戻すとリスクもあるから、そこはさせずに解釈で義務を果たさせることができれば一挙両得です。
さてみなさんはどう考えるでしょうか?
大事なことですからぜひ一緒に考えてください。