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タイトル決めれず1000日過ぎ…ついに引っ越し

🌵 墨西哥 古代メキシコ展 13

2024-09-08 13:43:25 | 大阪春の陣 ₂₀₂₄ +メキシコ展






レイナ・ロハ
赤の女王
パカル王の妻
イシュ・ツァクブ・アハウ王妃
推定

レイナ・ロハ とはスペイン語なので使いたくない




089
以下省略







赤い展示室に オーラを感じる
人が 多いので 全体を写せなかった
近づいて 人が途切れるの待って撮る







ドキドキしながら近づく
エジプト展で 本物のミイラに 近づいた時以来の
緊張感

息をのむ








ガラスケース越しなので 反射しない角度を探す
カメラのモニターよりも
なるべく 直視しようと 心がける









1994年
パレンケ遺跡の神殿で一体の女性遺体 発見
生けにえ や 豪華な副葬品
高貴な人物だと推測された








DNA分析 X線撮影 頭蓋骨からの顔の復元作業

パレンケ最盛期の パカル王の 王妃
イシュ・ツァクブ・アハウ
という説
辰砂 シンシャ という真っ赤な鉱物に覆われていた
赤の女王
と、異名がついた


辰砂=水銀朱
神社の朱色 防腐 塗られた あれだと思う







クブ
胸と肩を覆うケープ状の織物








頭飾りや胸飾り
石彫に描かれる王族の姿と似


王妃が儀礼のときなどに使ったであろう壮麗な装飾品






両足に  足首飾り ヒスイ   各 直径 1.5㎝



遺体が身につけていた
ヒスイ 孔雀石 黒曜石


マヤ王族の女性が身につけた
ヒスイ輝石岩


下部に
小さなサルの頭部を付けた石





これだと思う






















動揺したわけではないが…
ものすごい 視線を感じる
こういうのに めっぽう 弱い








右手の腕飾り


腕飾り 緑色岩  高さ 14.5㎝  幅 12㎝


左手の腕飾り







左手の指先より少し下方に 小マスク
腰のあたりに置かれたのベルト飾り
合わせて ベルト
ということらしい






ベルト飾り
各 高さ 17.5㎝  幅 6.1㎝

手斧の形をした石灰岩製の3枚の板




                                        🔺


小マスク
緑玉髄 貝 黒曜石
高さ 12.5㎝  幅 8.4㎝



右隅にチラッと 🔺




緑色岩 長さ 11㎝

針は織り手をつかさどる神とつながり
生殖力 若さ 健康
表すとされる



左肩の傍に





ウミギクガイ の一種 スポンディルス貝
中に小像

小像
石灰岩 高さ 6㎝ 幅 2.3㎝

貝は 原初の世界を想起させるものとして供えられ
小像は 肉体が滅びた後でも女王の姿がわかるよう
生前の姿をとどめおくため








頭飾り  ヒスイ輝石岩 貝 石灰岩    高さ 19㎝ 幅 15㎝

冠   ヒスイ輝石岩          直径 25㎝   .

マスク  孔雀石 ヒスイ輝石岩 黒曜石  高さ 20㎝ 幅14㎝

首飾り  玉髄              長さ 25㎝    .

胸飾り   ヒスイ輝石岩         高さ 36㎝ 幅 46㎝


















ゾワゾワ したわ~





🌵 墨西哥 古代メキシコ展 12

2024-09-07 22:58:42 | 大阪春の陣 ₂₀₂₄ +メキシコ展




080-1
🔻              .

パカル王とみられる男性頭像
複製

漆喰
高さ 40.8㎝  幅 20.6㎝
原品 マヤ文明 620~683年頃 


パレンケの碑文の神殿
パカル王墓内 で発見



080-2



パレンケの最盛期
615~683年
キニチ・ハナーブ・パカル王の治世




080-3




パカル王 とは…

ジバンチェの侵攻により荒廃したパレンケ
12歳で 王位についたパカル
活発な建築活動にとりかかり
戦争と外交により
40代以降 周辺都市への影響力を取り戻す

王宮の拡大に多くの労力を注ぎ
マヤ地域で最も壮麗な建造物の一つにした



080-4



マヤ人としては高齢の80歳で亡くなった…


これは 王位についた時…
12歳には みえないな~
20代 くらいだろうか
功績をあげた時に 製作したか
亡くなって 若い時の王を 偲んだか


近頃 思う
数年前に 母に頼まれて 遺影を作った
本人が 気に入った写真をもとに
しわを 数百本 消したり
薄くなった 眉を描いたり
本人 気に入ったようで
小さいのを 仏壇に立て
自分の遺影に 毎朝 お茶を供えていた
死んだら だれも 上げてくれんから…
そうやな~

そろそろ 自分のも 用意しないとな~
写真撮るが 撮られるのは 大嫌いなので
写真が ないのだが…どうしたものか…





081


デュペの石板

石灰岩
高さ 41.8㎝  幅 27.7㎝
マヤ文明 654年頃


パレンケの王宮南部
地下の建物
完成を記録した石板
6つの石板の1つ

18世紀半ばにパレンケが発見された後
初期の探検家ギジェルモ・デュペ
1807年に持ち帰った

バチアタリものめ!




082-1



葉の十字の神殿の南わき柱

石灰岩
高さ 174㎝  幅 34㎝
マヤ文明 692年

キニチ・カン・バフラム
父の王墓である碑文の神殿
パレンケの守護神を祀る十字グループ
神殿群
葉の十字の神殿内 祠入り口のわき柱を飾った石彫



082-2




私と同じ背丈



082-3




なんとか オーバーラップ できてる
撮影時 わかりづらかった
なにせ マヤ文字読めないから
どこまでか わからなくなる



082-4




それにしても スタンプで ほしくなる 図柄
いや 文字
どこかで売ってないものか…


なんて書いてあるのだろう
きっと マヤ年で
いついつ だれが 何があった
って 書いてあるのだと思う




083




太陽の神殿 北の石板

石灰岩
高さ 123㎝  幅 90㎝
マヤ文明 692年

太陽の神殿の祠の石板

中央の戦士
パカル王の息子キニチ・カン・バフラム
とする説が強い
テオティワカンの嵐の神
表す胸のペンダント
トニナに勝利した祝いの祭礼における姿
と考えられる



嵐の神






084-1



香炉台

土器 彩色
高さ 53㎝  幅 45㎝
マヤ文明 680~800年

パレンケ特有の 土器の香炉台
キニチ・カン・バフラムの代 造り始められた


084-2




マヤの儀式

コーバルという木の樹脂から作られた香

神殿や住居の内部やまわりに
石や土器で作られた香炉が置かれ
さかんに焚かれた

仏教と同じやね


084-3



香炉自体が神
この香炉台の人の顔
キニチ・カン・バフラム
かもしれない






085-1


香炉台

土器 彩色
高さ 81㎝  幅 41.5㎝
マヤ文明 680~800年


夜間に地下界に入った太陽の神



085-2




世界各地 どこでも
夜間は おぞましい 世界
ということだ




085-3






085-4







085-5






なんか 理解できない 世界
こんなの 見てたら
また 眠れなくなってしまいそうだ


眠れ~ない 夜!
泉谷しげる




086-1


香炉台

土器 彩色
高さ 72㎝  幅 46㎝
マヤ文明 680~800年


鳥の神
マヤ神話において重要な役割をもつ




086-2



マヤ地域 中米ジャングル
私の 苦手とする 生き物が
うようよ


 


086-3



マヤブルー

神秘的







087




キニチ・アフカル を表す文字
漆喰
高さ 13㎝  幅 15.5㎝
マヤ文明 722~742年

キニチ・アフカル・モ・ナフブ
西暦722年 即位
王名の前半部を示す

ナフブ王
トニナに対して劣勢となったパレンケの栄華を取り戻すため
十字グループと称される神殿群の南に 新たに神殿群を造営




088




漆喰彫刻

漆喰
高さ13cm、幅16cm
マヤ文明 734年

キニチ・アフカル・モ・ナフブが造営した
19号神殿の漆喰彫刻
フーン・アガウ
マヤ神話のトウモロコシ神の子である英雄



ふ~ん…

と いうことらしい


石に 漆喰を塗り 乾いてから 彫ってたのか…
直接 石に彫れないから

うん…神殿の石は どうやって 切り出したの…?






🌵 墨西哥 古代メキシコ展 11

2024-09-07 11:11:11 | 大阪春の陣 ₂₀₂₄ +メキシコ展




068




円筒形土器

土器 彩色
高さ 16.7㎝  幅 8.6㎝
マヤ文明 600~850年

カカオ飲料に使われた土器
円筒形土器に上からカカオ飲料を徐々に垂らす…
泡立てて飲む

🍺





展示ケースの 裏に 廻って 撮りました



054
貴婦人の土偶



マヤ・ブルー きれいに残ってます






055
戦士の土偶




穴が2つある 空洞だろうか






056
捕虜かシャーマンの土偶 




空洞だ 穴の形は 意味がありそうだ





069



円筒形土器

土器 彩色
高さ 16㎝  幅 15.2㎝
マヤ文明 600~850年

カカオの飲料用に使われたと思われる土器

描かれているのは
宮殿での外交儀礼の場面
動物の頭飾りを被り
体を黒く縫った人物
外交使節

左の方に かすれてしまっているが
出迎える側の人物
鳥の頭羽飾りを被っている…


肉厚が薄く きれいな円筒に 感心する
轆轤的な物でもあったのだろうか





070


道標

石灰岩
高さ 30㎝  幅 11㎝
マヤ文明 600~800年

パレンケの中心部と周辺の町をつなぐ道の開設を記念して建てられた石彫




071


首飾

貝 緑色岩
長さ 132㎝ 
マヤ文明 250~1100年

ヒスイ と ウミギクカイ
特に珍重した

ヒスイ グァテマラ南東部のモタグア川流域でのみ産出
ウミギクカイ 太平洋沿岸で採取される
交易があったということやね

中央のペンダントはトウモロコシ神





072-1




神の顔形エキセントリック
両面加工石器

チャート
高さ 31.7㎝  幅 26㎝
 マヤ文明 711年頃


金属を持たない古典期のマヤの人々は
黒曜石やチャートなどでナイフなどの実用の道具を作り
一方 祭祀具も制作
4つの角にみられる人の顔のような造形は、
世界の四隅を守る神の姿か…

と 言うことらしい
石で 石を 加工したのだろうが
こんな すばらしい ものが 造れたものだと…
それに よく残っていたものだ




072-2




はしゃぐ 2匹の デビル





073


アラバスター容器
 アラバスター トラバーチン

高さ 17.5㎝  口径 16㎝
 マヤ文明 800~1530年

炭酸カルシウムが層状に堆積した半透明のアラバスター


余談

ずいぶん前に
秋吉台で こんなグラスを 買った



高さ 8.0㎝   口径 7.0㎝


これは 大理石 と ひとくくりにしているが
アラバスターも そのうちの 1つ だと思う
結晶質石灰岩
元は石灰岩 で 変成岩となったもの
産地によって 条件がちがうため いろいろある


マヤの人たちと同じように 魅了された
自称 ウツワスキー






074-1


猿の神とカカオの土器蓋

土器 彩色
高さ 18.3㎝  口径 33㎝
マヤ文明 600~950年




074-2



猿の神
首にカカオの実の装飾
猿はカカオの果実が好物なんだだそうだ



074-3



カカオの主産地
メキシコのチアパス州からグァテマラにかけての太平洋岸
カカオは飲料の他に通貨としても使われた


074-4




なんかね~

なんとか デラックス に見える




075  076  077



左から 見ましょ


075-1



書記の石板

石灰岩
高さ 132㎝  幅 71㎝
マヤ文明 725年頃


耳に通された紙の帯は捕虜
左手の旗状のもの 右手に掛けられた布
儀式用の装束 = 儀式を行なう捕虜
or
捕虜のような姿で儀式を行なう神官


人物の右手に持つものが筆のように見えることから
書記の石板



075-2


角度を付けて撮ると もう少し 凸凹がわかるかと
思ったのだが 思ったほどでもない




076



トニナ石彫171

砂岩
高さ 50㎝  幅 136㎝
マヤ文明 727年頃

球技の場面を描いた石彫

中央のゴムボールの上に
マヤ文字で西暦727年にあたる年

左がトニナの王  右がカラクルム王

トニナのアクロポリス 水の宮殿 出土
例の 球技で 両国の外交関係がわかる 



077


トニナ石彫153

砂岩
高さ 73.5㎝  幅 55㎝
マヤ文明 708~721年

捕虜を描いた石彫

服や装飾品を剥がされ
ピアスの穴には紙の帯を通され
縄で縛られている
さらし者にされ 人身供犠に
奴隷にされたり

トニナ
マヤ地域南西の辺境
捕虜を描いた石彫が特に多く出土
好戦的傾向が強い地域


 
わざわざ 石彫にするくらいだから
位の高い 王に近い 又は 王
だったのだろう

戦国時代の 晒し首 みたいなことだろう

戦いは きらいだわ~





078-1



96文字の石板

石灰岩
高さ 59㎝  幅 135㎝
マヤ文明 783年

783年
キニチ・クック・バフラム
即位20周年を記念




078-2




解明されているわけだ
こんなのが 読めたら楽しいだろうな~

同じ日本語 漢字でも
古文書 サッパリ読めないのに…


この碑文の模写図


079




バンダナ って感じがする

しかし 複雑やな~
1文字 書くのに 苦労するで
速記は ムリやろな

ヒエログリフが 簡単に 思えてきた
イヤイヤイヤイヤ
簡単ではない





🌵 墨西哥 古代メキシコ展 10

2024-09-06 10:10:10 | 大阪春の陣 ₂₀₂₄ +メキシコ展





054  055  056




しんどくなってきたのか まとめて 撮った



054


貴婦人の土偶

土製 彩色
高さ 21.6㎝  幅 10㎝
マヤ文明 600~950年

ドレスは マヤ・ブルー

マヤのセレブ?




055


戦士の土偶

土製
高さ 14.9㎝  幅 10.7㎝
マヤ文明 600~950年

儀礼的戦闘の闘士
儀式用の盛装をした戦士





056



捕虜かシャーマンの土偶

土製
高さ 28.8㎝  幅 14.9㎝
マヤ文明 600~950年


帯を巻いた頭飾りは神官
なのだが
ヒスイではなく紙帯
耳のピアスの穴に通している
左手に巻かれた縄
から
高位の戦争捕虜





057  058  059




左から見てみましょ



057


書記とみられる女性の土偶
土製
高さ 15.5㎝  幅 10㎝
マヤ文明 600~950年

右手に文書 → 女性の書記




058


骨製品

マヤ文明 600~950年

書記の使った筆の柄



059



道化の土偶

土製
高さ 16.5㎝  幅 9㎝
マヤ文明 600~950年

太った男 と呼ばれる土偶
綿入れのような防具を着用
儀礼的な格闘を行った道化師

お相撲さんの 着ぐるみ… 昔 やってたな~




060-1



織物をする女性の土偶

土製
高さ 16.5㎝  幅 10.3㎝
マヤ文明 600~950年

大きな耳飾りと首飾り
高位の女性



060-2




機織りはマヤの女性にとり重要な仕事
女性の社会的地位や誇り

とはいうものの…機織りの技術 道具
独自の文明なんだろうが 高度なんだと再認識




061   062



紡錘車

土製
マヤ文明 年代不明
 


061


直径3.3㎝



062



直径 2.9㎝ 

精巧に作ってあり 装飾も施している
おいしそうに も 見える…




063


紡錘

長さ 14.7㎝
マヤ文明 年代不明

紡錘車に木の棒などを通し
綿花の先端部をつけ
独楽のように回し
綿を引き延ばし
糸を撚った
 
綿花か~ 
ユカタンはかなり熱帯地帯 防寒具は 必要なかっただろうが
布は小さくて済むだろうが
蚊の対策は どうだったんもだろうか?
香炉が 多く出てきてるが 蚊の対策でもあったのだろうか



064


鹿狩りの皿

土器 彩色
高さ 10㎝  直径 31.6㎝
マヤ文明 600~700年

鹿は最も重要な狩猟対象
動物性タンパク源

皿周辺に鹿の頭飾りを被り 吹き矢で狩猟する様子
中央に仕留めた鹿を背負って運ぶ狩人

鹿の頭飾りは狩猟の際の偽装
儀礼や戦争の際に支配者層が被る

なるほど いい作戦だ👍
 





065  066  067


             ⇧        ⇧

これは…


バッジ?


これは…

自転車の グリップ


065



押型

土製
マヤ文明 600~950年
高さ  9.2㎝  幅  3.5㎝



066            067



押型

土製
マヤ文明 年代不明

高さ 2.8㎝ 幅 4㎝        高さ 4.6㎝ 幅 4.1㎝



赤や黒、白などの顔料が付着してあり
布や皮膚に文様をつけるための道具

印 のように紙などに使われた可能性もある

紙!

日本では 平安の頃には 紙は使っていた
大陸から伝わってきたが
マヤは 独自のものか…





⭐ マヤ文明 金星の謎 5:8

2024-09-06 06:06:06 | 大阪春の陣 ₂₀₂₄ +メキシコ展



昨日は マヤ文明の 金星に関して
久々に 金星の 動きを 思い出した
そしたら
ウトウト してたら 数字が グルグル





  🔺   🔺
  5    8




地球と金星の会合周期は
583.92日(約1年7か月)

584 
この数字は マヤでは 石彫に記録されている

これは

金星の 周期 5回分 = 2920 (584x5)
地球の 周期 8年分 = 2920 (365x8)

合っている


ただ 現在では 公転周期が 判明しているわけで
金星は 225日

ほぼ 金星:地球 = 13:8

225x13 = 2925
365x  8 = 2920


つまり 金星の方が 速いので 13 となる

がだ
マヤでは  5:8 と ある

ということは…

マヤ 584
現在 225日


マヤの人たちは 地球との会合周期が
金星の公転1回 だとしていたわけ?

金星と 地球の 最接近の日を 観測してたということか!

もちろん 目視だ



金星の公転周期
0.615207 年 

これは 地球が365日 1年で周期してるのに対してであり
マヤでは 365日 1年 というのは わかっていたが
やはり 多動説 だったわけですから
0.615207 年 というのは 地動説以降の数字
と 考えていたら…


マヤでは 割り算は なかった?

だから
最小公倍数 となったわけ?
5:8

まてまて 数式からではなく
目視による実測からの
数値であって…

とすると
ピラミッドの頂上の 定位置に 着た時
定点観測していたのではないか?
そんな のが あったんだと思う

春分の日 秋分の日に
ピラミッドの頂上の 窓に 太陽が入る
とか あったわけだから…


いろんなことを 考えていたら
寝たような 寝てなかったような…


明けの 明星を 見に 外に出たら

残念 曇っていた