『エリザベート』は日本版があるのは知っていたが、韓国では今年初演となった『ファントム』が、日本ではすでに2回も上演されていたことを偶然知った。
この2作品だけだが、韓国版と日本版で色々と異なる点があることに気づいた。ま、あくまでも私個人が受けた印象だが。
2008年は大沢たかおだったようだ。この時のクリスティーン役は杏。
2014年・城田優 クリスティーン役は山下リオ。他にはマルシア、吉田栄作などが出演。
31年ぶりだからと気合いを入れて、各方面トップクラスの人材を総動員してきた韓国とは、どうしてもキャストの力量に差があるのは仕方ないだろう。
クリスティーンとエリックが出会う場面。この短い場面だけ見ると、エリックの腰が低いし、言葉遣いも丁寧すぎる。
セリフや態度に、クリスティーンに近づきたい気持ちが前面に出て焦っている感じを受けてしまう。
そして韓国版のような、近寄りがたい神秘的なイメージはない。そもそも顔が少ししか隠れてないが、醜いはずなのでは?
2015年・韓国版 ニュース映像のダイジェスト。
日本語版は上の動画しか見てないが、これまで韓国語でしか見てないから「え、こんな歌詞だったの?」「この場面、こんなセリフなの?」という
‘わかってしまった衝撃’がある。
こういうキャラクターなんだという自分なりの勝手なイメージを作りあげて見てきたところに、それと異なる日本語のセリフを聴くため、
知りたかったセリフのはずなのに違和感を感じてしまうのだ。
エリックの‘나의 크리스틴’というセリフひとつとっても、「僕のクリスティーン」とするか「私のクリスティーン」とするかでイメージは異なる。
ちなみに私は後者と思って見てきたので、和訳には?という感じだ。
歌も同じ。海外版でメロディーを聴いて覚え、こちらも自分なりにイメージをつくりあげた後で和訳を聴いてしまうと、
聞き慣れた曲と訳詞のマッチングにどうしても違和感がある。
特に『エリザベート』は韓国で3回見ているし、OSTもかなり聴き込んでいるので、“最後のダンス”の日本版の歌詞
「♪最後のダンスは俺のもの お前は俺と踊るさだめ」には正直引いてしまった。トートが‘俺’っていうのもどうかと・・・
韓国語の歌詞は「最後のダンス お前は私と踊らねばならない 結局は私とともに」だから、意訳すれば間違いではないが、
ストレートに「俺のもの」「さだめ」などと言ってしまうと、死神なのに俗物的というか、人間っぽく感じてしまう。
またエリザベートの挿入歌“내가 춤추고 싶응 때(日本版:私が踊る時)”のサビの部分は、
日本版「♪一人でも私は踊るわ 踊りたいままに好きな音楽で」と あっさりした歌詞だが、
韓国版は「♪これから私は望みどおり踊るの 時間、場所、音楽まで すべて私が決めて」だ。
同じ内容をすべて盛り込むのは難しいため、わかりやすい和訳になっているんだろうが、少し内容が物足りない上に、オーバーな演技というか・・・
やはり私が思うエリザベートとは違う印象を受けた。
日本と韓国ではキャスティングにも差がある。日本は歌唱力や演技力の面で宝塚出身の女優が多いし、
俳優も舞台を中心に活躍している人がメインのようだが、こうした世界に興味のない人には聞き慣れない名前がほとんど。
韓国はジュンスやヒョシンくんなど、実力とチケットパワーを併せ持つ有名スターを加えて集客を確実にするし、
脇を固めるのは、こちらもミュージカル界で定評のある俳優たち。同時期に2つの舞台をかけもちする俳優もいるほどだ。
韓国はスケールの大小を問わず、見てみたいミュージカルの数が多いし、人気スター目当てに熱心なファンが何度も劇場に足を運び、
SNSなどに積極的に写真をアップしたりしている。
韓国はファンのパワーがハンパなく、ファンクラブやファンカフェの活動が盛ん。お弁当の差し入れや寄付米でスターを応援することも多いので、
ファンにとって好きなスターが出演するミュージカルは、身近なものなのかもしれない。
日本版『エリザベート』
2013年版 トート役の人、なんか怖い・・・体格だけ見ても死神らしさが無く、どこかギラギラしてる感じ。
2015年版 城田優はトート役もかっこいい。こっちのトートはスマートな印象。でもなぜ日本版トートはロングヘア?
この2作品だけだが、韓国版と日本版で色々と異なる点があることに気づいた。ま、あくまでも私個人が受けた印象だが。
2008年は大沢たかおだったようだ。この時のクリスティーン役は杏。
2014年・城田優 クリスティーン役は山下リオ。他にはマルシア、吉田栄作などが出演。
31年ぶりだからと気合いを入れて、各方面トップクラスの人材を総動員してきた韓国とは、どうしてもキャストの力量に差があるのは仕方ないだろう。
クリスティーンとエリックが出会う場面。この短い場面だけ見ると、エリックの腰が低いし、言葉遣いも丁寧すぎる。
セリフや態度に、クリスティーンに近づきたい気持ちが前面に出て焦っている感じを受けてしまう。
そして韓国版のような、近寄りがたい神秘的なイメージはない。そもそも顔が少ししか隠れてないが、醜いはずなのでは?
2015年・韓国版 ニュース映像のダイジェスト。
日本語版は上の動画しか見てないが、これまで韓国語でしか見てないから「え、こんな歌詞だったの?」「この場面、こんなセリフなの?」という
‘わかってしまった衝撃’がある。
こういうキャラクターなんだという自分なりの勝手なイメージを作りあげて見てきたところに、それと異なる日本語のセリフを聴くため、
知りたかったセリフのはずなのに違和感を感じてしまうのだ。
エリックの‘나의 크리스틴’というセリフひとつとっても、「僕のクリスティーン」とするか「私のクリスティーン」とするかでイメージは異なる。
ちなみに私は後者と思って見てきたので、和訳には?という感じだ。
歌も同じ。海外版でメロディーを聴いて覚え、こちらも自分なりにイメージをつくりあげた後で和訳を聴いてしまうと、
聞き慣れた曲と訳詞のマッチングにどうしても違和感がある。
特に『エリザベート』は韓国で3回見ているし、OSTもかなり聴き込んでいるので、“最後のダンス”の日本版の歌詞
「♪最後のダンスは俺のもの お前は俺と踊るさだめ」には正直引いてしまった。トートが‘俺’っていうのもどうかと・・・
韓国語の歌詞は「最後のダンス お前は私と踊らねばならない 結局は私とともに」だから、意訳すれば間違いではないが、
ストレートに「俺のもの」「さだめ」などと言ってしまうと、死神なのに俗物的というか、人間っぽく感じてしまう。
またエリザベートの挿入歌“내가 춤추고 싶응 때(日本版:私が踊る時)”のサビの部分は、
日本版「♪一人でも私は踊るわ 踊りたいままに好きな音楽で」と あっさりした歌詞だが、
韓国版は「♪これから私は望みどおり踊るの 時間、場所、音楽まで すべて私が決めて」だ。
同じ内容をすべて盛り込むのは難しいため、わかりやすい和訳になっているんだろうが、少し内容が物足りない上に、オーバーな演技というか・・・
やはり私が思うエリザベートとは違う印象を受けた。
日本と韓国ではキャスティングにも差がある。日本は歌唱力や演技力の面で宝塚出身の女優が多いし、
俳優も舞台を中心に活躍している人がメインのようだが、こうした世界に興味のない人には聞き慣れない名前がほとんど。
韓国はジュンスやヒョシンくんなど、実力とチケットパワーを併せ持つ有名スターを加えて集客を確実にするし、
脇を固めるのは、こちらもミュージカル界で定評のある俳優たち。同時期に2つの舞台をかけもちする俳優もいるほどだ。
韓国はスケールの大小を問わず、見てみたいミュージカルの数が多いし、人気スター目当てに熱心なファンが何度も劇場に足を運び、
SNSなどに積極的に写真をアップしたりしている。
韓国はファンのパワーがハンパなく、ファンクラブやファンカフェの活動が盛ん。お弁当の差し入れや寄付米でスターを応援することも多いので、
ファンにとって好きなスターが出演するミュージカルは、身近なものなのかもしれない。
日本版『エリザベート』
2013年版 トート役の人、なんか怖い・・・体格だけ見ても死神らしさが無く、どこかギラギラしてる感じ。
2015年版 城田優はトート役もかっこいい。こっちのトートはスマートな印象。でもなぜ日本版トートはロングヘア?