1853
リモコン
テレビのリモコンが調子わるくなりました。「電源」と「d」ボタンです。以前からときどきわるかったのですが、ちょっと強く押せば動作していたのでそのまま使っていました。それが1か月ほど前から全く動作しなくなりました。
リモコンの中を開けてみるとやはり接点部分が汚れており、ティッシュペーパーでふき取りましたが直りません。ボタン側の導電塗装がはがれてしまっているようです。
ボタンの裏に静電気防止袋の導電性シートを小さく切って貼り付けると無事に動作するようになりました。
蓋を開けたところです
導電性シートを貼り付けました
完成です
リモコン
テレビのリモコンが調子わるくなりました。「電源」と「d」ボタンです。以前からときどきわるかったのですが、ちょっと強く押せば動作していたのでそのまま使っていました。それが1か月ほど前から全く動作しなくなりました。
リモコンの中を開けてみるとやはり接点部分が汚れており、ティッシュペーパーでふき取りましたが直りません。ボタン側の導電塗装がはがれてしまっているようです。
ボタンの裏に静電気防止袋の導電性シートを小さく切って貼り付けると無事に動作するようになりました。
蓋を開けたところです
導電性シートを貼り付けました
完成です
1852
わかめ
今年もわかめを採りに行ってきました。
陸《おか》から鎌で刈り取りますので、潮が最も引く大潮の日の干潮を待って行きます。
朝まだ暗いうちに出発したのですが、岬の駐車場にはすでに十数台の車が並んでいます。
波打ち際まで下りてみるとヘッドライトをつけて採っている人もいますし、中には胴付き長靴を着けてざぶざぶと水の中に入っている人もいます。
わかめは気温が低いとよく育つようです。今年は寒かったためよく伸びています。陸から手を水の中に入れて岩にくっついているわかめを刈り取り、レジ袋に詰め込んでいると時間がたつのも忘れてしまいます。採ればいくらでも採れるのですが、帰りに駐車場までの数十メートルの崖を登らねばなりません。採りすぎるとこれが大変です。駐車場に着くとうっすらと汗が出ています。
かなり夢中になっていたようです、駐車場の車は3台だけになっていました。
ちょうど島の頂上から朝日が昇ってきました。
わかめ
今年もわかめを採りに行ってきました。
陸《おか》から鎌で刈り取りますので、潮が最も引く大潮の日の干潮を待って行きます。
朝まだ暗いうちに出発したのですが、岬の駐車場にはすでに十数台の車が並んでいます。
波打ち際まで下りてみるとヘッドライトをつけて採っている人もいますし、中には胴付き長靴を着けてざぶざぶと水の中に入っている人もいます。
わかめは気温が低いとよく育つようです。今年は寒かったためよく伸びています。陸から手を水の中に入れて岩にくっついているわかめを刈り取り、レジ袋に詰め込んでいると時間がたつのも忘れてしまいます。採ればいくらでも採れるのですが、帰りに駐車場までの数十メートルの崖を登らねばなりません。採りすぎるとこれが大変です。駐車場に着くとうっすらと汗が出ています。
かなり夢中になっていたようです、駐車場の車は3台だけになっていました。
ちょうど島の頂上から朝日が昇ってきました。
1851
野崎のおひなさん
3月3日、桃の節句、旧野崎家住宅のひな飾りを見に行ってきました。
旧野崎家住宅は江戸時代後期、塩田王といわれた野崎武左衛門《のざき ぶざえもん》の屋敷です。武左衛門は商人でしたが塩田の開発にとりかかり、備前、備中南部の広大な塩田を完成させ私たちの街の偉人として語り継がれています。この邸宅には代々の岡山藩主や土佐藩主山内容堂が足を寄せたという記録もあるそうです。邸宅は今では街の主要な観光ポストとしてシーズンには多くの観光客が訪れています。今年もひな祭りの季節になり、商店街には雛めぐりの旗があちこちに立てられ、お店のウィンドウには段飾りが並べられています。 コースの中に旧宅のおひな様も入っています。
私の祖母が野崎家に髪結いとして勤めていましたので「野崎のおひなさんはすばらしい」とよく話していたそうです。私が生まれたときには祖母はすでに他界していたので、直接聞いたわけではないのですが、子ども心にもいつかはそのきらびやかな大きな御殿の中に色鮮やかな衣装を着て鎮座しているであろうお内裏様や三人官女、五人囃子、”野崎のおひなさん”をぜひ見てみたいものだと思っていました。
その後何十年か経って邸宅が一般に公開されるようになり、季節になるとひな人形も飾られるようになりました。
そうなると不思議なもので「いつかは見てみたい」と思っていたものが「いつでも見られる」状況になると、ついつい「あえて今年見なくても」と思うようになってしまいました。
先日、新聞に『3月11日(日)迄開催!! いい日・いい味 雛めぐり』というチラシが入っていました。旧野崎家住宅での催し物も載っています。家から数百メートルの距離にある邸宅を初めて訪れました。
江戸時代の享保雛
岡山藩主池田候から拝領したというおひな様です。
明治時代の古今雛
おそらく祖母が見たというおひな様はこれらのおひな様でしょう。
長年思い描いていた”野崎のおひなさん”とは異なりましたが、祖母が同じおひな様を見ていたのだと思うと、写真でしか見たことのない祖母ですが、なにかなつかしさを覚えました。
これは別邸迨暇堂《たいかどう》の百畳敷に飾られている現代のおひな様です。
昭和初期のものだそうです。
野崎のおひなさん
3月3日、桃の節句、旧野崎家住宅のひな飾りを見に行ってきました。
旧野崎家住宅は江戸時代後期、塩田王といわれた野崎武左衛門《のざき ぶざえもん》の屋敷です。武左衛門は商人でしたが塩田の開発にとりかかり、備前、備中南部の広大な塩田を完成させ私たちの街の偉人として語り継がれています。この邸宅には代々の岡山藩主や土佐藩主山内容堂が足を寄せたという記録もあるそうです。邸宅は今では街の主要な観光ポストとしてシーズンには多くの観光客が訪れています。今年もひな祭りの季節になり、商店街には雛めぐりの旗があちこちに立てられ、お店のウィンドウには段飾りが並べられています。 コースの中に旧宅のおひな様も入っています。
私の祖母が野崎家に髪結いとして勤めていましたので「野崎のおひなさんはすばらしい」とよく話していたそうです。私が生まれたときには祖母はすでに他界していたので、直接聞いたわけではないのですが、子ども心にもいつかはそのきらびやかな大きな御殿の中に色鮮やかな衣装を着て鎮座しているであろうお内裏様や三人官女、五人囃子、”野崎のおひなさん”をぜひ見てみたいものだと思っていました。
その後何十年か経って邸宅が一般に公開されるようになり、季節になるとひな人形も飾られるようになりました。
そうなると不思議なもので「いつかは見てみたい」と思っていたものが「いつでも見られる」状況になると、ついつい「あえて今年見なくても」と思うようになってしまいました。
先日、新聞に『3月11日(日)迄開催!! いい日・いい味 雛めぐり』というチラシが入っていました。旧野崎家住宅での催し物も載っています。家から数百メートルの距離にある邸宅を初めて訪れました。
江戸時代の享保雛
岡山藩主池田候から拝領したというおひな様です。
明治時代の古今雛
おそらく祖母が見たというおひな様はこれらのおひな様でしょう。
長年思い描いていた”野崎のおひなさん”とは異なりましたが、祖母が同じおひな様を見ていたのだと思うと、写真でしか見たことのない祖母ですが、なにかなつかしさを覚えました。
これは別邸迨暇堂《たいかどう》の百畳敷に飾られている現代のおひな様です。
昭和初期のものだそうです。