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2021-06-30 | Weblog
 S課長のこと

 退職を前にした隣の部門のS課長は、10歳以上年下の私の机のそばに来てよく話をしていました。直接業務に関する話ではなく、当時私が担当していた無線通信のその歴史についていろいろ話を聞かれました。数十年前のことです。
S課長は大正の初めに岡山県下津井に設置された下津井無線電信局について長いこと調べられていました。無線の歴史といっても若輩者の私がさほど知る由もなく、かえって私が教わったことの方が多かったかもしれません。しかし、昔、下津井無線電信局に務めていた方を探して紹介したり、東京に出張した際に国会図書館に立ち寄って資料をコピーしたり、できる限りの協力をしました。
 あるとき、県北の役場に一緒に行ったことがありました。その出張にS課長は特に関係はなかったのですが、退職前という気軽さと時間的に余裕があったのでしょう、私の運転する車に乗ってきました。
帰途の車の中でいつもの無線の話の後、急に「戦争はいかん。絶対にいかん」と言われました。「私は日本は最後まで勝っているものと思っていた」「真剣に竹やりで戦えるとみんなが思っていた」・・・・・ 戦争の話が社に帰り着くまで続きました。そのようにしんみりと話す課長を見たのは初めてのことでした。
 その後間もなくS課長は退職され、私も転勤になり、すっかり疎遠となっていたのですが、あるとき職場に元S課長が訪ねて来られ、「読んでくれ」と分厚い封筒を渡されました。
中には「空襲の歌」と題する短歌集が入っていました。






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夢で無く花火炸裂現実ぞ 初めて見るぞびっくり仰天
始め頃「こん畜生!」と箒など 転がる火花叩いてみるが
米軍は戦略爆撃と称するが 生き物すべて絨毯殲滅ぞ
空襲ぞカンカン半鐘村役場 平和な田圃グラマンの飛ぶ
水のみで瓦礫運び出来はせぬ 腹減る体に真夏の太陽
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 昨日6月29日は1945年(昭和20年)に岡山空襲があった日です。 その日の未明の一時間余りの空襲に岡山市は壊滅的打撃を受け、千七百人以上の方が亡くなられ、負傷者は六千人以上、被災者は十万人を越えました。その後、8月6日には広島市に、9日には長崎市に原子爆弾が投下され、15日に終戦を迎えることになったのです。
「空襲の歌」には戦争に関する1700の短歌が収録されています。岡山空襲の犠牲となった1700人の方々に捧げるためだそうです。




(元S課長こと故 斉藤三郎氏がまとめられた「下津井無線物語」は国会図書館に納本されています)
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