AWA@TELL まいにち

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その行動に意味はあるのか? ~ ちょっと頭に来てます

2010年04月27日 | 日本語教育
ときどき、日本語非母語話者の話す日本語をイメージして、片言の、そして不自然な抑揚をつけて話す人がいます。

ふつうはあまり気にしないのですが、日本語教育を専攻している学生さんや、日本語教育にかかわる人たち、国際的な分野にかかわっている人たちがそれをやると、非常に不愉快になります。

日本語を一生懸命学んでいる人たちが、どんなに努力しても発音矯正ができなくてつらい思いをしているのを、なぜ、そんなふうにからかうことができるのか。

本人はからかうつもりはないのかもしれません。ふつうはそれでいいのですが、日本語教育にかかわる人がやるのは、無神経極まりない。

その口真似をすることで、調音器官や発声器官、アクセントの癖などを具体的にイメージし、自分の再現をもとに、体験的にその矯正対策を考えるというのであれば、まだ理解できますが、それは人前ですることではありません。というか、人前でする必要は全くないですな。発音矯正について学ぶ授業で、講師がたとえばこういう発音が、という話題で示す以外、意味がないでしょう。

日本語の非母語話者が母語話者並みに流暢で話すのは大変な努力が必要ですし、その努力の時間があれば、語彙を増やしたほうがいいのではないかという指摘ももちろんあります。

ですが、私たちがやはり日本語以外の言語を学ぼうとするとき、そうはいっても、ネイティブのような発音や、イントネーション、アクセントで話したいと思うのは理解できるのではないでしょうか。
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