AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

日本語教育史最終回(第一クォーター)は、これを。

2019年05月23日 | 日本語教育
冒頭のSPレコードは、教科書の模範朗読。

出張に行っては古レコードを探し、教科書の模範朗読や、語学講座のものを集めています。

今日は、教室にレコードプレーヤーを持ち込んで、実際に聞いてもらおうと考えています。



こちらは、もう十数年前に韓国で発売された、戦前のSPレコードをCD化したもの。

1940年代でも、朝鮮語の歌謡曲が流行歌として発売されていたのがよくわかります。

朝鮮語抹殺政策、ということばを耳にすることはありますが、そんなに単純なことではない、ということがわかります。新聞だって、朝鮮語の記事が掲載されていたからね。

もちろん、伝えたい情報だけが朝鮮語だった、という解釈はできると思います。でも、ラジオ放送が日本語、朝鮮語の第一、第二放送だったことも含め、為政者がどう考えていたのかと、実際に何が行われていたのか、には乖離があって、実際に行われていたことを自分の体験として持っている人の感想と、資料から為政者の意図を読み取る人の感想とではずれがあるのは当然。

それから



これもいつだったかな、2003年か、日本語教育学会から日本語教育教材レコードの復刻版は発売され、飛びついて買いました。カセットテープなので、CD化しておきたい資料です。



これは台湾で買った1895年の様子を書いた当時の絵を集めた資料。


明治時代の日本を扱った展示の図録。


前回の授業で、開国前後の日本語、日本文化研究の話をしたとき、持ってこられなかったヘボンを扱った展示の図録。


同じく、シーボルトを扱った展示の図録。


博物館での展示の図録、こうやって授業で学生さんに見せる機会が作れてうれしい。

SPレコードを聞かせるのも、実際の戦前の教科書を触らせて中を読ませるのも、当時の写真を見せたりするのも、全部、その時代を直接感じてほしいから。

活字になってしまった時の情報の欠落はとても大きくて、もちろん、情報が集約されている分、インパクトも強いんだけども、それでも当時の写真を見て、電光掲示板があったんだ、とか、朝鮮でも日本と同じように左側を車が走ってたんだ、とか、自分の目で当時のことを知ってほしいわけだ。


てなことで、今日も大荷物。

どうしたものか。
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