AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

2024年10月7日

2024年10月07日 | 日本語教育
妻が8月25日に亡くなり、葬儀や納骨を終えて、10月7日を迎えました。

10月7日は、妻との思い出の日で、日本と韓国とに別れて暮らしていた時期には、毎月7日だけは、電話で少し長めの話をしていました。

結婚してからも、毎月7の日、毎年10月7日は、妻とその日であることを話題にしていたりしていました。

が、ここ数年、妻の入退院が繰り返される中、あわただしくて、というか、それに気が回らずに過ごしてしまいました。今、思えば、もしかしたら、話題にしなくなったことを寂しく思っていたのかもしれません。

日常を維持したい、態度も変えずに日常の接し方がしたい、子どもたちにもそう伝え、私も、妻も、日常を替えずに普段通り過ごした日々でした。

そんなこんなで、妻がいなくなって初めての10月7日。

妻が亡くなって葬儀を終えてから、日記をつけ始めました。いつか、妻に再び会うときに、この日記を一緒に見ながら、こんなことがあった、あんなことがあった、子どもたちがこんなことをした、あんなことを話した、とたくさん伝えたいから、その備忘録を兼ねて、です。

10月6日の日記に、「明日は10月7日だから、夢でも会えたらいいな」と書きました。

11時ごろ休んだんですが、妻が夢に出てきてくれました。もうどんな場面だったかは覚えていないんですが、妻のほっぺたをつまんで引っ張っていたのを覚えています。

目が覚めると、2時前でした。日付が変わってすぐに会いに来てくれたのかもしれません。

その後、うれしさと懐かしさと寂しさとが混ざった感じで3時ごろまで寝られなかったんですが、明け方、また妻に夢の中で会うことができました。

中古の、マンションの屋上、ベランダというかテラスだったかと思います。洗濯物を干す、斜めに引き出して穴に物干しざおを通すものを、妻がベランダの壁から引き出して、「さびてるんよ」と。

マンションの屋上からは街が見え、広い通りが見えました。

もう一つの物干しを僕が引き出して、油をささないとね、と話しました。

あの家は、妻が今暮しているところかもしれません。屋上だけ見ると広い家でした。

これまで、夢で見ていた街、不思議なことに、いつも同じ町だったのですが、今回は全く違う町でした。明るくて、輝いている印象。以前まで見ていた街は夜だったことが多かったんですよ。

妻が私の夢の中も照らしてくれている、そんな思いで、10月7日に2回も夢で逢ってくれたことを本当にうれしく思いました。

何ができたわけでもないんですが、24年とちょっとの結婚生活、とても幸せでした。

妻が自分の幸せも全部私に譲ってくれたんじゃないかというほど、幸せでした。

ありがとう。
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