story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

少女ゆかりへのレクイエム

2004年09月25日 10時10分00秒 | 小説
私には忘れられない人がいる。
誰にでも、これと似た話はあるし、私自身にとっても彼女だけが忘れられない人であるというつもりはない。
けれども、この時期、秋の頃になると、かすかな憧れがよみがえり、いつもこの物語を何かに書き残そうとしていたのだ。
その思いは、そう、あの散髪屋のシャンプーやクリームの入り混じった匂いとでもいえようか・・その清潔な香りと共に湧き上がってくるのだ。

*始業式の日*

昭和49年、加古川。
加古川市と高砂市の境目近くにH中学校がある。両方の市の生徒が通う珍しい学校で、市立ではなく、組合立になっていた。
校内に小さな川が流れており、川の両側には柳の木が植わっている。
学校のすぐ西側には兵庫県で最大の川、加古川が流れ、周囲は新興住宅が開け始めたばかりの田園地帯だった。
学校の校舎は2階建ての木造で、同じような校舎が三棟と事務棟、特別教室棟の、いずれも木造の大型の建物が並ぶ姿は壮観で、当時の生徒数は1500人ほどもいて、各クラスは40人以上、各学年には12クラスがあるマンモス校だ。

2年生の始業式の日、初めて入った2年生の教室で西野浩一は胸をときめかせた。
彼の座った席の斜め後ろに、飛びきり美人の梅田ゆかりが座っていたからだ。
すらりとした細身で、背は小さいけれど、目が大きく、魅力的な口元、ショートにした髪がひときわ輝いて見えた。けれど、ずっと彼女のほうを見ていることはなぜか恥かしくて出来ず、時折、用があるような振りをしてそちらを見るのだった。
彼女の噂は聞いていたし、彼の母親が彼女の両親と知り合いということもあり、これまでも何度か話がしたくなる不思議な感覚を味わってはいて、それでも声をかけることも出来なかった彼女が、すぐそこにいるのだ。
何度目かに浩一が振り返ったとき、ゆかりと目が合った。
ゆかりは彼を見て、軽く微笑み返してくれた。浩一は知らん顔をして、前を向いた。頬に血が昇っているのを覚えた。
「梅田さん、また一緒になれたね」
男子の声がする。誰だろう?
「ほんまやね・・大久保君とも付き合いが長いねえ・・」
彼女の声だろうか、以外にも関西弁の、穏やかな、ちょっと低い声が聞こえる。彼女と話をしているのは誰だろう?
浩一は、教室の後ろにある棚に何かを取りに行こうと、思い立った。
何もそこから取る物があるわけではない。ゆかりと話をしている男子を確かめたかった。
立ち上がり、できるだけ怖い顔を作って、彼は後ろの棚ヘ向かった。
ゆかりの横に座っていた、色白の男子が、盛んに彼女と話をしていた。
棚のところまで来ると、背の高い、制服の違う男子が立っていた。
「君は、どこに住んでるん?」
いきなりその男子が声をかけてきた。
「ぼくか・・うーんと、神吉やねん。」
「あ!神吉かぁ・・一緒やなぁ。よろしく!」
「転校してきたんか?」
「うん、神戸からや!」
「へえ・・ぼくも1年の時、大阪からきたんや」
男子は村下正明といった。世事に長けていそうな、大人びた感じだったけれど、浩一自身も大阪からの転校組だったから、親近感が沸いた。
正明は浩一が適当なものを取り出して席に戻るとき、一緒についてきた。
話をしている大久保とゆかりのあいだにはいって、いきなり口をはさんだ。
「おれ、村下正明!神戸からきたんや!よろしく!」
「ええ!神戸から!私、梅田ゆかり、よろしく」「おれは、大久保庄司、よろしく」
浩一は出遅れてなるものかと、思い切って喋った。女子に声をかけるなんてしたことがなかった。
「ぼく、西野浩一!ボクも1年で大阪からきてんで!」
庄司は浩一が喋っているとき、ゆかりの顔を笑ってみていた。
「西野君・・私のお母さんと西野君のお母さん友達やねんて・・知ってた?」
ゆかりが浩一に声をかけた。浩一は真っ赤になってしまった。
「梅田さんのお母さんと・・ふーーん、知らんかったわ」わざとそう言った。言ってすぐ激しく後悔した。
正明とゆかりがすぐに話題を変えて喋っている。庄司はごく普通に会話に入っていった。浩一だけは立っているだけで会話に入れない。
やがて、新任の教師が部屋に入ってきて、会話が途切れた。

*野外活動*

授業でも、ゆかりは賢さが抜きん出ていた。
積極的に手を挙げて発言する。体育だけは苦手なようで、よたよた走る姿が教室での授業とは違う魅力をふりまいていた。
浩一の眼はいつもゆかりのほうを向いていた。
ゆかりが浩一を庄司や正明と同じ仲間と捉えてくれたのか、いつも彼女から声をかけてくれ、女子とはまともに話も出来ない浩一も自然に会話に乗れるようになっていった。
席替えがあって、浩一の席がゆかりの斜め後ろになったとき、窓側だったゆかりの姿が午後の光に浮きあがり、浩一は溜息をつきながら彼女を見ていた。
春の風が吹く。
開け放された窓に軽くゆかりの髪が揺れる。
彼女はショートばかり好んでいたようだから、決してなびく感じではないが、かすかに揺れる額や襟足の髪は、浩一の心に切なさという感情を植え付けた。
そんなとき、野外活動で市内の研修施設に宿泊した。
同じ部屋には偶然、浩一、正明、庄司と、庄司の小学校時代からの友人、高田靖男がいた。
一部屋は十数人で、一クラスの男子の半分が同じ部屋になっていた。
夜・・明かりを消してから、ヒソヒソと先輩から受け継いだ会話が始まる。
野外活動で好きな女の子の名前をお互いに言い合うのだ。
「さ・・みんな・・一人ずつ、名前だけ言おうやないか!」
靖男が場を仕切り、小さな声で言う。
「おまえから言えよ・・言い出しっぺやろう・・」
そうや、そうや・・口々に皆が言う。「あほか!何で俺が先やねん!」靖男が大きな声で反論する。
「こらあ!」「早く寝なさい!」教師の怒鳴り声が飛ぶ。
部屋の皆は一瞬静かになった。教師が部屋の扉を開けて覗く気配がする。
教師が去ってしまうと、靖男がまた切り出した。
「ほなら、俺から言うわ・・そのかわり・・みんなも言えよ・・」
「おう・・はよ言えや・・」庄司が声を殺して言う。
「おう・・おれはな・・ゆかりや・・梅田ゆかりや」
おお・・静かな感動のようなものが広がった。皆の気持ちが高ぶる。
「今度は大久保、村下、西野の順番やぞ」
靖男が勝手に決めて言う。
「大久保・・」そう促され、庄司が小さく喋った。
「梅田ゆかりや」
「村下・・」靖男が正明を指名する。
「めっちゃ・・好き言うのは居らんが・・強いて言えば梅田ゆかりや」
「西野・・」浩一も指名された。
「梅田ゆかり・・ほかにええのは居らんわ」
次々に名前を出していくと、ほとんどのものから出たのが梅田ゆかりの名前だった。
部屋の中に奇妙な連帯感が生まれた。ゆかりのどこがよいか・・その話になった。
「ああ・・ゆかりの裸を見たいなあ・・」そんなことを言うものまでいた。
「あいつとやれたら、ええやろなあ・・」
少年達は眠ることを忘れ、一人の少女の姿だけを暗闇に描き、けれども、お互いに自分はなんとなく、彼女に相手にしてもらえないのではないかと、少女の大人びた表情を思い起こしては溜息をつくしかなかった。
性を夢みても、だれも立ち入ったことのない世界だ。
「あいつは・・ゆかりは・・俺らのことは何とも思っとらんやろなぁ・・」靖男がふとつぶやいた。
「いや・・おれは頑張ってみるで」庄司は恥かしげもなく言い放つ。
浩一は自分の不細工な顔や姿を思い起こし、諦めながらも、諦めるとは言わず、黙っていた。
「よし!庄司!お前頑張れ!」
正明が言った。「俺はあの程度のオンナは別に惜しくない。お前に預けるから、頑張れ!」
「ありがとう・・頑張るぞう!」庄司が叫ぶ。
「俺も、ゆかりはお前に預ける!お前があかんかったら、俺が頑張る!」
靖男が宣言する。
浩一は何も言わず、布団にもぐりこんで寝た振りをしていた。

*理髪店*

「西野君、いっぺん、うちのお店においでって・・お母さんが言ってたわよ」
ある日、ゆかりが屈託なく、浩一にそう言った。
彼女の家は理髪店を営んでいた。浩一の母親もかつては神戸の理髪店で働いていたこともあって、母親同士は以前から気が合うようだった。けれど、浩一の自宅からゆかりの家までは遠くて、その店に行ったことはなかった。
「うん・・そない言ってくれるんやったら、いっぺん、行くわ」
浩一は素っ気無く答えながらも飛び上がりそうに嬉しくなった。
彼女の家にいける。
それも堂々といける・・そう思った。
「大久保とか、高田とかは、梅田さんのお店に行ってるの?」
「うううん・・来てはれへんよ・・」ゆかりはそう言って、にこりと微笑んだ。
彼女が、僕に微笑んでくれる・・浩一は、さらに嬉しくなってしまった。
数日後の日曜日に浩一は、ゆかりの親が経営する理髪店に行った。浩一が店に入ると、彼女の両親が愛想よく迎えてくれ、二階に居たゆかりに声をかけて下ろしてくれた。
浩一が散発をしてもらっている間、ゆかりは後ろの順番待ちの椅子に腰掛けて、面白おかしく学校の話をしていた。庄司や正明、靖男の話だった。
「大久保君たちのことは分かるけど、西野君は学校ではどうなの?」
ゆかりの母親が頭を洗ってくれながら、ゆかりに訊いている。
「西野君って・・おとなしいもんねえ・・」
僕はおとなしいのか・・浩一は妙に納得して、それでも、彼女が自分を見てくれていることが嬉しかった。
「僕・・おとなしい?そんな気はないねんけど、そうかなあ?」浩一は頬に血が上ってくる感触を味わいながら、訊き返した。
「おとなしいわ・・でもねえ・・やさしそう!」
ゆかりはそう言ったかと思うと、笑った。
明るい、きれいな笑い声だった。
その日、浩一が自宅へ帰る自転車は、空を飛ぶようだった。
うれしくてうれしくて、心の中が一気に花畑になったかのような・・田んぼの中を、風切って彼の自転車は走った。

*修学旅行*

浩一はカメラが好きだった。
彼の父親は彼が中学校に入ったころ、病気で亡くなったけれど、父が彼に残したものにカメラの趣味があった。
修学旅行はカメラを正々堂々と使える最高のチャンスだった。
浩一は班の写真係になって、父が残した小型のカメラを使う・・彼にとっては思い通りのチャンスを得たわけだ。
けれど、3年生になる時にゆかりとはクラスが分かれてしまっていた。クラスは12組もあるから、2年の時に同じクラスだったクラスメイトとまた3年で同じクラスになれる確率は12分の1で、奇跡は起こらなかったわけだ。
浩一は修学旅行の先で、ゆかりと偶然、そばに寄れるチャンスを待っていた。
1日目、白糸の滝、富士山5合目、チャンスはなかった。
彼のカメラに写ったものは、美しい富士山と、同じ班の男子女子のふざけた表情ばかりだった。
箱根に泊まって、2日目、美しい芦ノ湖の景色、やはりふざけた班の仲間達、そして、バスの影にいたゆかりを見つけて声をかけた。
「梅田さん!」
え・・彼女は振り向いてくれたけれど、逆光で、まだ現像する前から結果はわかってしまっていた。
川崎の遊園地に泊まって、3日目、東京タワーでようやく彼女を捉えた。
「梅田さん、もう一回!」
はい!明るく振り向いてくれたゆかりを浩一のカメラは正確に写しこんだ。
「おい!西野!よかったな!」
後ろからかけられた声に振り向くと、靖男が笑顔で立っていた。
「なにが・・」
「隠さんでもええよ・・梅田の写真が撮れてよっかったやないか」
何日かあと、学生服とセーラー服のシンプルな制服、その何人かと共にゆかりが、控えめな笑顔でこちらを向いている白黒写真が出来上がった。

*ピアノ*

ゆかりはブラスバンドにいた。
3年生の運動会で、最後の演奏がある。
埃が立つグランドで、彼女はブラスバンドの中では一番小さな楽器、ピッコロを吹きながら行進している。
トロンボーンだの、トランペットだの、ドラムだのに混ざって列の真ん中あたりで彼女が小さな小さな楽器を吹きながら歩く姿に少年達は心を躍らせた。
体操服の少女は一生懸命に楽器を吹きながら歩く。
小柄な彼女によく似合うその楽器は彼女の宝物のようだった。
浩一は得意のカメラでその姿を写そうとするけれど、ゆかりは列の中ほどに入ってしまって、うまく撮影できなかった。
そのゆかりは合唱コンクールではピアノも弾いた。
本当はこちらのほうが彼女らしい、趣があった。
中学生の男子に、それもまともに音楽の授業など受けていない彼らに、ゆかりのピアノのうまさがわかるはずもなかったけれど、彼らは一様にゆかりが間違えずにピアノを弾いたことを誉めていた。
もちろん、ピアノを弾くのはゆかり一人ではないし、他にも間違えずに弾いた者はあっても、そんなことは関係がなかった。
「彼女は・・ちょっと悲しい曲の弾き方をするわね」
音楽の教師がそう呟くのを聞いて、少年達はそうなのかと思う程度だった。
けれど、ゆかりが、悲しい弾き方をする・・その悲しさを知りたかった。
単純な少年達は、その悲しさを知りたくて、自分でもそれを知れば何か、彼女の力になれる気がしていた。
当時のゆかりに、悲しみなどはなかったのかもしれない。同じ年の少年達には理解しがたい感受性が、彼女のピアノを悲しい音色にしていたのだろうか。
彼女はいわゆる深窓の令嬢ではなく、彼女の口からしばし発せられる播州弁は、余計にゆかりの存在感を強くしていた。
白い肌、強くて大きな切れ長の目、整った顔立ちで、ルージュなどなくても赤く艶のある唇。
彼女が使うと、上品とは思えない播州弁も特別の言葉だった。
軟らかく、はんなりと、ゆったりと・・
けれども、ちょっと癇癪持ちのところを見せることもあった。
3年生も、もう終わり近く、放課後、浩一は正明と共に、ゆかりと同じクラスになっていた庄司を訪ねて、そのクラスに部屋にいた。
別に用事はなく、ただ叫んで、走り回っていた。
ゆかりがまだその部屋にいて、同じブラスバンドの女の子となにやら一生懸命に喋っている。
彼女の気を引こうとしてか、少年達は思い切り奇声を上げて走り回っていた。
木造校舎も彼らの卒業前にようやく一学年分だけ、新築の鉄筋コンクリートに変わっていた。
コンクリートはよく音が反射し、暴れる音はそこら中に広がる。
「うるさいやんか!」
大きな声がした。鬼のような形相で、ゆかりが浩一を睨みつけて立っていた。
「あたし、大事な話してるねん!自分の教室で暴れてんか!」
彼女は仁王立ちになって、浩一がそこを立ち去るまで、動く気配がなかった。
「ほんまに、いつまでも餓鬼やねんから!」
浩一、正明、庄司は恐れをなして教室から出て行った。
「あいつ・・梅田のやつ・・怒ったら怖いなあ・・」
「今までで一番怖い怪獣やわ・・」
「俺・・今夜眠られへんかもしれん・・」
少年達は口々にそういい、けれど、彼女の変化がまた楽しく、そのまま並んで家路についた。

*病院*

卒業をし、少年達はバラバラの進路を進んだ。
ゆかりは関西でも有数の進学校である私学に進んだ。誰も大阪で寮に入っている彼女のことは分からなくなっていた。
その年の、ちょうど夏休みに入った頃、庄司が倒れた。
浩一は庄司の母親から連絡を貰って、正明、靖男と共に庄司の入院している市民病院に見舞いに行った。
教えてもらった病室の前に来ると面会謝絶の札がかかっている。
どうしようかと躊躇している彼らの前に、折りよく庄司の母親が現れた。
「あら・・みんな折角来てくれたのに・・」
庄司の母親はそう言って残念そうだったけれど、しばらく考えて、彼らを少し離れたところまで連れて行き、こう言った。
「うん・・やっぱり入ってもらうわね。庄司は死ぬかもしれないの。最後になるかもしれないし・・だけど、庄司にはこれは言わないでね・・約束できるなら、あってもらうけれど・・」
3人は黙り込んでしまった。
しばらくして靖男がやっとの思いで口を開いた。
半分泣きながら、それでもこらえて喋ろうとする。
「俺・・よう会いません。・・俺・・そんなん・・」
浩一は、ふと思いついたことがあった。
「あの・・出来たら、もう一人、呼びたいのですけど・・」
彼はそう言うと、公衆電話のところに走った。ゆかりの両親が経営している理髪店に電話を入れた。
電話番号は散髪してもらった時に貰った小さなカレンダーに書いてあった。・・今は夏休みや!梅田は帰ってるやろ・・
そう確信していた。
ゆかりは夏休みで自宅にいた。
庄司のことを頼んでみた。
彼女が迷うだろうかと浩一は思っていたが、ゆかりはあっさりと「すぐに行くわね。待っていてね」そう言ってくれた。
20分ほどして、ゆかりが病院のロビーに現れた。
ピンクのジャケット、白いミニスカート、久しぶりに見るゆかりは、大人びていたけれど、少し疲れている感じがした。

庄司の病室にまず浩一、正明、靖男が入った。
「おう!どないや!入院してるって・・聞いたからな」
正明が努めて明るく言う。
「ありがとう!しんどくてなあ・・」
ベッドのなかで顔を上げた庄司の顔を見て、少年達は一瞬、腰を引いた。
顔面が全て黄色になってしまっていた。典型的な黄疸の症状だが、少年達にわかるわけもない。彼らには、異常という事だけが理解できた。
「今日は、もう一人、お客さんが来られています」
正明がおどけたように言う。靖男は口をキッと結んだまま何も言わない。
「誰かな?」
庄司が不思議そうに訊く。
「どうぞ!」浩一が扉の向こうへ声をかけた。
「大久保君、どないしたん・・元気そうやわ。入院してるって・・びっくりしたんやで・・」
明るく、ゆかりが入ってきた。
「おおう!」庄司は身体を起こしてゆかりを迎えようとしたけれど、ゆかりはそれを手振で遮って、庄司の枕もとに座った。
しばらくして少年3人は部屋を出た。
部屋の外で待つことにしたのだ。
個室からは明るいゆかりの笑い声と、庄司、庄司の母の声が聞こえる。
靖男は病院の廊下にうずくまって泣き出してしまった。
「案外、大丈夫かもなぁ・・」正明が言う。浩一も、そうかもしれないなあと、ぼんやり思った。

*その後*

それから3年後の春、浩一はすっかりなじみになったゆかりの両親の店へ散髪に行っていた。
「西野君、ゆかりが帰ってきているの」
ゆかりの母がそう教えてくれ、いつかのように店の二階に声をかけ、彼女を呼んでくれた。
「西野君!」ゆかりは店の裏から顔を出すと嬉しそうに叫んだ。
「変わってへんねえ・・」
彼女は浩一を見てしみじみ言った。
「ああ・・ちょっとおっさんになっただけや、・・」
明るく彼女が笑った。
「卒業したんやなぁ・・今度はどこへ行くのん?」
浩一がそう訊くと、ゆかりは表情を曇らせた。
「しばらく、家にいて、音楽のほうでもやってみるねん」
ふーん・・浩一には、ゆかりの全身に疲れがたまっているように見えたけれども、それ以上その話はせずに、友人たちの近況の話をした。
・・一度死にかけた庄司は、ゆかりの激励が聞いたのか、見事に立ち直り、1年留年したものの、進路を変えて、医療の道へ進むべく勉強中だった・・

  ****************

秋・10月下旬。
私は、ある仕事を終えて、自分の社に戻るため、電車を待っていた。
携帯電話が鳴った。
私の母からだった。
ゆかりさんが亡くなったと言う。
信じられない。
彼女はもう、十数年前に結婚し、幸せな家庭を築いているはずだった。
結婚後の彼女に会うことはなかったし、何も話は伝わってこなかった。
急病だろうか?
私はそう思い、取るものもとりあえず、その日のうちに加古川市の葬祭場に向かった。
通夜の儀式は、もう終わっていて、それでも、ご両親と会うことが出来た。
なにか、聞いてはならないような気がして、ご両親には彼女の死因は聞けなかった。

けれどもすぐにそれは分かってしまった。
彼女は自ら命を絶ったという。
それも唐突に・・
経済で苦しんでいる私などから見れば、経済的にも恵まれていた彼女に何の思いがあるのか・・
理解できなかった。
彼女は秋の夕方、人との約束の時間に、そこへ行く時に、唐突に自分の命を終えてしまった。
自殺と人は言うかもしれない。
けれど、私にはそうは思えない。
心の病・・何が彼女をそうさせたか・・もはや知るすべはなく、ましてや私のように長く便りを交わさなかった者は、彼女にとって無縁の存在だったのかもしれない。

通夜の席で一生懸命に参列者に挨拶をしている、見慣れた学生服の少年がいた。
彼女の長男だった。
白い肌、赤い頬、きちんと詰襟を留めて、小柄な少年がお辞儀を繰り返していた。
私には少年が、まるで私達の少年時代からタイムスリップして出てきたような錯覚を覚えた。
「君の母さんは君くらいの時は、ものすごくもてたんやぞ」
私は心で少年に、そう言った。
もし、今度彼に会うことがあるなら、その時は少年に、そう伝えたい。

通夜の日から何日かして、私はゆかりさんが、命を絶った場所を、ちょうどその同じ時刻を見計らって訪れた。
もう、その痕跡はきれいに消し去られていて、そこに彼女をしのぶものは何もなかったけれど、見事な夕日がまさに沈むところだった。
播州平野の夕日は、大きく、切ない。
そういえば私も、少年の頃、この夕日を見て泣いたことがあった。
自分の将来を思って泣いたのか・・もしかしたら君を想って泣いたのか・・そこのところは覚えていない。

もしかして、秋の夕方の寂寥感が君を悲しませたのだろうか・・私はそう思うことにした。
けれども・・まさに、私達は、当時の悪友連中は早くも、自分達の少年時代の大切な思いを失ってしまったことに気が付かざるを得なかった。
私達のうち、誰かが、彼女のそばにいたなら・・
私達のうち、誰かが、彼女と連絡を取れていたなら・・
悔いは残り、青春は帰らない。
私、西野浩一は、日が暮れて寒くなった住宅地を、繁華街のほうへ向かった。
今夜は数年ぶりで、村下正明、高田靖男、大久保庄司と会う約束をしていた。誰も皆、彼女のことで話がしたかった。
今夜の私達は、彼女が集めたようなものだった。

君よ!会えるなら、また会おう!
それまで俺は生きて待っているから!


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私はAsexualなので、恋愛的なものはよくわかりませ... (m_fuka)
2005-07-17 10:56:31
私はAsexualなので、恋愛的なものはよくわかりません。しかし人間も生命も、関係性で依存し合っているという話を思い出しました。また恋愛は、友愛の一つの形であるという話も聞いたことがあります。私も自殺しようと思ったことはあります。自然に還るために、山で生き埋めになろうと思っていたこともありました。でも、野望を捨てきれることができず、まだ当分は生き続けることにしようと思います。
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m_fuka さま。 (こう)
2005-07-17 13:31:08
m_fuka さま。
ありがとうございます。
この作品は・・まだ恋愛というには早い・・早春の頃の思いを書いたつもりです。
辛いですよね・・憧れた人がこう言う形で去っていくのは。。
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