story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

随行写真屋・小学校編

2016年12月07日 22時11分03秒 | 小説

(本作品はあくまでもフィクションであり、実際の記録などではございません。)

今から十七~八年前の話だ。
だから平成十年ごろということになろうか。
播州T市にある山陽本線S駅に八時前に集合という。
神戸からでは自宅を六時に出なければならない。
基本的に播州方面へ撮影の応援に行くときは営業用のライトバンを使うのだが、S駅からの列車に僕も乗らねばならないとなると、まさか一昼夜、近所の駐車場にクルマを預けおくこともできず、アルミバックを抱え早朝の電車を乗り継ぎ、梅雨前の晴れ間が広がるS駅へ向かう。

そのころ、僕は写真屋だった。
自分の店だけでは食えないし、時としてオンシーズンにもなると一気に怒涛のように仕事が入ることもあり、僕ら写真屋は横に繋がりながらお互いに応援のやり取りをしていたのだ。

S駅横のちょっとした広場ではすでに大勢の小学生と見送りの父母たち、前に並ぶ教師たち、それに旅行会社の添乗員たちがそろっていた。
駅前は子供を送りに来ている父母のクルマで一杯だ。
「おはようございます。本日、川西写真館さんの応援で撮影を担当させていただきます大野と申します」
写真や稼業も学校とのおつきあいに慣れれば教師たちの序列も自然に読めるようになり、僕はこの人が学年主任と思しきちょっと頭の禿げた男性に声をかけた。
「あ、大野さん、川西写真館さんからお話はお伺いしております。よろしくお願いいたします」
その教師はそういったかと思うと、僕を校長のもとへ連れて行った。

「あ~~!、これはこれは、よろしく頼みますね~」
いかにも人の良さそうな校長はニコニコと挨拶をしてくれる。

南山小学校の出発前のお話が始まった。
学年主任が軽くあいさつした後、校長はメガホンをとり「みんな~~空を見てごらん!」と言いながら空を指さした。
大仰な表情をして、前身で空をぐるっと見上げるポーズをとる。
「昨日までは雨でしたね!今日はこんなに良いお天気、仲良く、先生方の言うことをきちんと聞いて、楽しい修学旅行にしましょう」
一瞬、この校長、まるで芸人やな・・と思った。
けれど、小学生相手ではああいうオーバーアクションもまた必要なのだろうな・・・
そう思いながら僕は早速その様子を愛用のニコンで撮影していく。
カメラはモータードライブ付きのFM2とFE2だ。
この程度の機種が軽くて、動きが確実で使いやすい。

「皆さんにご紹介します!」
学年主任がそう言って僕を、皆の前に立たせる。
「今日の撮影を担当してくださる、カメラマンの大野さんです。この方を見かけたら、たくさん写真を撮ってもらいましょう」

僕はちょっと照れるなと思いながら、小学六年生とその後ろの父母に向かって深々とお辞儀をする。
生徒たちが拍手をくれる。
何の拍手だろう。

それが済むとホームへ移動だ。
南山小学校はこの駅から南へ二キロほどのところにある、生徒数は全部で400人ほどの小さな学校だ。
一学年は七十名前後、各学年には二クラスしかない。

ずらずらとホームへ引率される生徒たちの先頭を追い抜き、僕は先に改札内へ入り、改札口をくぐる団体を撮影していく。
ホームに生徒達が整然と並んでしばらくして・・キハ二八系と言われる気動車の団体専用列車が入ってきた。
つい先だってまで、山陰本線や姫新線、福知山線、関西本線など、関東では常磐線、総武線などで「急行」として走っていた、あの肌色に窓回りを赤く塗った車両だ。
列車は六両編成で、このうちの一両半が南山小学校の車両だ。
生徒たちは丸ごと一両を使える前の車両に乗り込み、校長と学年主任、旅行社の添乗員、そして写真屋の僕はいったん後ろの車両に乗り込んだ。
当時とて古い急行用の車両だが、清掃は行き届いている。

僕の乗った後ろの車両の半分は他校が使うのだけれど、その学校は半車しか使えない車両にも教師たちスタッフと小学生もすでに前の駅で乗り込んでいて、賑やかだ。

急行型気動車の座席定員は1両辺り84名のはずで、学校の二クラスはまるまる乗ることができるから、この車両半分と後ろの車両二両に丸々に乗っている学校は一学年五クラスもあるようだ。

こちらの南山小学校は生徒は前の車両にすべて乗り込んでいるから、後ろの小学生たちとはかなり席をあけて、僕らは座った。
添乗員は僕にボックスを一区画宛がってくれた。
「写真屋さんはお荷物もおありでしょうから、ここをゆっくり使ってくださいね、帰りも同じ座席ですよ」と言ってくれる。
添乗員はJAB旅行社の、如何にも仕事のできそうな、ちょっと小柄の中年男性と、その人の部下であろう若い女性の二人だ。

南山小学校のスタッフは添乗員二人、写真屋一人、校長、学年主任、担任が二人、体育教師と医務スタッフとしての保健室教師一人の併せて九人だ。
生徒は全部で七十二名、合計八十一名様の団体一行となる。
校長は五十歳代くらい、学年主任は四十代だろうか、少し頭が禿げかかっている人だ。
担任の先生は二人とも若く、一人は背の高い男性、もう一人は小柄でなかなか可愛い女性、体育教師は三十代、保健室教師は四十代にみえる「優しいおばちゃん」タイプの人だ。

列車はすぐにエンジンの音を上げて発車し、次の駅でまた停車、ここでもう一校の小学生団体を乗せ、ようやく団体列車らしく駅を通過しながら走る。
僕は鉄道ファンでもあり、ふだん、この辺りではめったに見られないキハの団体列車に乗っていることで胸を躍らせるが、これは仕事である。
列車に気をとられるのは、手が空いている時だけにしようと思うがそれでも、列車のポイントを通過するときの揺れや、すれ違う他の列車の様子を見るとちょっと嬉しくなる。

車内が寛いできたころ、僕はカメラ二台にスピードライトをつけ、座席ボックスごとの写真を撮影に回る。
上着の右のポケットには使っていないフィルムを、左のポケットには使い切ったフィルムを入れて、一回の撮影に最低二度はシャッターを切りながら、子どもたちに声をかけて撮影していく。
「は~い、こっちいいかな!!」
トランプや卓上ゲームに興じ、おやつを食べている子どもたちは屈託なく、いい笑顔でこちらを向いてくれる。
播州の学校の場合、こういう屈託のなさが嬉しい。
これが神戸市内などの都会の学校相手だと、どうしても風変わりな子が何人かいるものだ。

さっき、校長を芸人みたいやと思った僕だが、自分で僕もまた芸人みたいやなとも思う。
ひとしきり撮影して、自分の座席に帰ってほっと一息つく。
あっという間にフィルム四本を消費していた。
撮影後のフィルムケースにマジックペンでナンバーを入れ、カメラボックスに収めてしまう。
新しいフィルムを出し、上着の右ポケットに入れておく。

列車は性能一杯の高速運転をしているようだったが、当時のキハの最高速度は時速九十五キロ、すでに新快速電車の時速百十五キロ運転が始まっている時代だったから、ノンストップの団体列車とはいえ、どうしてもほかの列車にどこかで道をあけなければならない。

キハは神戸駅の側線に入り、新快速をやり過ごす。
とりあえず一仕事は終わった僕は、しばらくキハの乗り心地を楽しむことにしていた。
かつてたくさん走っていたキハの急行列車は廃止されていて、神戸の山の緑をキハから見るのはめったにできなくなってしまった体験だった。

そのあと東灘操車場の側線で高速貨物列車にも道を譲り、大阪駅ではドアは開けないのに何分も停車する。
そして京阪間、新快速が二十九分、平均速度八〇キロ以上で駆け抜ける区間をキハは精一杯飛ばす。
この飛ばし方が鉄道ファンにはたまらない。
子どもたちの様子をちょっと見に行くと、大半の子供が眠気に誘われてしまっているようだ。

列車が京都駅に入り、何本もの線路をまたいで奈良線へと向かう。
教師たちが「そろそろやな」と言い出した。
同じ車両に乗っている別の小学校も教師が生徒たちに指示をする。
「では、列車は今から奈良線に入ります。奈良線は大体一時間半ほどですが、この間におうちから持ってきたお弁当を食べてください。な、お弁当のゴミはクラスごとのゴミ袋に入れるように」

時刻はまだ午前十一時になっていないが、奈良線区間が昼食タイムというわけだ。
それにしても奈良線では京都から奈良まで普通列車でも小一時間であるから、ノンストップのはずの団体列車が一時間半とは恐れ入る。
単線区間でもあり、あちらこちらで定期列車をよけながら走っていくのだろう。

子どもたちが弁当をあけて数分、様子を見て、僕はまたカメラをもって撮影に回る。
列車内で遊んでいる様子とお弁当を食べている様子は写真として外せないのだ。

撮影しながら、今度は子どもたちも少し気を許しているのかいろいろ話しかけてくれるのに応じながら、時間をかけて車両を回る。

気が付けば列車は宇治に停車していた。
自席で添乗員がおいてくれている駅弁を広げ、食べる。
キハの車内で駅弁を食べるなど、何年ぶりのことだろうか。

宇治駅で三本の黄緑色の普通列車に抜かれ、二十分ほど停車した団体列車はゆっくり加速する。
これでビールがあれば最高なのだが、さすがに今日はそういうわけにはいかないなと思いながら、弁当をゆっくり味わい、また列車の揺れに身を任せる。

奈良駅では団体改札から外に出て、待ってくれていた奈良交通の普通の路線バスタイプのバスに乗せられる。
座席は少なく、バスは二台しかないから半分以上の子供が立って乗る状態だ。
ただ、行先は東大寺なのですぐ近くで、あっという間に奈良公園へ着く。
鹿が寄ってくるが、ここで待っていたガイドさんが「鹿とはあとで遊びましょう!」と言いながら無理やり、子どもたちの列を引っ張っていく。
「はい、写真屋さん、ここで集合写真です」
ガイドさんに言われ、二月堂横の斜面を使ってクラス写真を撮影する。

当時は随行には必ずブローニー判の中型カメラを持って行ったもので、今ならデジカメの撮像画素数を上げるだけで事が済むのだろうが、フィルムといい、なかなか荷物の多い随行だったわけだ。
スムーズに二クラス撮影、校長も学年主任も慣れたもので、さっと生徒の間に入り、一クラスの撮影に五分もかからない。

東大寺ではここがポイントという大仏の鼻の大きさの穴をあけた柱を子供にくぐらせて撮影する。
大仏に向かって「みなでお祈りしましょう!」という校長の掛け声で一斉に合掌、柏手を打つ子もいるがいちいち注意したり教えたりしている暇がない。

駆け足で若草山のふもとへ。
ここで鹿のいる公園で鹿とホンの五分ほど戯れ、すぐに目の前にある土産物屋へ。
「ここで奈良のお土産を買う人は買ってください」
との声に子供たちは一斉に商品棚に群がる。

男性の添乗員が「校長先生、写真屋さんもお二階へどうぞ」と誘う。
もう一人の女性添乗員が店を見張る中、教師たちと僕は二階へ・・・そこには簡単な食事とビール、日本酒などがすでに用意されていた。
「いやぁ、これはありがたい、ここはこんなにいいお店だったのですね」
校長が嬉しそうに言う。
しかし、担任の二人は生徒が気になるらしく、ちょっとだけ箸をつけて飲み物には手を出さず、生徒のいる一階へ降りていく。
僕もまさかビールを飲んで仕事になるはずもなく、土産物屋での子供たちのスナップが撮りたいからと降りていく。

鹿と遊ぶのは五分ほどなのに土産物屋では貴重な時間を三十分もかける。
修学旅行のこういう風潮を誰も何とも思わない時代でもあった。

少し顔を赤らめた校長、学年主任たちも降りてきて、少し土産を買う。
やがて時間になり、広い通りに出てまた路線バス二台に乗せられ奈良駅へ。

留置線に入っていたのだろう、先ほどのキハの編成がすぐにホームに入ってきた。
キハは小学生たちがすべて乗車するとまもなく発車する。
子どもたちも疲れているようで、列車は今から景色の雄大な関西本線に入るというのに寝てしまっている。
進行方向を変えた列車は山の中に分け入り、エンジンの音も高く、案外速度を出して伊勢へと向かう。

これぞキハの快感、鉄道ファン本来の性分が出た僕は自席でゆっくりと列車を楽しめる。
静かな車内、やがて加太越えのこう配を超えた列車はグンと速度を上げて快走するが、この頃ようやく子供たちが起きてきた。

ふと、並行する線路があるのに気づく。
伊勢へ向かう近鉄大阪線だが、すぐにそこに瀟洒な特急電車が現れた。
同じ方向に向かっているその電車は、こちらのキハが精いっぱいエンジンを唸らせてもとても追随できない速度でさっそうと走り去っていく。
田園風景の中の近鉄特急電車はまさに一服の絵だが、生徒の一人が声を上げた。
「先生、あの電車で修学旅行、できなかったんでしょうか!」
「ああ・・あれは近鉄やからね」
「近鉄でもよかったんじゃないですか?」
「近鉄に乗るのに大阪の難波までバスで行かなアカンやろうが・・」

それでも古臭いキハは、一生懸命に走る。
反対方向への近鉄の赤茶色の普通電車やツートンカラーの特急も何本もすれ違う。
まるで近鉄にその存在を見せつけられているようでもある。

列車が多気から参宮線に入ると教師たちが動き出す。
「そろそろ到着です。ゴミをまとめてください。自分の荷物を忘れないように持ってください」
生徒たちが一斉に立ち上がり、片付けを始めた。

列車は日の暮れかかる二見ヶ浦駅に着いた。
この駅は無人駅で、ホームに旅館の人が迎えに来てくれていた。
小学生の行列は旗を持ったその人について歩く・・たぶんその人は旅館の番頭さんだろうか。
担任の男性教師が番頭風の人に尋ねる。
「海辺を歩いてもらっていいですか?」
「ああ・・まだ時間はたっぷりあるし、せっかくだから海沿いに旅館に行きましょう」
やがて伊勢湾の堤防の上を歩く行列、暮れかかる海の遠くに知多半島が見える。
「この感じなら、明日の朝は御来光が見える可能性が高いですね」
「ありがたい、私はもう三年も連続でご来光を見ていないのですよ」
担任の男性教諭が嬉しそうに言う。
「よく晴れてますからね、富士山も見えるかもですよ」
別の可愛い担任女性教師が「富士山、見えたらいいですね」と目を細めながら言う。
「大丈夫、普段からの行いがいいからね」そう言ったのは少し禿げた学年主任だ。
すると、生徒の一人が「ここから富士山が見えるんですか?」と聞く。
「ええ、年に二十日ほどは見えるんですよ、あのあたり、今暗くなっていますがあのあたりに小さな富士山が見えますよ」
「うわぁ、楽しみ!」
子どもたちが歓声を上げた。

旅館には十分少しで到着した。
部屋に入り、集団で入浴指導をする教師と別れ、僕は添乗員たちと明日の打ち合わせをする。
明日の朝は五時前に起床し、ご来光を見に行く。
そのあと朝食で、済ませたら夫婦岩のところで記念写真を撮影する。
修学旅行生が他にもいるから、手際よく、さっさと済ませること。
そのあとはバスに乗り戦国時代村に行くが、現地では職業カメラマンの活動は禁止されているとのこと、先生方に「写ルンです」を持ってもらってスナップを撮ってもらうしかないだろうとのこと。
ただ、いくらかの持ち込み料を支払えばカメラマンとしてのスナップは許させるので、そこをどうするかということなどが話し合われた。
結局僕は五千円を支払って戦国時代村内部でのスナップは撮らせてもらうことになった。
「それにしても・・」
僕には疑問に思うことがあった。
「伊勢に来て、伊勢参宮をしないというのはどうも引っかかりますね」
年配の男性添乗員がふっと、ため息をつきながら答えてくれる。
「昨今では宗教的観点から特定の宗教への参拝はするべきではないという保護者が増えました」
「でも、伊勢参宮はしないのに東大寺はありなんですね」
「そう、そこが面白いところで、伊勢神宮は宗教施設だが、東大寺は観光地であると」
「おかしな意見ですね」
「そういう意見がまかり通ってしまうのが怖いところで、いずれ、伊勢そのものへも来れなくなるんじゃないかと・・私たちは伊勢に戦国時代村ができてほっとしているんです。これで参宮なしでも伊勢に行けると・・」
「でも、鳥羽水族館でも御木本真珠島でもあるでしょうに」
「やはりちょっと弱いですよね・・水族館では・・」
おもちゃのような戦国時代村が修学旅行にふさわしいとは僕には思えないのだけれど、そこのところは黙った。

風呂を上がった子供たちが大広間に集められる。
いよいよ夕食だ。
夕食のシーンは修学旅行スナップの中でも絶対に必要なシーンでもあり、撮り溢しのないようにしなけれなならない。

刺身にすき焼きに茶碗蒸しに、ずらりと並んだ和膳に子供たちが歓声を上げる。
彼らが嬉しそうに御馳走を食べるシーンをひとしきり撮影して、取りあえずは僕の今日の仕事で必要な部分は終わった。
このあと、子どもたちは夜の土産物屋に買い物に行く。

ちょっとだけ、それにお付き合いして買い物風景の写真を撮影する。これはいわばサービスのようなものだ。
ただ、かつて、僕も来たことのある二見ヶ浦のあの賑わいはどこにもなく、夜の土産物屋街はいくつかのお店が開いているだけでひっそりとしていた。

自室に戻ると、豪華な膳が用意されていて、ビール瓶も何本もおかれている。
「お疲れ様でしたね、お酒はまだまだありますからいくらでも召し上がってくださいね」
すぐに旅館の仲居さんが来て、ビールの栓を抜いてくれた。
浴衣を着て、久々に寛ぐ。
ずっと好きな列車に乗って、それなりに楽しみながら仕事をしていたはずでも僕のふくらはぎは腫れ上がっていた。

風呂は生徒さんたちとは別の風呂を用意しているというので、行ってみると大浴場ではなく、露天の潮風呂だ。
海の香りが疲れた体に心地よい。
「あ、写真屋さん・・」
そこへ学年主任が裸になって入ってきた。
「いいでしょう・・ここのお風呂、私の唯一の楽しみですわ」
湯気ではっきりお顔は見えないが、用事が終わったという安堵感を彼の雰囲気から感じる。
湯気の中でも彼の頭が少し禿げているのはわかる。
「あとは、明日、朝ですね・・」
「あ・・写真屋さん、このあと、十時から軽くですが、打ち合わせしますので、是非小宴会場へ」
「わかりました、伺います」

こういう時の打ち合わせは、殆どは打合せではないのは承知の通りだ。
風呂を上がり、撮影済みのフィルムのチェックと明日使うフィルムの用意をし、カメラの作動、レンズのピント、スピードライトの発光テストをする。
道具をきちんとアルミバックの中に整理していたら時間になった。
小宴会場へ向かう。
浴衣姿の教師たちがそろっているが、添乗員はスーツ姿のまま、担任教師である二人は来ていない。
「今日はご苦労様でした!」
校長がデンと構えて切り出す。
「酔う前に明日のことを・・・」
学年主任が少し禿げた頭を回して一渡り見回す。

明朝の御来光は生徒は希望者のみ、学年主任と体育教師が旅館に残って、居残り生徒の監視にあたること。
朝食は先ほどと同じ大広間、教師とスタッフは先に小宴会場で朝食を済ませること。
夫婦岩のところで記念撮影、その際、他の団体がいるかもしれないので、速やかに撮影を済ませ、その先の駐車場に停車しているバスに乗ることなどが一方的に伝えられた。

そこへ担任教師二人も入ってきた。
「子供たちは一応、寝ました」
その報告に「いやいや、疲れていても眠れないのが修学旅行だよ、ま、多少のことはほっといてあげたほうが思い出になるでしょう」と校長が言って小さな笑いが起こった。
「さて、それではご苦労さん」
校長の音頭で乾杯が行われ、ビールを飲み干す。
教師も大人であり、一切の仕事を終えてからのこういう小さな一杯飲みは別に問題なかろうと僕は思った。
でも昼のお酒はあかんよな・・・と心のうちで呟く。

宴といっても明日の朝が早いこともあり、小一時間で解散、教師たちは自室あるいは生徒たちの見張り場所である廊下へ下がっていく。
僕は既にすることもなく、ただ、外の風にあたりたい。

玄関に出てみると先ほどの番頭さん風が掃除をしていた。
「ちょっと外の風にあたってきていいですか?」
「ああ・・いいですよ、三十分ほどで帰ってきてくださいね、玄関も閉めてしまいますので」

旅館の外に出て、先ほど歩いた堤防のところへ行ってみる。
暗闇の中、白い波しぶきが上がり、波音が広がる。
階段状になっている堤防に腰掛け、海を眺める。
波音を楽しんでいるつもりなのだが、ふっと近くで人の呼吸のようなものが聞こえる。
なんだろう・・
耳を澄ますと、明らかに男女の情欲の最中のように聞こえる。
地元の青年だろうか・・・
ちょっとその場には居づらいので、少し場所を移動して街灯のあるところで、ぼんやりしていた。
まもなく三十分か・・夜の冷気が疲れた体を引き締めてくれていた。
僕は立ち上がり、旅館に向かおうとした。
そのとき、街灯の明かりに向かって男女が歩いてくるのが見えた。
仲良さそうに手をつなぎ、肩を寄せ合う。
暗くて顔は見えない。

やがて、その二人が近づいてきた。
街灯が照らしだしたのは、ちょっと禿げた頭の学年主任と、可愛い女性の担任教師だ。
彼らは僕を見て、一瞬立ちすくんだ。
女性教師は思わずだろうが自分の衣服の乱れを直すような仕草をした。
学年主任にとって修学旅行の楽しみは潮風呂だけではなかったらしい。

「あんまり暑くて、外の風を吸いに来ました」
僕の方からそう言ってやった。
「いや、わたしたちもなんです・・」少し禿げ頭が言う。
なんとかその場を胡麻化そうとするのが気に障ったが、何も知らぬ風を押し通すことにした。
「明日はまた、早いですね」
僕がそういうと女性教師が驚くような高い声でこう言った。
「富士山、見えますかね!!」
波の音が僕らを包んでくれている。
押し黙って歩いても不自然ではないのが僕には救いだった。

 

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