story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

フェニックスおかん

2013年10月24日 23時51分27秒 | 詩・散文

おかん、二十五年前の夏、おかんは凄かったな

夜遅くに家の便所で倒れそうになりながら

「便所で倒れたら寝たきりになる」と言う言葉を思い出して

必死で便所から出て、廊下で倒れたおかん

「頭が痛い、頭が痛い」を繰り返し、

救急車で担ぎ込まれた病院はなぜか脳外科のない病院やったな

わしは、神戸から深夜のタクシーを拾って必死にあんたが担ぎこまれた県立病院へ向かったで

たしか、八千八百円ほどかかったと思う

おかん、あんたが担ぎこまれてわしが必死に向かったその県立病院やったけど

結局、専門医がおらんから、なんも分からんで、

次の朝、専門医がおる病院へまた救急車で移送になったんや

野村先生の名は失礼ながらそれまで存じ上げず

実は兵庫県の播磨地方においては

一番の脳神経外科医であるとあとで伺ったんや、

おかん野村先生はな、

CTスキャナーの写真を見て一言

「うちに入院させます、長い戦いになりますよ」

そうゆうてくれたんや

その野村先生のいる病院は

実はおかんの家から一番近い市立の大病院やった・・

なんではじめからここに連れてきてくれへんねん

わしは恨み言が思わず出たんやけど

野村先生の優しそうな表情にとりあえずはほっとしたもんや

おかん、あんとき、あんた、脳幹出血やったんやで

担ぎ込まれたときは命の保証もないと社会復帰はまず諦めてくださいと

野村先生は沈痛な表情でいわはったんや

三回の手術、

いや、そのまえに出血を起こしてからこの病院に来るまでの時間が空きすぎて

脳の中が血液でふやけてもてな

手術が出来るような安定した状態を作り出すために

そこからおよそひと月・・カーテンを閉めて薄暗くして、

物音や他の人の気配がが入らんよう個室の中で

わしと、おかんの静かな静かな戦いが続いたんや

おかん、あんたは、そんとき、目が覚めとるように

喋っていることも真っ当なことのようにわしには思えたんやけど、

あれは、みんなおかんの夢の中のことやったんやなぁ

手術が全部終わったのはもう九月に入った頃やった

麻酔が効きすぎて、

「手術失敗か」とさしもの野村先生も顔を青くしてはったけど

おかんは三日目に目が覚めた

「ここどこ?」

「病院やで」

「どこの?」

「加古川のや、あんたの家に近いあの病院やんか」

「え・・わたし、何してたの?」

「脳の中が大出血して死にかけたんや」

「ほな、いま、いつなんや」

「九月や、あんたが倒れたんが七月や」

「え・・・・もう、九月かいな」

おかん、あんたは、このときに二ヶ月ぶりに目が覚めたんやで

そこからや・・あんたの爆走がはじまったんは

なんせ、生きるか死ぬか、社会復帰は無理や、

なんて、名医の誉れ高い野村先生がしみじみとおっしゃるあんたや、

まともに歩くはずなんかないやろって、

わしだけやない、

野村先生もナースもわしの弟妹も親族もみんな、そない思とったんやで

そやのに、おかん、あんたゆうたら

「じゃ、今日から歩く練習を少しずつ始めましょう」

とわし好みの美人で気の強いナースがいわはって、

んで、ゆっくりおかん、

あんたをベッドから降ろしてベッドの手すりに掴まらせたときや

「あ、立てるわ、立てるわ」

そない、ゆうたかと思ったらや、

おかん、あんたはすごいな

「あ、歩けるわ歩けるわ、トイレ行ってくるわ」

そのまま、そろりそろりと、

トイレの表示のあるほうへ向けて歩いていってしもたんや

おかん、わしだけやない

わし好みの美人で気の強いナースもわしと並んで泣いてもてなぁ

思わず抱きしめ合ったわそやけど、

あんたのことばっかり頭の中にあったから

せっかくのわし好みのナースの感触、

覚えとらへんねんもったいないやろ、

おかん 余計なこと、書いてもたな、

おかん、それから、あんたは勝手にトイレに入って

勝手に用を済ませて勝手にまたわしらのとこへ

そろりそろりと帰ってきてくれたんや

ほんま、わし、あんたのこと、不死鳥やと思ったで

加古川の田舎の隅っこの団地に住んどるフェニックスや

フェニックスおかんや

そのあとも二十五年で救急車に三回も乗ったな大怪我もあったし、

腎不全なんて病気もあったそやけど、

人工透析を受けながらもおかん、

あんたはわしらにとっては怖いおかんでおってくれた

そやからな、

おかん今度もフェニックスや、

フェニックスやよってに、

フェニックスおかんの本領発揮や

生きてこの病院、出ような、おかん、フェニックスおかん  

 今日の母は少し気分が良いらしい 

 僕は母のベッドを越してやり、 

 海が遠く午後の光を反射させるさまを 

 見せようとしている 

 「おかん、海、見えるやろ」 

 「ああ、あれ、光ってるのん、海かいな」 

 ろれつが回らぬ舌で 

 母は,、やっとそう言ってくれた。

(銀河詩手帖261号、那覇新一名で掲載作品)

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