story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

詩小説・海の底

2016年01月24日 19時37分21秒 | 小説

山から吹き降ろす北風のことを神戸では六甲おろしという。
その六甲おろしの吹き荒れる神戸港はかつての国際貿易港の面影も薄れ、ただ、港の風景の美しさだけで人が集まる観光の港になっていないか。
「神戸港って、観光船ばかりで仕事の船がほとんど見えないのよね」
君は、吹く風にもともと薄紅の頬をさらに赤くさせて鼻水交じりの声でそういう。
「貿易はポーアイとか、六甲アイランドがあるから」
僕は諭すように言ってみるが神戸港中心部であるはずの中突堤付近の様子はどうだ。
忙しく働く船など見えず今しがた沖へ向かって出て行ったのは白い船体が美しい「コンチェルト」という観光船だし、埠頭に停泊しているのも「ロイヤルプリンセス」「ロイヤルプリンス」「ファンタジー」という瀟洒な観光船ばかりだ。
少なくとも、震災前の神戸港ではたくさんの武骨な船が忙しく走り回る姿を見られたものだ。

風に向かって君が何かを叫んでいる。
風と波の音で君は何かを言っているのだろうが、その言葉の意味が僕には届かないし届かなくてもどうでもいい気がするが、なにか、君の触覚にかかる獲物であったのだろうか・・
君はコートの中に隠しているNikonを取り出してバシャバシャとシャッターを切る・・秒間何コマという連写モードにしているようだ。
コートの胸のあたりがいつもよりもさらに膨らんでいるのはそこに一眼レフカメラを入れて、カメラが長い時間冷たい風にさらされないようにしているからだ。
「何を撮ってるの?」
「・・・・・・・」
「ん?聞こえへん」
僕のほうを見て、大声で叫ぶ。
「かもめ!」
叫ぶ表情がまるで女子中学生のようなあどけない感じなのがなんともおかしいが、船ではなく、船の上や桟橋の屋根にいるカモメに目を向けるなんていかにも君らしい・・
「かもめ、寒くないんかな!」
「鳥やからね・・寒さには慣れているやろうけど」
すると君はくるっと、踵を返して僕を睨み付ける。
「鳥も寒いんだよ!」
一瞬たじろぐ僕は、君が自宅でことのほか可愛がっている小鳥を思い出した。
「そうやったね・・」
「ふん!」すねるようなしぐさを見せ、君はまたNikonのファインダーを見つめる。
シャッターが連続でバシャバシャと切れていく。
「どんな写真が撮れたの?」
「みせない・・」
「意地悪やな・・」
「鳥も寒いんやもん」
「わかったって・・ごめんって言ってるやろ・・」
すると君はいたずらっぽく僕の顔を見つめ、ぐっと近づいてくる。
「これ・・」
カメラのモニターに先ほど撮影した何枚かを見せてくれる。
かもめのポートレート、300ミリのEDガラスを使った高価な望遠レンズも君にかかるとそこにいる鳥の表情をとらえるためのものなのだ。
「あんたは何か撮ったの?」
ああ・・
僕は君のカメラよりはずっと安いコンパクトデジカメを出してモニター見せた。
「相変わらず絵葉書みたいやんか」
くすっと笑いながら君はつぶやく。
確かに、僕の写真は絵葉書だ。
ただ美しいだけの、構図も露出もばっちりと決まっている絵葉書写真だ。
そこから先へ進めなかったからこそ、時代の変化の中で僕は写真の仕事を失い、ちょうどその時がフィルムからデジタルへの移行時だったこともあり、今、趣味でカメラを触っている君よりずっとみすぼらしいカメラしか使えないのだ。
「絵葉書しか、よう撮らへんのや・・」
自虐的に僕がそういうと、君は先よりさらに強く僕を見つめ返す。
「絵葉書でええやん、あんたの良さはその絵葉書にあるんよ」
「ほう・・」
おもわず感嘆してしまう。
実は僕は僕の絵葉書写真が大好きなのだ。
冒険したくても、美しくきれいにしか撮りたくない僕はその冒険を自分で拒否してしまう。
ブライダルでもポートレートでも、あるいはイベントの撮影でも、僕はきちんと美しくしか撮れないし撮りたくなかったのだ。
奇をてらったものはいずれスタンダードに駆逐される・・それは僕の持論ではなく、世間一般の流行の基本のようなものだが、時には奇をてらったものが新しいスタンダードになっていくこともある。
そうであれば、それまでのスタンダードが駆逐されてしまうことになる


そう、僕は写真の仕事を失った。

「結局は俺は下手やったんやな」
ふっと出た言葉を君はすぐに打ち返してくる。
「下手かどうかはしらんけど、あたしはあんたの写真が好き」
喋りながらもう君は次の船の屋根に乗るカモメをレンズで追う。
「ね・・寒いよ」
「寒いね」
「さっき買ってたあれ・・」
「ああ・・忘れてた」
ここへ来るまでの売店でワンカップ酒を二本買い込んで僕はそれをバックに入れていたのだった。
「要る?」「ほしい・・」
ワンカップを手渡す。
「蓋、取って・・」
蓋を取り、もう一度手渡してやる・・
ワンカップにそろりと口を持っていく仕草は女性のそれではなく、そこらの酔っぱらいのおっさんのようだが、君がそういう仕草をすると妙に艶めかしいのが不思議だ。
そのまま、一気に呑んでしまう。
「あんた、呑まないの?」
「うん、なんとなく呑みたくない・・要るか?」
「うん、もう一本ちょうだい、ちょっと暖まってきた」
同じ仕草の繰り返しで二本目も一気に呑んでしまう。
「暖まったか・・」
「うん・・」君の眼はもうカメラのファインダーだ。
またバシャバシャと連写の音が響く。
いいなぁ・・あのNIKON・・僕は君のカメラがうらやましくて仕方がないが、レンズ付きで三十万円を超えるものなど買えっこない。
港を離れ、歩道橋から元町へ向かって歩く・・港を離れ、数百メートルも歩くと風は少し治まってくる。

山の手へ上がる坂の途中のコンビニで僕たちはそれぞれ好きな酒類をいくつか買う。
どうしてだろう、こういう時は何も言わずともお互い向かう先は一つなのだ。
そして、そういうところに着いて、まずは散々酔ってから僕たちは今度は二人の海の底に至るしかない。
ため息が出るほど美しい君の裸をいつかは撮影したいものだと思いながら・・僕は君の求めに応じていく。
汗や体液や酒の匂いが混ざった甘い香りが僕たちを包む。
「なぁ・・」
「な~~に」
「いちど、撮らせてよ、君のヌード」
「やだ・・」
ひと休みしている時のその会話の後、また君が求めてくる。
深い深い海の底、港のあの景色の底のほうへ・・今だけは沈んでいたい・・
オレンジのわずかなライトに浮かび上がる汗を纏った乳房の美しさにため息をつきながら「もしも、俺がこれを撮影出来たら俺は写真家としてもう一度浮かび上がるかも」などという思いが一瞬湧き上がるが、それは自分が求めていた写真の方向ではないとすぐに思い直す。
「やだ・・あたしのほうを見てよ・・何か他のこと考えているでしょ」
「いや、ちがうちがう、君があんまりきれいだから」
「うそ・・」
そういって君はまた求めてくる・・山の手にあるはずの海の底。

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