story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ドクターイエロー

2024年03月28日 21時58分32秒 | 小説

 

その日も僕は新幹線の橋梁が見える川の土手にいた
ここは新幹線の列車を編成丸ごと見える稀有な場所
そして十日に一度程度
東京と博多を二日かけて往復する黄色い新幹線
ドクターイエローの走る日だ

ドクターイエローとは列車の愛称であり
「新幹線電気軌道試験車」という固い名前が本名だが
列車全体が黄色に塗られ青い帯が入っている
その列車が「ドクターイエロー」もしくは「黄色先生」と呼ばれている

もっとも、乗客の乗れない列車ダイヤが
市販の時刻表などに掲載されるはずもなく
正規の時刻表サイトでも検索などできない
だが、蛇の道は蛇・・鉄道ファンならではの情報ルートがあり
僕もそのルートで時刻や運転日を知っていた
不確定だがネット上にはその情報を出してくれる鉄道ファンのサイトもある

平日であり、鉄道ファンの姿はほかにはない
僕は川土手の草むらに腰かけて春の長閑な空気を吸う
河原に黄色い花がたくさん咲いている
その花の向こうを新幹線の列車が行く

空は薄く濁っていて快晴とは言えないまでも晴れている
雲雀が高いところで鳴き、川ではボラが飛び跳ねる
「ボラが跳ねるってことは、明日は雨ですねぇ」
女性の声がした
春のような明るい色合いのワンピースを着た、長い髪の女性だ
「ああ・そうなんですか」
そんなこと考えたこともなかった
「ふふっ」
女性が微かな笑い声を漏らす
「鉄道ファンの方でしたら興味は線路のほうにおありでしょうし」
女性はここでカメラ構えている僕を見て鉄道ファンだと判断したようだ
「はい、恥ずかしながら」
またボラが跳ねる
白鷺が低空飛行をして魚を狙っているが
飛んでいるボラでは大きすぎるのではなかろうか
「ところで・・」
「はい」
「今日は、黄色い新幹線、ドクターイエローの走る日なのでしょうか」
「ええ、そうですよ」
「わたしにも撮れますか」
そう言って女性は僕にコンパクトデジタルカメラを見せる
「このカメラでは、静止画は慣れないと難しいと思いますが動画なら」
「動画・・ああなるほど」
「僕が今ですよと合図します」
「はい」
「そうしたらカメラの動画スイッチを押してくだされば」
そい言いながら僕は女性の持っているカメラの動画ボタンを指さした
「え、合図をくださるのですか?」
「はい、僕はこちらでファインダーを覗いていますが、声くらいは」
「ありがとうございます」

柔らかな風が吹く
黄色い花が揺れる
「綺麗な花ですね」
僕がそう言うと女性は少し悲しげに言う
「このお花、外来種で、見つけたら根こそぎ抜いて捨てなければならないのです」
「え、そうなんですか」
「はい、花に罪はないのに」
「ですよね、きれいなのに」

スマホで時刻を確認する
あと数分だ
「もうまもなくですよ」
僕は女性にそう促した
女性はカメラを構える
まず、反対方向の普通の新幹線列車が来た
その列車があっという間に見えなくなってすぐ
遠くに黄色い屋根が見えた
「来ましたよ、ボタンを押してください」
女性にそう言うと僕はファインダーに集中した

デジタル一眼レフカメラのファインダーに
黄色い流線形が飛び込んでくる
高速連続撮影、秒間十コマ、シャッターを押し続ける
ファインダーの中で列車は動き流れていく
僕は黄色い列車を追い続ける
時間にして数秒
長くも短くも感じる一瞬と言えば言葉に齟齬があろうか

列車が行ってしまってから女性の方を見た
「撮れましたか?」
女性は僕にカメラのモニターを見せた
画面の中ほど、随分小さく、それでも黄色い帯が
はっきりと流れていくのが分かる
「こんなものでしょうか」
「はじめてにしては大成功ではないでしょうか」
そう言って僕は自分のカメラのモニターをその女性に見せた
「すごい、綺麗に撮れてますね」
「僕はこの道、随分長いですから」
そう言うと女性は頬を上気させ無心に僕を見た
「この写真、送ってもらうわけにはいきませんか?」
「いいですよ、メルアドか、SNSのアカウントがあれば」
「あります・・」
女性はそう言って自分のスマホからSNSのページを見せた
「では、そこにアクセスしましょう」
僕は女性のアカウントを検索して探し出し
挨拶だけのダイレクトメッセージを送る
「あとで写真を仕上げてお送りしますよ」
「ありがとうございます」
女性は頭を下げる
僕は少し不思議に持っていたことを訊いた
「ドクターイエローがお好きなわけではないのでしょう」
ふっと間をおいて女性は黄色い花の方を見て答える
「娘が大好きでして・・今入院しているので」
「なるほど、お幾つくらいの娘さんなのですか?」
「六歳・・この春から小学校に行くはずだったのですけど」
「それは哀しいですね」
「なんとかここを乗り切ってほしい・・・母一人子一人ですから」
「倖せの黄色い新幹線ですから、見た人には何か幸福があるそうです」
「だったらいいですね・・人間にもドクターであってほしい」
鳶が空を飛ぶ
風は一瞬強く吹く
「母一人子一人ですか・・」
「はい」
「こんなこと、お伺いしたら失礼かもしれませんが」
「ああ、わたしは為らぬ恋をして、外国の人の子をもうけたのです」
「要らぬことを訊きました、失礼しました」
「いえいえ、わたしの方から喋ったので」
ふっと、緩い色合いの空を見上げる女性の横顔が美しい
・・こんな人が自分の相手だったらいいのに・・
未だ、結婚もできず老いの入り口に立った僕は
女性の横顔をしみじみと見る
「何かついていますか?」
不思議そうに僕を見る女性の後ろを白い新幹線が通り過ぎる
空はぼんやりと晴れている
黄色い外来種の花が揺れる

 

 


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