story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

寝台特急「さくら」

2011年01月04日 12時48分00秒 | 小説

いよいよ九州新幹線が全線開業し、「さくら」「みずほ」という直通列車が新大阪と鹿児島中央を結ぶことが鉄道会社から発表されている。
「さくら」という名称とともに、ふっと思い出した若き日の焦燥や諦め、それになんとしてもと自分を鼓舞したあのころの思い出が蘇る。

昭和63年、深夜の広島駅、時刻はそう、23時半ごろだったのではないだろうか。
僕はホームに入ってきた青い車体の寝台特急の中ほどあたりで、ホームを監視している乗客専務車掌を見つけて声をかけた。
「大阪まで乗りたいのですが」
すると、車掌はすぐに「わかりました。列車が発車してからご案内しますので、中に入ってお待ちください」と慇懃に返事をくれた。

僕は幅の狭いステップつきのドアから車内に入り、開き戸を開けて2段ベッドの並んでいる客室に入る。
通路の折りたたみ式の椅子を出してそこに座って車掌を待った。

列車は軽いショックとともに走り出す。
ホームの照明がゆっくりと流れていく。
東京行きの寝台特急「さくら」が広島駅を発車する。

2段ベッドのほとんどは乗客で埋まっているようで、いずれの乗客もカーテンを引いて僅かな安息の空間を味わっているのだろうか。
ときおり、寝息がレールジョンとに混じりながら聞こえる。
列車は広島駅を出てすぐに右に左にカーブを繰り返しながら加速していく。

「お待たせしました」
声を抑え、先ほどの専務車掌が客室に入ってきた。
「5号車の12番、下のベッドにてお休みいただけますか」
車掌はそういいながら、切符を切ってくれる。
いくらだったか思い出せないが、当時の新幹線の特急料金よりは相当高かったと記憶している。
「この区画は空いておりますので、ゆっくりとお寛ぎください」
僕は「あの、大阪までなんですが・・起きる自身がなくて」と不安をそのまま車掌にぶつけた。
「畏まりました。大阪駅到着の10分前くらいに私が起こして差し上げますからご安心ください」
車掌はそう言うと、僕をその5号車に連れて行ってくれた。

列車は揺れて歩きづらい。
深夜とあって通路の補助椅子を使っている乗客は一人もなく、ベッドはどれもカーテンで仕切られた闇の世界だ。

案内されたのは4人分の2段ベッドが向かい合わせで並ぶコンパートメントだ。
ほかのベッドがカーテンで仕切られているのに、このコンパートメントではどのベッドもカーテンを開けて乗客を待っているようだった。
「こちらのベッドでお休みください」

車掌がそう指差したベッドには、きちんと糊付けで畳まれた浴衣とハンガーが置いてあった。

時折汽笛を鳴らしながら列車は快走する。
意外にカーブが多い。
車体がカーブの度にきしむ。

この列車を教えてくれたのは広島駅の駅員だった。
新幹線の最終、21時過ぎの「ウェストひかり」に乗り損ね、それでも何らかの希望はあるかもと、広島駅の窓口に向かった僕はそこの駅員にこう伝えた。
「明日の朝、早くに大阪に着きたいのです」
すると駅員はしばらく考えてから「ホテルに泊まって朝一番の新幹線に乗車するよりも、安くて早い方法がありますよ」という。
「寝台特急ですか?」
僕は鉄道ファンだし、ずっと以前には鉄道で仕事をしていたから内情はある程度はわかる。
だが、その当時、東京と九州を結ぶ寝台特急は人気が高く、寝台券など取れないという噂だった。
「大阪に明朝4時29分に到着する“さくら”という列車があります。もう、寝台券は売り切れているのですが、車掌さん手持ちのベッドが残っているかもしれません。お客様の乗車券の有効期間はまだありますので、一度、その列車の車掌さんに交渉して見られたらいかがでしょう?」
「“さくら”ですか・・」
「ええ、東京行きの寝台特急です」
「もしも、その列車に空席がなかったら・・」
「そのときは、またここでご相談ください・・駅前のホテルと朝一番の新幹線をご案内します」

新幹線の特急券はもう、時間が過ぎて無効だとのことだけれど、乗車券の有効期間は確かにまだ数日はある。

僕はダメモトで、寝台特急の車掌さんに交渉した。
そして、その交渉は成功し、僕は「さくら」に乗車できたわけだ。

浴衣に着替えるほど永い時間乗車するわけではない。
高々5時間ほどである。
僕は着替えずに、ジーンズとTシャツという着たまんまの身なりで、ベッドに横たわり、毛布を被った。

君が泣いている。
君は今さっき、泣き止んだではないか・・
泣いているのはお前か・・

そうだという・・
あんたが悪いのという・・
僕は何も悪いことはしていない・・
いえいえ、あんたが悪いという・・
僕は君に神戸に戻って欲しくていろいろ動いているじゃないか・・
動いてくれたのは感謝するわ・・でも、あんたは私を抱いた・・
あれは、君のほうから・・
男はみんなそういう・・ただ抱きたくて一生懸命になっただけ・・
違う違う・・そんなんじゃない・抱いたのは本当に君を愛しているから・・・
愛しているって、軽々しく言わないで・・
軽くない、本気なんだ・・
本気って言葉自体が軽いのよ・・

意地悪な表情で僕を攻め立てる君だけれども、実物の君はこんなに意地悪ではない。
確かに人一倍華やいで見える君だけれども、僕にはおとなしくて優しい。
だが、今の君は僕を攻め立てる。
僕は詫びるしかない。

君を抱いたのが悪かったのか?・・
違うわ・・
じゃ、何がダメなのだ・・
きついんよ・・もう、えろう、きついんよ・・

急に君は広島弁になった。
泣きながら意地悪な表情をしながら笑う。

時折、カーブで車体がきしむ音、電気機関車の加速や減速によるショックが伝わってくる。
頭のほうへ、時には足のほうへ、応力が伝わってくる。
そう、僕は寝台特急に乗っているはずなのだ。

君が泣き笑いの顔で見送ってくれた電車道。
僕は手を振りながら、もう、路面電車の営業が終わったその道路を歩いていた。
駅までは歩いてどれくらいだろうか・・
いずれにせよ、新幹線は明朝までないだろう、明日朝の仕事をどうしよう・・
それが現実だった。

もしかすると、僕が神戸へ帰らないと・・そう言ったなら君は僕ともう一夜を過ごしてくれたかもしれない。
だが、現実の仕事という興ざめのするものが目の前にある以上、僕には今夜をずっと君と過ごすということを言い出せなかったのだ。

新幹線の始発まででいいじゃないか・・
そう思う。
でも、今夜中に移動できるならそれに越したことはない。

だからこそ、僕は広島駅の駅員に相談したわけだ。

君よりも仕事を取った僕は確かに君に攻め立てられて仕方のない存在なのかもしれない。

ねえ・・
なんだ・・
次はいつくるの・・
それを言えば迎えてくれるのかい?
仕方ないじゃない・・来たいんでしょ・・
そりゃ、そうだ・・
私に会いたい?
会いたいよ・・毎日でも・・
ふふっ・・

君は悪戯っぽく笑う。
僕は体の芯まで温まるのを感じている。

「お客様、まもなく大阪です」
男性の声に我に還った。
車掌が起こしてくれたのだ。
音から察するに列車は大きな川を渡っている。
「淀川ですか?」
「今のは・・神崎川ではないでしょうか・・あと5分です」
「ありがとう」

僕は起き上がり、通路側の窓のブラインドを開けた。
ほんの僅か、暗闇ばかりの空に青みが差している。

早朝、午前4時半過ぎの大阪駅は冷たい光がホームに注ぐだけの、静かな駅だった。
今、乗車してきた寝台特急は、青く長い車体をホームにつけている。

僕はしばらくその場に佇み、やがて発車する列車を見送った。
甲高い汽笛のあと、軽いショックを経て、案内放送もなく列車はゆっぐりと動き出していく。
何両もの客車が僕の前を通り過ぎていく。
車掌が窓から敬礼の姿勢で僕を見てくれた。

客車最後尾の列車のテールマークが揺れて、遠ざかる・・

僕は改札へ降りた。
あの巨大な改札口で、一人しかいない改札係が切符を受け取ってくれた。

その足で阪急電車のターミナルへと向かう。
始発電車は5時ちょうど発車のはずだ。

大阪のビル街は少し夜明けが進んだその僅かな光の中で紫に染まっていた。
ちょうど、「パープルタウン」という唄が流行っていたその頃だ。

コメント
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