story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

詩小説・あなたへ

2018年11月27日 17時50分33秒 | 詩・散文

かもめ神戸港

男女の仲というのは、決して親友には出来ないという人があって、昔の僕はそれに反発もしたのだけれど、今となっては必ずしも全面的に賛同するわけではないが、ある意味では、なるほどと思える部分もある。

ふっと時折・・思い出すあなたのこと。

大変失礼ながら、僕はずっと心の中で追い求める女性があり、ではあなたを女性として愛していないのかと言えばそんなこともなく、これもある意味ではあなたは僕と最も心が通じた女性だったのかもしれない。
だが、あなたとの関係は、ずっと大事な友達という言葉が一番適しているかもしれないとも思うのだ・・そこに男女の関係はあったにしても・・

不思議とあなたとは趣味や嗜好が合った。
食べるもの、見るもの、行くところ、乗り物・・

待ち合わせは時に、三ノ宮の書店の中。
「何時頃に紀伊国屋」
メールはそれだけだ。

けれど、あなたは女性にありがちな約束の時間に遅れるなどということはほとんどなく、もしも電車の都合などでわずかに遅れても、まず最初にそのことを一生懸命に詫びる・・そんな女性だ。
この待ち合わせはとても楽で、書店で好きな書籍を眺めているといつのまにか、あなたが僕の横に立っている。

あるいは僕が、そろそろ時刻かと、書店内のあなたの好きな雑誌のコーナーに行くと、そこであなたは一生懸命に雑誌を見ていて、僕が横に立つと全く顔を向けずに「どこ行く?」と一言だけ切り出す。

それから買うものがあれば清算して、二人で街へ繰り出すのだけれど、あなたはいつも高性能のカメラを持っていて、思うところで立ち止まりシャッターを押す。
面白いのは神戸港を一緒に歩き回っても、港の風景や船を写すという、ごく普通のことはあまりせず、カモメや野良猫にカメラを向けたりする。
なにやら難しげな表情でカメラのファインダーを覗くが、だからと言って素晴らしい作品が出ているとも思えない。
基本、あなたの作風は「可愛くちょっと洒落た写真」だ。
そして撮影の時のあなたの仕草は、心底、可愛いと思う。

電車に乗って景色を見るのが好きで、鉄道ファンである僕とはそういう面でも気が合う部分もあった。
最もあなたは、僕が時として語る車両や施設のことには全く興味は示さず、ただ、ひたすらに車窓を見て、見えるもの指さしてあれこれ説明してくれる。
だからあなたは電車に乗るときはクロスシートが好きだった。

一度、京阪電車のできたばかりの中之島線で快速急行という新しい列車に乗ったことがある。
なぜ、そんな遠くまで行ったのか・・
あなたはブランドショップがお目当てだったのだろうが、やはり新線開業という言葉にも多少は興味を示してくれていたからかもしれない。

空いている地下駅から乗り込んだ、まだ新車の新3000系電車の一人がけシートを向かい合わせにして、あれこれ車窓を指さすあなたがことのほか可愛く、美しく思えた。

だが、僕とあなたは「友達」だったのだ。
「親友」と呼べるものかもしれない。
いや、少なくとも、あなたから見て僕はそうだったに違いない。

僕はこの点では男だと思う。
あなたに対していつも下心を持っていたし、何度も肌を合わせると、自分ではあなたが恋人のような錯覚に陥るのだ。
「私はあんたの彼女じゃないからね」
それはあなたから口癖のように聞いた言葉だ。

大阪には何度か一緒には行ったが、かといって僕の好きな新世界辺りへ誘ってみても「絶対にやだ」などという。
けれど、神戸の下町、宇治川商店街とか元町高架下とか、そういうところは好んで歩いていくのだから、未知の街への恐れのようなものもあるのかもしれない。

一緒に歩くと焼酎のカップを舐める。
時にはそれが日本酒のワンカップであったり、パックのワインであったりするのだけれど、それをハンカチに包み、酒であることが分からぬようにはしているのだけれど、並んで歩く僕が発泡酒のロング缶を持っていたり、焼酎のカップを持っていたりしてそれを隠していないのだから、すれ違う人には酒を呑みながら歩く変なカップル・・それもかなり歳の差がある・・・に見えたに違いない。

その頃、あなたは僕の年齢の6割ほどの若さだった。

歩くうちに酒がなくなると、また見つけたコンビニで酒を買う。
そうして、お互いに酔ってしまう。
そんな時はたいていが、近くのお気に入りのカラオケ屋に入って、なかなかの声を聴かせてくれる。
僕が今も自分の世代より二回りほど下の世代の歌に詳しいのは、間違いなくあなたとの出会いがあったからだ。

いや、それどころか、僕は今、あるアニメ作品のファンとして友人たちも認識してくれてはいるけれど、それこそ、あなたからの受け売りだ。
「レイちゃんは人造人間なんだよ」
その頃、あちらこちらで上映されていたこのアニメのポスターを見るたびにあなたはそう言う。
自分と同じ、世間一般とは異質なものを、薄幸の人造人間たるヒロインに見ていたのかもしれない。

時に、あなたが極端に甘えてくれるときがある。
そういう時は、どちらともなく足を山手の方に向ける。

優しく、感情が豊かで、そして美しく軟らかなあなたを、その時だけは僕は自分の手元に置くことができた。
それはまさに夢のような時間だ。
明かりを消した部屋の中で、僕の普段の疲労がゆっくり溶けていく。
あなたの優しい肌の中に自分をうずめることの幸せ・・
他愛もない二人の時間を、けれど自分たちで決めた制限があるゆえの短時間で過ごし、まだその余韻に浸りたい僕を、あなたはけしかけて帰り支度となる。

ただ、これは言うが、僕はあなたと会えるなら、それが例えばお茶を飲むだけとか、カラオケ屋に行くとか、本屋でなんとなくの時間を過ごすとか、一緒に電車に乗るとか、あなたの好きな「うどん」の店にいるとか、僕にはそのどれもが嬉しく、満ち足りた時間だった。

だから、無理に肌を合わせなくても十分楽しかったし、あなたと会うことで疲れがとれていく。

その頃、僕は仕事で大きな失敗をして、これまで歩いてきた道を捨てねばならぬ時期だった。
その時期にもし、あなたに出会えなければ、僕は今頃はこの世にいなかったかもしれない。

迫りくる絶望の荒波、逃げ出したいが、絶対にそこから逃げ出せない、まさに自分が波の中へ飛び込んで消えていこうとするとき、あなたの素っ気ない優しさがどれほど僕を助けてくれたことか。

いや、あなたもまた、そういう時期だったのだと、それはあなたの普段の話から察しがつく。
不幸というものは時として、際限なく押し寄せることがある。
そういう時に、お互いを癒し、心の苦悩をひと時でも逃がしてくれる人に出会ったのは、人生、長い目で見ればこれほどの幸運はないのかもしれない。

それにしても・・
この頃・・時に、あの、オレンジのわずかな照明に照らされた、汗の浮いた白い肌が思い返されることがある。
ゆっくりと動く白く柔らかい肌、切ない吐息をそっと漂わせてくれたあの空間。

男は所詮、アナログであり、事象の変換には時間が伴うグラデーションだ。
女は、ある時を境に一気に切り替えが利くデジタルだと、わかっていても自分の中の未練に笑うしかない。

「じゃ」
同じ方向に帰る電車で僕が先に下車する。
にこりともせず、けれどいつまでも電車の中から見ていてくれるあなたの姿は、たぶん僕の中で消えることはないのだろうな。

コメント
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