story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

俺の店

2006年07月17日 16時17分15秒 | 小説

(この物語はフィクションです)

俺は、閉店となった自分の店の前で、呆然としていた。
苦労は必ず実る・・そんな言葉を学校で聞いたことがあった。
努力はすべて己の力となる。
誰かが、そうやって褒めてくれた。

写真館「アールフォトスタジオ」は僅か6年の命でここにその歴史を閉じた。
何が悪かったのか・・
何が足らなかったのか・・
俺にはまったく見えていなかった。
だから、天候不順だとか、あるいは宣伝の不足であるとか、そう言った事にばかり原因を見つけ出そうとし、俺は懸命の努力を重ねた。
努力をすれば、一時的に客は増える。
割引券を出せば、一時的に来店客数は増える。

時代に合う店にしようと思っていた。
だから、スタジオだけではなく、最新鋭のDPE器材も投入した。
俺がした借金は・・スタジオ器材や店舗の改装費も含め2000万円近くになっていた。
毎月の返済額は軽く30万以上・・
それに店舗の家賃が16万円、光熱費が3万円・・
アルバイト二人の給料があわせて12万円・・
春先や秋のシーズンですら月の売り上げは120万円ほどだ。
2月、6月のオフシーズンになるとその半分にも満たない。
材料費も必要だ。
これでは・・経営は成り立たない。

俺が独立したのは、まだこの業界に過去の残照が残っていた頃だった。
デジタル化の進展は、顧客の撮影カット数の増加という形で、写真店の売り上げへ大きく寄与すると・・
俺だけではない。
フィルムメーカーもカメラメーカーも・・問屋も組合も・・そう信じていた。
だから俺は、独立した最初のころの売り上げの低迷の原因は努力でカバーできると信じていた。

違うのだ。
文化の形が変りつつあるのだ。
俺にこれを教えてくれたのは、俺のかつての同僚で、苦労に満ちた人生を歩みながらも、なんか小さなDPE店を継続している俺の親友だった。
親友は、徹底的に低コストで店を運営していた。
だから、店の場所も商店街でもない、住宅地のど真ん中にしていたし、DPE器材は中古品を探しては入れ替えていた。
俺は、彼のやり方を「あまりにも貧乏臭い」と思っていた。
だけど、あいつには見えていたのだ。
業界の崩壊が・・

「デジタル化の時代、写真はパソコンかネットの中だけでしか存在せず、紙に焼き付ける作業はいずれ大きく減少する。これは写真に限らず、伝票でも帳簿でもそうなっていく。そうすると、紙に文字や映像を焼き付ける仕事というものは、結果的に大きく減少するしかない」
あいつは、俺と飲んだとき、こんな事を言っていた。
俺は業界の不振は、DPE店をライバルに見据えたかのような家庭用プリンターの存在があるからだと・・あいつに自分の意見を言った。
「それはお前の意見のようでいて、実はただの受け売りでしかない。一時的に見れば家庭用プリンターはDPE業界の仕事を食うかもしれないが、その影響はむしろ、デジタルカメラによる撮影ショット数の増加で差し引きされるのではないか?それより恐いのは、写真を物理的な形にして残すという文化が消滅していくことだ」
あいつは、恐るべき事を口走る。

・・それでは、おれたちの仕事に意味はないのか?・・
そう反論する俺にあいつはこう答える。
「そんな事はない。まだ、紙の文化が消滅するまではかなりの時間を要する。少なくとも、仕事としては俺達の仕事はまだ当分、無くなることはない。だが、そのパイは大きく減少する。つまりは生き残ることの出来た店しか、社会システムの中で有用だと捉えられないわけだ」
・・生き残る為に必要なことは、考えうる最大の投資ではないのか・・少なくとも旧来のシステムに依存せず、顧客に魅力をばらまいて、顧客を引っ張ることの出来る店に脱皮するしかなかろう・・
「違うな・・今の投資は基本的には、過大に過ぎるのだ。ここ10年続いたデフレの波の中で、写真業界の価格はこれ以上は下げられないところまで下がってしまっている。その状況で、新鋭の器材一式1000万円で足らないという・・しかも、そのリースを組んだ日には、器材の所有は最大でも6年から7年が限界だ。これでは到底割に合わない」
俺は、器材のリース費用に頭を悩ましていたから、あいつのこの発言はまさに俺の痛いところを突いた。
だが・・俺はそれでもあいつに負けたくはなかった。
俺は芸大で写真を専攻していたし、業界に入ってからでも常に第一線にいたという自負がある。
あいつは、俺がいたスタジオのチーフに「弟子入りしたい」と自分から飛び込んで、そして仕事ぶりはまさに弟子の・・丁稚の仕事に徹していた。
俺はいつもあいつより上位に居ないと気が済まない。
だが、あいつはいつも淡々と、袖のほころびたシャツを平気で着て、暗室作業を天性の仕事のように黙々とやってきた男だ。
そのころ、俺はすでに一人前の撮影者として・・認められていた。
「今、必要なのは、何年かかるか分からない・・この苦境を乗り切る強靭な意志しかない。それさえあれば智恵は涌いてくる」
・・意志だけが必要というのはおかしいだろう・・
「俺は写真が好きだ。この道でしか生きていけない。だから、業界全体が大変な状況になっているこの時こそ、おれは、地面に穴を掘ってでも、嵐をやり過ごすのだ」

俺は、あいつの強烈な意志に驚きながら、それでもあいつを見下していた。
DPEは嵐かもしれない。でも、スタジオは人類の文化がある限り生き続ける・・
「それはそうだろう・・だが考えてみてくれ・・紙に写真を焼き付けない世代にとって・・スタジオの写真はどういう位置づけになるのか・・結果として、成人式、卒業・入学、婚礼・・その程度の仕事しか残らなくだろうし、それもデジタルカメラの進化や、画像処理技術の一般化で、結果的には自分達で撮影し、パソコンの中やハードディスクに保管する・・その方が取り出しやすいし、送ることも簡単だ・・そうなってくると、記念写真といっても、そのパイの極度な減少に変りはないということになり、強烈な個性を有するならともかく、一般的なものしか出来ないようでは未来は存在しないと思う」
・・だから俺は、高品質のスタジオ商品を目指しているのだ・・
「今までのやり方の続きにあるものでは駄目だと思う。婚礼写真にあってもスタジオ写真よりは、個性的なスナップショットが増えているのが現状だ。今の時代の顧客の求めているものを見失うと、結果としてどうにも立ち行かなくなると見ている」
・・では、俺のしていることは無駄なことか?・・
「それは俺には分からん・・ただ、俺は俺の感覚に素直に従うだけだ・・」
・・お前の意見がどうあれ、俺はあまりに貧乏臭いことはしないつもりだ・・しっかりと最高の武装をして戦うのみだ・・

俺はその時はそう言ってこの話を切り上げたのだ。
俺には俺のプライドもある。
中古品で店舗の営業などしたくもないし、いざとなればそれなりの資産を持つ俺の実家から助けてもらえる。
そう思ったものの、顧客は減りつづけた。
あいつは、はじめから低価格路線を突っ走っていったけれども、俺は、最初はそれまでの販売価格を下げる気にはなれなかった。
利潤が出ている価格を維持しないと店は立ち行かなくなる・・
俺はそう思ったのだけれど、案外、安売り路線を走るあいつへの対抗意識の方が強かったかもしれない。
・・俺は安物は売らない・・
いつのまにか、俺はそう呟くようになっていった。
スタジオ撮影でもまず、七五三のシーズンに閑古鳥が鳴いた。
ショッピングセンターに出来た「子供写真館」による衣裳、着付け、撮影の低価格セットのあおりをもろに食らったわけだ。
あいつは、七五三のシーズンは、はなから無視するような仕事の仕方をしていた。
11月にあいつは「DPE劇安キャンペーン」と銘打った粗末なチラシを、家族一同で手撒きしていたのだ。
俺は問屋のカラーチラシを使って新聞折り込みを行った。
「七五三はプロのお店へ!」
ポップ調で書かれた大きな文字とメーカー配給の美しい写真・・
けれど、チラシを見て電話をかけてきた人たちはあったものの、価格を聞くと一瞬、声を飲んでそのまま切れてしまうようなことが続いた。
俺の七五三キャンペーンは大失敗だった。
印刷代、折り込み代含めて20万円ほどは消えてしまった。

その2ヶ月後、年が明けてすぐの成人式の日・・
その日の為に、俺はいつもの年と同じように、町中の美容院を回り、挨拶をしていった。
もちろん、着付けやへアセットで集まった顧客にうちの店を紹介してもらう為だ。
けれど、その年はいつもの年とは違った。
「・・うちも、今年は全然予約がないのよ・・」
そう、開き直ったかのように答える美容室がほとんどだった。

それでも、成人式の日・・朝から5人・・振り袖のお嬢さんが来店してくれた。
そして、その5人の次は・・もうだれも来なくなってしまっていた。
いつもの年では俺のスタジオで、成人式の記念写真を撮影する顧客は30人以上になるのだ。
それが、その有り様だ・・

あとで、この町に進出した大手の衣裳屋が貸衣装とセットで、しかもあらかじめ前撮りの形で写真撮影をサービスしていたことが分かった。
俺は、所詮、アマチュアに毛の生えたような衣裳屋のカメラマンでは、今年は良くても下手さが口コミになって伝わり、来年は駄目になるだろう・・
そう思っていた。
そう思おうとした。
けれど、たまたま、写真の複製を依頼してきた顧客が持ち込んだ、その衣裳屋が撮影、仕上げした写真を見て・・俺は息を呑んだ。
きちんと基礎が出来ているカメラマンによる、きちんとした写真だったのだ。
・・衣裳屋がカメラマンを雇ったのか・・
愕然とした俺は・・俺の店の体力では、到底手が回らない・・衣裳や美容、着付けといったものまで抱え込んでいる大手に勝負を挑む力がないのを実感するだけだった。
俺がはじめて味わった挫折感だった。

スタジオ中心の店ゆえ、俺の店は高級感を漂わせている。
あいつの店のような、ポップまみれの、いかにも安売りといった雰囲気ではないことは確かだ。
スタジオが駄目になると、今度はDPEに力を入れるしかない。
けれども、高級感漂う店ではDPEの顧客は、常連がほとんどで、そこからの進展は望めない。
俺は焦った。
あいつにヒントを貰おう!
そう思い、あいつに相談をした。
「だから・・スタジオが駄目だからDPEに力を入れるのは理解できるが・・それをどうやって進めるのだ?」
・・値下しようと思う・・
「値下?お前の店が値下をしたら、失うものの方が多くはないか?」
・・いや、高いというイメージを払拭すればいずれスタジオも復活するだろう・・
「それは・・違うと思う。ここまで来て、安売り店になるというのは・・ある意味ではこれまでの顧客を捨てることにならないか?」
・・お前は、俺の店にお前の店の客が食われると思っているから・・そんなことを言うのだろう。安売りでお前が立派にやっていけるのなら、俺はもっと大きくやれると思うのだ・・
「俺の店とお前の店では5キロほど離れているし、商圏が全然異なるから、お前の店が俺の顧客を取るとは思えない。けれど、お前の店のイメージを壊すことが良いことかどうかは・・俺にはこれ以上は答えられない」
・・そうかと・・言って、俺は電話を切った。
安売りをするのだ。
チラシを撒くのだ。
それは俺の決意だった。

顧客は増えた。
安売りは成功したかのように思えた。
売り上げは一気に向上した。
けれど、支払いの段になって俺は、問屋からの請求書を見て、顔から血の気が引いていくのを感じていた。
安売りの結果は大幅な原価割れと言う現象を招いてしまったのだ。
何故だ!
俺は、薬品や印画紙の価格を見直した。
まったく問題はない筈だった。
原価の倍で売れば・・その分は儲けで残る筈だった。

けれど、俺は自分の店の固定経費の高さに気がついていなかったし、作業量が増えれば増えるほど高くなるもの・・光熱費や薬品廃液の処分料・・そして、忙しくて首が回らなくなって来たことからアルバイトを新しく雇ったことによる人件費・・
安売りを始めて最初の支払いの後・・俺に残ったのはわずか3万円ほどの利益だけだった。
これで家族を養える筈がない・・
俺は愕然とした。
これでは、安売りをした意味がない・・

俺は今度はDPE料金の値上げを企画した。
安売りの価格を低くしすぎたことから収支のバランスが崩れている。
俺はそう思った・・そして、今度は安売りをする以前の価格との間の価格帯を狙って、設定し直した。
そして、それを実行する前にあいつの意見を聞いた。
「今度は値上げ?・・それは止めた方が良い・・低価格路線に入ってしまったのだから、今度は利益幅を出せるように、顧客の増加を考えた方が良い」
・・お前がいいかげんな奴だと良く分かった・・
俺は、あいつに噛み付くようにいった。
・・値下げを反対され、今度は値上げを反対する。それでは俺の生きる道がないではないか・・
「違う!右往左往してはいけないんだ。顧客はじっと見詰めていてくれる。多少しんどくても一度やり始めたことには責任を持つしかないのだ」
・・責任を持つと言っても、すでに顧客は増えている。ここで値上げに踏み切るのが経営戦略だ!・・
俺の叫びにあいつは、黙り込んでしまった。
そして、ややあってからこう言った。
「健闘を祈るよ。思うようにやれば良い・・でも、友達としてこれだけは言っておく。困ったことがあれば、何でも相談してくれ・・」

値下の後の値上げは、忙しさから開放される状況を作り出したものの、俺の店の元からの顧客までもが離れていってしまったようだ。
俺の店は一気に暇になった。
売り上げはどんどん落ちていく・・
それでも、最初のうちはやや黒字額も増えて、ほっとしたものだ。
だが、それがいけなかった。

一度赤字を出してしまうと、それが続くようになった。
赤字を出すと言うことは、それだけ自分が溜めたカネが減っていくと言うことだ。
そうでなくとも黒字になったところで生活があるのだから生活費に満たなければ・・溜めたものは減っていく・・
最初は、緩やかだった貯金の減り方は・・やがて、大きくなっていく。
わずか数ヶ月・・
俺は、自分の店がもはやどうにもならない状況になっているのを感じ始めた。
支払日にどう考えてもすべての支払いを済ませることが出来ない・・
春のある日・・
俺は来るべき時が来たことを知った。

店を閉めると決断しても、問屋、リース会社との交渉が出来なければ首をつらねばならない。
俺は絶望感に打ちひしがれながら・・必死で取引先に頼み込んだ。
店を1ヶ月余分に開けるとそれだけ事態は悪化する。
幸い、リースの残っていた器材には中古市場での人気もあり、売却価格と相殺すると俺の負担分はそれほど多くはなくなることが分かった。
・・閉めるのなら今だ・・
俺は、借金が増える恐怖感を味わいながら・・店を閉める為に奔走した。
そして、今日、ようやく段取りがついたと言うわけだ。

愛すべき店は、明日も今日と同じように顧客を迎える積りでいるかのようだ。
あくまでも堂々としている。
店の看板は俺が自分でデザインしたものを看板屋に作らせたものだった。
悪いのは俺だった。
あいつの忠告をしっかり受け止めていれば・・
そう思いながら、俺は店を眺めていた。
ふと、人の気配を感じた。
「閉めたのか!」
あいつの声だった。
俺は恥ずかしくて、あいつには連絡をしていなかった。
・・ああ・・落城だ・・
「ご苦労さん!後で呑みにいこう!」
・・いや、いいよ・・俺にはカネもないし・・
「おごりだ!心配するな!それより、今日はお前の新しい人生の前祝いだ!」
俺はあいつの顔を見た。
涙が出そうになった。
「それはそうと・・店の器材は処分するのか?」
・・ああ、DPEの器材はリース会社が引き取った上で売却するらしい・・
「他の器材は・・?」
・・荒ごみかなあ・・粗大ゴミの日にでも出そうと思う・・
「それならちょっと見せてくれ・・カメラや、スタジオのストロボもあるだろう・・」
・・デジタル化の進展で売れないものばかりだ・・
「ま・・見せてくれ・・」
あいつは、俺を無理に店に押し込むように、俺と店に入っていく。
すでに機械の電線も外し、薬品も抜いてある。
いつでも運送会社に渡せる状態だ。
あいつは、スタジオや、受付カウンターを見て回っている。

「背景用のバック紙3本、カメラスタンド、大型カメラ、マミヤもニコンもあるな・・パソコン、デジタルカメラ・・スタジオ用の大型ストロボ・・カメラのレンズ、お!レジスターもあるな」
・・デジタルカメラとレンズ2本は別のリースが残っているから・・
「カメラまでもリースにしたのか・・大変だな・・」
あいつは、あちらこちらを見て回りながら、リストを作っていく。
「計算機を貸してくれ」
俺は、電卓を渡してやった。
「バック紙と、大型カメラ、スタンド、パソコン、レジスター・・それにカウンターも・・貰うぞ」
あいつはそう言いながら、俺に電卓を見せた。
そこには500000と打ち込んであった。
・・これは?・・
「買い取りだ!お前はまず何より、現金が要るだろう・・」
あいつは、そう言ったかと思うと、懐から封筒を出して、手渡してくれた。
あいつは、はじめからこのカネをくれるつもりで、やってきたのだ。
その瞬間、俺はあいつの肩を持って・・泣き崩れてしまった。

その時、店の扉が開いた。
「機械を引き取りにまいりました!」
運送会社の人だ。
俺は、涙をぬぐうのも忘れて、機械の運び出し作業を見る。
あいつを見ると・・あいつも立ったまま泣いていた。

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