story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

秋を数える

2005年11月24日 19時44分14秒 | 小説
僕は公園のベンチに君と並んで座り、そこから見える町並みを眺めていた。
赤く色づいた葉がひらひらと落ちてくる。
風はなく、光がまぶしいけれど、さすがに十一月も半ばを過ぎると、少し肌寒い。
「秋はいいなあ・・艶々してて・・」
僕は光の輝きを感じ、そう呟いた。
僕の肩にもたれ掛かっている君は、ふーんと返事とも欠伸ともつかない答えを返し、光で満たされる町並みを眺めている。
時折、昼休みらしいOLやビジネスマン達が公園を横切るけれど、ベンチに座っている僕たちには目もくれない。
僕たちは都会の奇妙な静けさの中にいる。
「ねえ、マサトは秋をどれくらい感じたの?」
ふと、君がそう訊いてきた。
「どれくらいって・・」
「毎年秋が来るでしょ・・それをどれくらい過ごしたのかなあ・・」
「毎年来る秋?そりゃあ、年の数だろう・・」
「あ・・」
君は僕にもたれ掛かっていた姿勢を急に直し、僕を見つめた。
「あたし・・馬鹿みたいだよね。そりゃ、年の数だけ秋を見てきてるよね・・」
そういって、くっくと笑いを堪えているようだったけれど、それもやがて我慢の堰が切れたか、大声で笑い出した。
笑いが治まると、君は空を見上げながら、また、何かを考えているようだった。
「ということは、あたしも、年の数だけ秋を数えたわけだ」
僕は、君が何を言いたいのか、ちょっと判らなくなった。
「ねえ・・マサトが数えた秋は・・マサトが四十三歳だから・・43回でしょ・・」
「そうだなあ・・いや、僕は12月生まれだから、生まれた年の秋は知らないから・・42回だよね」
「あ・・そうか・・」
そう言ったまま、君はまた、何か考えている風だった。
「すると、ねえ、マサト、あたしは3月生まれだから・・年齢と秋の数は同じで・・21回・・」
「それがどうしたの?」
「秋の数が、私はマサトの半分なんだ・・」
君は、悪戯っぽく笑った。
「あ・・そうだね・・でも、それがどうかしたの?」
「うううん・・不思議だなって・・感じただけ・・」
僕を見つめてそう言いながら、君はまた、僕の肩にしなだれかかってきた。
僕は、黙って君を受け止めて、また昼下がりのゆっくりした時間が過ぎていくのを楽しんでいた。

「秋の数を数えたら・・ちょうど半分・・」
僕は自分の職場・・それは小さな問屋の事務所なのだけれども・・そこに戻り、開け放した窓から町の景色を見ながら考えていた。
「そうか・・君は僕の半分しか人生を知らないのだ・・」
その感触が、僕の気持ちを一気に突き落としていく。
僕は君なしでは生きてゆけない。
僕というつまらない人間にとって、偶然に捕まえた君という存在は、いまや僕が生きるのに必要な空気か水のようなものになっている。
窓から見える山々は、すっかり秋の色に染まっている。
町は慌しく動いているけれど、山々では静かに冬への準備が始っている・・そう思うと、君にまたすぐに会いたくて、その思いは止まらなくなって来た。
どうしてだろう、どうして、僕はこんなにも君に会いたいのだろう・・

その思いは、デスクの電話機のボタンへと続く。
「あ・・サチコ・・僕だよ・・今日は仕事の打ち合わせで遅くなる・・食事はいいから・・」
はいはいと、明るい妻の声が聞こえる。
まだ、娘が帰る時間ではない・・妻はきっとテレビの画面を飽くことなく眺めているのだろう・・
そう思いながら、僕は携帯電話を取り出し、君へのメールを打ち込んだ。
「今夜、行ってもいいかな?」
学生であるはずの君からすぐに、返事が来た。
「o(^-^)o(*^_^*)(^_^)v」
「なんじゃ、こりゃあ・・」僕が思わず呟くと、横の席にいる部下が携帯電話の画面を覗き込んできた。
「課長も、なかなかやりますなあ・・」
「何を言う・・娘だよ!」
「ほう・・お嬢さんですか・・」
部下は、騙されないぞという顔つきで、僕を見ている。
僕にはそう見える・・

僕は打ち合わせに行くといって、少し早めに職場を出た。
その足で、一旦、先日来、新ソフトを導入してもらった小売店に向かい、そこの店主と暫く雑談をし、幾つかの注文を貰い、私鉄電車に乗り込んだ。
君のアパートは、この私鉄電車が地下に潜って、暫く都心を走ってから再び地上に出たところにある最初の駅を降りて、小さな川を渡ったところにあった。

アパートの階段下で「着いた」とメールを送る。
そのまま屋外の階段を上がり、3軒並んでいるうちの一番端っこが君の部屋だ。
僕の足音が聞こえたのか、かちゃりと鍵を開ける音がする。
扉を開けると、そこに君がジャージ姿で立っていた。
扉を閉めると、君が抱きついてきた。
「おうおう・・いきなりはないよ・・」
僕は君を止めようとしたけれど、君はそのまま、部屋の中まで僕を抱きついたままの格好で誘うと、我慢できないかのような性急さで、僕を求めてきた。

踏み切りの音がする。
川の流れる音もかすかに聞こえる。
電車の通過する音が聞こえる。
踏み切りの音はなかなか止まない。
勢いよく通過する音・・特急だろうか・・
川の流れる音、アパートの前の道路を通るクルマの気配・・人が歩く気配・・

明かりが消された部屋の中で、汗や体液の甘い香りが漂う夢うつつの世界に、僕はいた。
何もかもが、このひと時のためにあるような気がする。
けれども、これは内緒の世界・・表に出してはいけない二人の世界・・
からだとからだを重ねあわせ、汗にまみれ、舌と舌を重ねあわせ、何もかもをそこに投げ捨てていく・・

僕は眠ってしまっていたようだった。
君は明るい電灯の下で、食べるものを並べている。
「目が覚めた?」
ああ・・起きたくないような夢の中から、僕は現実に引き戻され、身体を起こした。
僕の上には毛布がかけられていた。
「いいところで眠っちゃうんだもの・・余程疲れているのねえ・・」
そうかもしれない・・仕事での無理がたたっているのだろうか・・けれども、いつもより多くの仕事をこなした実感は僕にはない。
疲れているとすれば・・
もう2年も続く内緒の世界を隠しとおすことにだろうか・・
立ち上がり、君の方へ行こうとするが、足元がおぼつかない。
それに、僕は裸だった。
「これ、着て!」
君はジャージの上下を出してくれていた。
僕は頷いてそれを着、君が用意した食卓に向かった。
「頭がくらくらするよ・・」
「風邪かなあ?」
心配そうに君が僕の額に手を当てる。
「あたし、悪いときに誘っちゃったわねえ・・ごめんね・・きょうは、もう、我慢できなかったんだ・・」
「いや、それは構わないけどさ・・仕事の疲れだろうな」
そう答えながら、僕は当たり前のように、そこに置いてある箸をとった。
君も、当たり前のようにビールを出して、僕のグラスに注いでくれる。
「美味しい?」
うん・・頷きながら僕は食べては飲んでいる。
「あたしね・・そろそろ、きちんとした生活がしたくなってきたの・・」
「きちんとした?」
「うん・・隠れてこそこそしないで、本当に堂々と、二人で生活するの・・」
僕は思わず、君を見つめた。
この2年、君は一度だって、そんなことは言わなかった。
「それは・・どういうこと?」
「うーん・・ただ、普通になりたいだけ・・」
「普通か・・」
「マサトは、奥さんと別れるなんて・・無理でしょ」
僕は自分が惨めに思えてきた。
いや、自分の悪さに嫌気がさしてきているのを覚えた。
「そりゃあ・・娘もいるし・・」
「あたしもね・・彼氏がいるって事は、パパとママには言ってあるけれど、紹介なんて出来ないし・・」
君はそう呟きながらビールを自分で注いで飲んだ。
深刻な話だけれど、君の表情は明るく、いつもと変わりはない。
「じゃあ・・どうするんだい?」
明るい表情の君に、僕はわざと高飛車に聞いた。
「そうねえ・・どうしよう・・」

君は笑顔さえ浮かべながら、食べ物を口に入れ、ビールを飲む。
「テレビでも見ようか・・」
そう言い、リモコンでテレビのスイッチを入れる。
お笑い芸人達の馬鹿笑いが部屋の中に広がる。
けれども、僕の心は静かだった。
テレビの笑い声も、君の笑い声も、僕もそれに同調しながらも、それでも僕にとっては静かな時間だった。
踏み切りの音がする。
勢いよく通過する電車の音・・

「あたしね・・」テレビ画面を見たまま、君が呟く。
「秋の数を数えたらね・・」
「今日の昼のことかい・・」
「そうそう・・それで・・秋の数を数えたらね・・哀しくなっちゃったの・・」
「秋の数で?」
「うん・・マサトはあたしの倍も秋を知ってるんだよ・・」
「そりゃあね・・」
「あたし、マサトの半分しか、秋を知らないんだよ・・」
「まあね・・」
「だから哀しくなったの・・」
君は僕の方を見た。何のことか判らないけれど、なんとなく分かるような気もする。
泣いているのかと思ったけれど、君は明るい表情で、笑顔だった。
僕は自分の半分しか人生を知らない君に、何か、諭されているような気になってきた。

時計が11時をさしている。
私鉄電車は最終がはやい・・僕の自宅へ帰るには、そろそろここを出なければならなかった。
「マサト、そろそろ帰らなくちゃね・・」
「うん・・」
僕は立ち上がり、ジャージを脱いで、いつもの背広姿に着替えた。
君は僕が着替える間中、僕の前でかいがいしく世話をしてくれる。
背広にブラシもかけてくれる。いつもと同じだ。
僕は「じゃあ・・また・・」そう言って、部屋を出ようとした。
君がいきなり、抱きついてきた。
「奥さんと、別れられない?」
君は、僕の耳元で囁く。
「それは・・今は無理だ・・」
僕は、君を抱きしめた。
「だけど・・」
「だけど?」
「いずれ・・」

言葉はそこで終わってしまった。
僕はもう一度君を愛撫し、君はもう一度、僕に背広を着せる手伝いをする羽目になった。
そして、本当にここで帰らなければならない・・その時刻・・
23時33分発の快速急行・・それに乗らなければ・・
僕は靴をはいて、ドアノブに手をかけた。
「ありがとう!」
君が明るく言った。
「いや、こちらこそ・・」
「ありがとう!2年間、楽しかったです!」
「え?」
「これでおしまい!それぞれの人生を大事に!そうしましょ!」
「え?」
僕は振り向き、君の顔を見た。
涙が溢れて、ぐしょぐしょになった君の顔があった。
「もう、電話もメールもしないでね!マサトは大人だから・・判ってくれると思うの」
僕は、わけがわからず、君を見つめた。
「あたし、普通の恋をして、普通の結婚をするの・・そう決めたの」
泣きながら、少しヒステリックに、けれども声は落として君は言う。
「それはどういうこと?」
僕の問いかけに君は、呆れたような表情になった。
「最終の快速急行に乗り遅れたら知らないわよ!」
君はちょっと苛立つ風で、泣きながら僕の背を押した。
僕は、そのまま、部屋の外に出た。
「じゃね!」
君はそう言ったかと思うと、扉を閉めた。

僕は、夢でも見ているような気分になって、ゆっくりと階段をおり、踏み切りのほうへ向かった。
やがて、踏み切りのシグナルが点滅し始め、警報音がなり始めた。
カンカンカン・・音は何かを急き立てるかのように響く。
僕は、慌てて、すぐそこに見える駅に向かって、走っていった。
君が突然僕を振り切った・・そのことを考えようとしているのに、僕の身体は最終の快速急行に乗るために頑張っている。
それは僕が家族のもとへ帰るため・・
僕の居場所へ帰るため・・

階段を上下し、ホームに滑り込んだ僕の目の前に、見慣れた茶色の電車がヘッドライトも眩しく入ってきた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする