story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

酔客

2019年01月04日 16時06分43秒 | 小説

旧型国電イメージ

もしもあなたが乗ったその電車
遅い時間の最終電車辺りに乗ったとき

寒々とした電車のロングシート
そのあなたが座る向かいあたりに
汚れた風体の初老男性が一升瓶を掲げて座ってきたら
あなたはその場をそっと離れて他の車両へ移るだろうか

それとも、
その男の行状を興味深く見つめるだろうか

今夜のJR神戸線
上り最終の車内にも、そんな男が乗ってきた
冬の深夜、十分に暖かい321系電車のロングシートの
その向かいだ

ただし、
服装は労務者風ではなく
背広をだらしなく着崩し
ネクタイを腹の上に長く伸ばし
手に持つのは一升瓶ならぬ焼酎の2リットル紙パックだ

男はすでに相当酔っているだろうその顔色なのに
また焼酎パックの栓を緩めては
口に運ぶ動作を繰り返す

時折何やら独り言で
誰かの悪口を言っているようだ
周囲にいた女性客はいつの間にかその場から遠ざかり
僕は男の向かいで
別に危害を与える感じもしないからそのまま
男を眺めている

やりきれないなぁ・・
そう思う僕の脳裏にふっと
遠い記憶がよみがえる

あれは僕が小学校の4年生ころだろうか

******

当時の神戸駅はいかにも場末の雰囲気だった
威風堂々とした駅舎は
当時すらすでに過去の栄光のものであって
そこに集まる人は少なかった

父親に連れられ
あちらこちらと父親の友人知人たちを回った
それは多分に
金策か就職のためであっただろうか

我が家には子供が多く、
僕を筆頭に、一番下は6人目
まだ生まれたばかりの赤子だった

父は外出時に僕を連れて出ることが多かった
誰かにものを頼むとき
子どもがいると相手は断り切れないその心理を
父は知っていたということか

元町から湊川、湊川から新開地
歩き続け、すっかり夜になってしまった
新開地の立ち飲み屋で子供の僕にも串カツを食わせてくれ
父自身は、さして食うでもなく
ただ熱燗の酒をコップに入れては呑み続けていた

久しぶりに
自分が青春を過ごした神戸の街に来たという安堵もあったのだろう
あるいは、金策か就職の話がうまく進んだのかもしれない

寒い中
神戸駅まで歩いてきた僕ら父子の前に
茶色の国電がやってきた

車内は燈色の明かりがともり暖かそうだ

電車はガチャガチャと停車し
ガラガラとドアを開ける

当時すでに
阪急や阪神は相当きれいな電車ばかりになっていて
阪急には確かに旧型電車も残ってはいたが
国電のように
オンボロの香りをまき散らす電車というのは見たことがなく

ただ、ここ東海道線と阪和線、片町線にだけは
どうしようもないオンボロが走っていると
子ども心にも思っていたことだ

乗ってすぐ電車は派手なエアーの音とともに
ガラガラとドアを閉める
固く背の高い座席に腰掛けると電車は発車する

それもガクンとショックが起き
それからあのけたたましいモーターの音を
腹の底からグググググォーンと地響きを立てるように
激しく振動しながら加速する

やがてモーターの音は甲高い連続音になり
かなりの高速に達すると
カチンと音がして惰行に入る
そうすると今度は静かなレールジョイントだけが響く

電車は空いていた
紺の長い座席、木地の壁、木製の床
出入り口中央にはポールがあり
それに摑まれるようになっていた
だが、燈色の暖かそうな雰囲気とは裏腹に
隙間風が寒い

僕たち父子が座った向かいに
如何にも労務者風の男が
姿勢を崩して座っていた

手に一升瓶を抱えた赤ら顔だ
男は時折、一升瓶を口にもっていっては
旨そうにそれを呑む

赤ら顔はなにやら嬉しそうだ
父もいつものポケットウィスキーを出して
口に運び始める

「お父ちゃん、もうお酒、仰山呑んでんねんからやめとき」
僕はたしなめるが
「お前には電車の中で呑む酒のうまさは分からんやろうな」
と笑顔で返されてしまう

向かいの座席の男は
誰かに感謝したりするような独り言を続けている
「ほんま、やっさん、お前はえらいやっちゃ」
「お前がここまで偉うなって、ワシにこんなええ思いをさせてくれるんや」
「ありがたいやないか」
男は時折、白熱灯で照らされる天井を見上げては
同じようなことを呟く

電車は各駅停車だ
三ノ宮を過ぎ、灘を過ぎ、住吉を過ぎても
冬の真夜中
乗車してくる客は少なく
たまたま、近くのドアから入ってきた人も
一升瓶を抱えて呑み続ける男の存在に気が付くと
他の車両へ移っていく

芦屋に近づいたころだろうか
男の一升瓶が空になったようだ
「おお、もう、終わってしもたがな」
男は悲しそうな表情をして、空になった一升瓶を持ち上げ
未練たっぷりに眺める
「おい、やっさん、酒がのうなってしもたぞ」
男は天井を見て呟く
「お前がくれたええ酒、もう、のうなってしもた」
そうつぶやいたかと思うと男は泣き出した
「わし、アカン人間やねん」
「せっかく、お前がこないにしてくれても、すぐ呑んでしまうんや」
「わし、ホンマにアカンねん」
「やっさん、今回は嬉しかったで」
「仕事もらえてな・・ごっそうなってな」*ごっそう→ご馳走
「ホンで土産の酒までくれて・・」
「えろなったなぁ・・・やっさん」
「お前が神戸の港をあそこまで取り仕切っとるとは思わんかった」
「すまんな、やっさん」

男はやがておんおんと泣き出す
電車がブレーキを掛ける
芦屋駅に入るのだ

そのとき、父はふっと立ち上がり
男の目の前に
自分のポケットから出したカップ酒を差し出した
男はびっくりしたように父の顔を見た

「おやっさん、少ないけどこれでまだ少し呑めますさかい」
男は信じられないという表情で父の顔を見る
電車が駅に停車してから
父はカップ酒の蓋をゆっくりと剥がし
男の手に持たせてやる
「ええのんか、わし、見ず知らずのモンにこないな・・」
男は感極まったかのように父を見つめる
「どうぞどうぞ、たぶん、おやっさんは港湾されてるんちゃいますのん」
「そや、そや」
「ワシも昔、港湾してましてん・・なんや、ワシにも懐かしい名前が出てきたさかい」
「え・・あんたはん、やっさんのお知り合いでっか」
「その、やっさんって、中突堤近くの山崎はんちゃいますのん」
「そ、そや、山崎はんや」

男は驚いて父を見つめなおし
父は男の隣の席に腰掛けた

男はちびりちびり、惜しむようにカップ酒を舐め、
父は男と楽しそうに話しながらポケットウィスキーを舐める

電車はモーターの音も高らかに大阪へ向かう
外は真冬の深夜だ
僕は所在投げに身体をくねらせ
後ろの窓の外を見ようとするが
外は真っ暗闇で
室内灯に照らされる自分や父や男の姿が映るだけだ


********

321系電車の暖かな車内でぼんやりとあの情景を思い返す

ふっと、前の席の男が立ち上がった
焼酎の大きなパックを大事そうに抱えている

男の立ち上がった座席に黒いカバンがある
僕はすぐにそのカバンをもって
降りようとしていた男に声をかけた
「おっちゃん、忘れもんやで!」
男は驚いて振り返り
「え!え!ほんまや!」
「焼酎より、こっちの方が大事なんちゃいますか」
「ほんまにそうや、仕事の書類が入っとりますねん・・」
「気いつけて帰りよ!」
「ご親切にありがとうございます」

何度も頭を下げて、片方の手に黒いカバンを
片方の手には焼酎パックを抱きしめて
男は降りていった

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